『天使になるもんっ』


1999/08/30(月)





「おい! これじゃないのか!」


 俺が大枚はたいて手に入れた天使の人形の入ったタイムカプセル――思い出の小瓶
を北川が見つけ出した。



 蓋が割れ、泥にまみれた瓶の中にその人形――掌に乗るような小さな天使の人形は
そこにあった。
 それは間違いなく、7年前、俺がゲーセンで4000円つぎ込んで手に入れた人形
だった。


 しかし泥まみれのそれは、羽が片方もげて、頭に乗っかっていた筈の輪っかもなく
なっていた。




 どんな願いでも叶う人形。
 少女の願いをふたつ叶えた人形。




 しかし、その姿は無惨なものだった。




「…祐一、わたしが直そうか?」
 汚れ、破損しているその人形を見ている俺を見かねたのだろう、名雪がそう声をか
けてくれた。
「できるのか?」
 思わず、俺は聞く。
「うん。ほとんど作り直しってことになると思うけど…」
「だったら、頼む」
「うん。頼まれたよ」
 即座に言う俺に、名雪なりに力強く、自信たっぷりに答えてくれた。
 ここは素直に任せた方がいいだろう。




 あゆの探し物はみつかった。
 しかし、それで何が変わるのだろう…。





 翌日。

「…祐一、起きてる?」
 ドアの外から聞こえるいとこの声。
「ああ。起きてる」
「開けていい?」
「ああ」



 入ってきた名雪に俺がずっと寝たままでいたことを聞かされる。
 俺は夢を見たまま夕方近くまで寝ていた事に驚いていたが、それ以上に驚くべきこ
とが待ち構えていることに気付かなかった。



「それで、何の用だ?」
「これ、修理できたから持ってきたんだよ」
 そう言って、名雪は自分の手にしていたものを俺に見せた。




 それは、昨日、名雪に渡した思い出の人形だった。










 ………その筈だ。








「結構、苦労だったよ」




 そう言う名雪。
 そりゃ、そうだろう。




 その台詞と共に俺に手渡された人形は………




「どうかな?」




 その人形は見違えるように綺麗になっていた。
 まるで、7年前に時間が戻ったように…。




 いや、7年前はこんなもの、流行ってなかったな。





 俺の手の中にあるのはどう見ても、ビリケ○さんだ。
 いや、顔はちょっといかりや長○っぽい感じもする。
 名雪のオリジナルだろう。




「………………」
「ほとんどが、代用品になっちゃったけど、いいよね?」
「いいも悪いも………」


 崩壊しかかった脳味噌を両手でかき集めて尋ねる。


「本当にこれ、俺が渡した人形か?」
「うん」
「か、かなり形が変わってるような………」




 っつーか、原形、残ってないぞ。



「だから、代用品を使ったから………」
「いや、そうじゃなくてだな………」
「それにね………ほら、見ていてね」


 名雪が嬉々とした表情で俺の手から人形を取ると、


「この首筋にあるボタンを押すとね」


 そう言って、赤いボタンを押す。
 すると、




 カシャ――ン


 カシャ
 カシャ
 カシャ――ン



 見る見るうちにトランスフォーマーされていく。
 金属音を内部からさせながら、ビ○ケンから黄金色をしたフォークボールの握りを
した腕へと変貌する。
 去年、横浜駅で見かけた感じだ。



「ほらっ、すごいでしょ?」
「………………」
「これにね、この別に用意した4体を加えると巨大ロボットに変形するんだよ」
「な………なぁ、名雪」
 俺は自分の髪の毛が確実に白くなっていくことを自覚しながら名雪に尋ねる。
「何?」
「これ………本当に昨日俺が手渡した人形か? 冗談なら面白くないぞ」
「え? 冗談なんかじゃないよ。苦労して直したんだから」
 何故か頬を膨らませて反論する名雪。
「大体、元々の部分、どこにあるんだ?」
「中の綿の20%ぐらいがそうだよ」
「………………」




