ついカッとなってやった。反省している

 

「岡崎、制服のボタン取れかかってるぞ」
 俺が夕食も済ませていつも通りに春原の部屋で漫画雑誌を読んでいると、ふと気づいたらしく春原が俺の制服の前を指差す。
「ああ、知ってる」
 放課後、帰る間際に会った智代にも指摘された通り、制服の真ん中のボタンの糸が伸びてダランと垂れ下がっている。
 用事がなければつけてやるのにとか言っていた智代からはちゃんと付けるように言われたが、自分で付けるには道具も無く、道具があったとしてもその気がない。
「実はこういうのが今の流行なんだ」
「嘘つけ」
 ちっ、さすがに春原でも気づくか。
「じゃあ春原、つけてくれ」
「どうして僕がそんなことしなくちゃいけないんだよ」
 俺の頼みにも関わらず、生意気にも抗議してくる。
「じゃあ代わりにお前の制服寄越せ」
「じゃあって、理不尽ですね、あんた!」
「でも、お前の不潔そうだからやっぱりいいや。ちゃんと衣替えの時にはクリーニングぐらい出せよ」
「うん。つい面倒で忘れちゃうんだよね……て、出してるよ!」
「じゃあやっぱりつけてくれよ。お前のほら、いつものソーイングセットでちゃちゃちゃっとさあ」
「そんなの持ってねえよ! それに頼むならせめて人の顔を見て頼めよ!」
「よろしく頼む」
 勿論、目は漫画のフキダシに注がれたままだ。
「全然見てないし! ふーんだ。ちゃんと頭を下げて頼めば何とかしてあげなくもなかったんですがね。もう絶対やってなんかあげませんー」
「ああ、お前のあの超能力でか?」
「ねえよ! あのってなんだよ!」
「いや、あるだろ、お前?」
 俺が意外そうな顔をして見せると、この馬鹿は目に見えて動揺する。
「え、だって、そんなの……」
「じゃあ、あれは見間違いだったのかな……そうだよな、まさかな……」
 思わせぶりに言ってみると、見る見るうちに不安そうな顔になっていく。
「あのー」
「気にするな。俺の勘違いだ」
「そう言われると少し気になるんですが……」
「少しならいいじゃん。気づかないまま過ごせば」
「ごめんなさい。無茶苦茶気になります。教えてください」
 卑屈なやつだった。
「今度この漫画アニメになるらしいぞ」
「そんなこと聞いてねえよ!」
「じゃあヒロインの声優が元アイドルの里村詩子ってとこか?」
「そこから離れましょうよ! 僕が、ほら、何か超能力とか……」
「ねえよ」
「あんたが言ったんでしょう!」
「そうだったかな」
「話を振っておいてそれはないでしょう?!」
「じゃあ……あるのか?」
「だから聞いてるのはこっちですって!」
「そう言われてもなぁ……」
「迷惑そうな顔をしないで教えてくださいよ」
 俺の服の袖を掴まないばかりの剣幕だったので、仕方なく答えた。
「……こないださあ、俺が部屋に来てた時お前居眠りしてたじゃん」
「ああ、あの時ね……って、顔への落書きはやっぱりあんたですか!」
「男らしくて格好良かっただろ」
「おかげで酷い目にあったんだからなっ、しかも油性で書きやがって……第一パンダのどこが男らしいんだよ!」
「大食漢なとことか」
「草食動物じゃん! しかもユーカリしか食わないし!」
「ユーカリの葉はコアラだぞ」
「……」
「パンダは笹な」
「そ、それはいいんだよ! 話を進めようよ!」
 露骨に話をそらしてくる。
「ああ、そうだった。あの時の顔があまりに面白かったからすっかり忘れてた」
「そりゃあ良かったですねえ!」
「ああ、本当。最高だったぞ」
「あんたがやったんでしょうが!」
「そこで超能力だ」
「え? な、なんだよ、それ……いくらなんでもお前にそんな……」
「違うって。お前の力だって」
「ぼ、僕が?」
「覚えていないのか」
「覚えてないって……その時、僕は寝てたんでしょ?」
「そうか、じゃあやっぱり……」
「な、なんだよ……」
「まあ騙すから聞いてくれ」
「ああ」
 真剣な顔で春原が頷いてくる。
「実はあれ、お前の超能力なんだ」
「え?」
「寝ていたお前が何やら呟くと俺の目の前で油性ペンが浮き上がってな……」
「う、嘘だろ?」
「まあ最後まで聞けって。それでお前がパンダに変身だとかなんとか言ったらその油性ペンが勝手に……」
「や、やだなあ。そんな馬鹿げた冗談を僕が信じるとでも」
「信じる信じないはお前の勝手だ」
「マ、マジで?」
 無言で頷く。
「他にもいろいろな物を勝手に動かしたりしてたのに気づいてないのか?」
「で、でもそれは……」
「この部屋がいつもこんなに散らかってるのって変だと思わなかったのか?」
「え?」
「お前が掃除をしないとか以外にも勝手に物が動いた結果、こんなに散らかってると考えられないか?」
「あ、そ、そう言えば……」
 思い当たるのかよ。
「一つ一つ嘘のようで嘘なことばっかりだが、こうしてまとめて考えてみるとあながちそう考えられなくもない気がしないだろ」
 聞いていくうちにそんな気になったらしい春原の表情がみるみる変わっていく。
「すげえよ、俺! エスパーだったなんて?! で、でもだよ、一体どうやったら、その力を出せるんだ。僕、そんなの覚えてないし」
「寝ててできるんなら、寝たふりでもできるんじゃないか」
「そっか。岡崎頭いいな! これで僕は今日からエスパーになれるわけだ」
「ああ。頑張れよ」
「頑張るよ。でもさしあたってこの力をどう使ったらいいかな」
「物を自在に動かせるんなら、それで相手を攻撃したりしたらどうだ。積年の恨み重なるラグビー部の奴らとか」
「そ、それって危険じゃない?」
 そこで少し怯んだような顔になる。
「別に大怪我させるようなものじゃなければいいだろ。例えばそこの本の角を使うとか」
 目に入った脱ぎ捨てられたシャツの上に置かれていた、廉価版の漫画本を指差す。
「じゃ、じゃあちょっと試してくる」
 言われるがままにその漫画本を片手に、勢いよく立ち上がる。
「いいな、寝たふりと寝言だぞ。自分すら騙さないと超能力も使えないぞ」
「