 何か俺は大きな選択を間違えてしまったような気がした。
 激しい、目眩がする。




「………………」
「天童よし○っぽくした方が良かったかな…」
「………………」




 願いの叶う人形…。
 残された願い、あとひとつ…。







 ………叶えて、くれるのだろうか………。






「悪いけど、今から出かけるから」




 暗澹たる気持ちを押さえて、俺は立ち上がった。
 いつまでも落ち込んでいられなかったのと、早く忘れたかったせいだ。



「待って」
「何だ、名雪?」
「イチゴサンデー」
「………」



 にっこりと笑って名雪が言う。




「イチゴサンデー」
「………」




 取りあえず、梅干しだけは腹一杯与えてやった。
 この両拳で。




・
・
・




 女の子が立っていた。
 深い悲しみを背負った女の子が立っていた。




 夕暮の街で、
 いつもの場所で、
 ずっとずっと…。




『やっぱり待ってた人が来てくれることが一番嬉しいよ』




『それだけで、今まで待ってて本当に良かったって思えるもん』




 本当に、そうだな…。




 だから…。




 一番の希望としては…。




 今回もそれだけで我慢してくれないかな…。




『祐一君がボクのことを好きでいてくれるのなら、ボクはずっと祐一君のことを好き
でいられるんだと思う』




「…俺は、今でもお前のこと好きだぞ」




 …だから………さ………。




「ボクもだよ、祐一君」
「…だったら…どうして、もう会えないなんて…言ったんだ…」
「もう…時間がないから…」
 俺はその声だけを聞いていた。
「今日は、お別れを言いに来たんだよ…」
「俺は、忘れ物を届けに来たんだ」
「………」
「………」


 あゆの視線はリュックのホルダーに括り付けられた人形に釘付けだ。
 後から俺がサインペンで書いた「天使」の文字が無言の圧力をかけている。
 だが、そう書かないと気が付かれない気がしたので書いたのだが。




「…ゆ、祐一君」



 ただどこまでも広がる夕焼けの中で、あゆが引き攣った顔をして笑っていた。




 わかってる、あゆ。
 お前の言いたいことはよくわかる。





 俺だってそう思う。




「あ、あのさ………約束を覚えてくれていただけでボクは………」
 どうやら、あゆの中では俺が別のもので代用したと判断したらしい。
「ま、待てっ! あゆっ!!」
「祐一君、優しいから………」
「そうじゃない。そうじゃないから、ちょっと待てっ!!」
「………」
「ほら、これはだな………その名雪が直したっつーか、その………」
「えっと………」
「ま、まて………」



 背中の赤いボタンの隣にあった緑色のボタンを押してしまう。
 すると、




 カシャ――ン



 カシャ
 カシャ
 カシャ――ン




 二人が見守る中、箱根細工のように折りたたまれていく人形は、食い○れ人形っぽ
い姿に変形した。
 ちょっと精巧かも。



「………」
「………」
「さ、さよなら………」
「ま、待て〜っ! あゆっ!!」
「ボクのこと、忘れて下さい」
「待ってくれっ!!」





 その時、奇跡が起きた。





 リュックに下がっていた人形が、
 天使だった筈の人形が、
 願いを叶える人形が、







 ………喋ったのだ。









『…朝〜、朝だよ〜』









 録音された、名雪の声。






『…朝ご飯食べて学校行くよ〜』
「………」
「………」
「………」
「あ、あゆっ!!」






 夢。
 夢を見ている。
 また同じ悲劇の繰り返し。
 終わりのない悪夢の中で、
 来るはずのない逆転を望んで、
 そして、同じ悪夢の中に還って来る…。
 青ざめて、
 白々しくて、
 周囲の視線が冷たくて、
 哀れみの眼差しが暖かくて、
 悲しくて、
 とても悲しくて、
 そして…。
 また同じ喜劇の繰り返し。
 ずっと前から、何年も前から気づいていた。
 終わらない悪夢を漂いながら…
 来るはずのないハッピーエンドを感動の展開を望みながら…
 俺は、ずっと同じ場所にいる。




 ギャグ落ちという場所に………。





「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁゆっっっっっっっっっっ――――――――――!!!!!
 カムバァァァァァァァァクッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」





                          <おしまい>




 当時は会心の一作でした。これと『ボケはいつだって唐突だ』は評判悪くないみたいです。
 この頃は意欲的だったので、後日Nscr化にもしてみました。

何かありましたら… 『Thoughtless web』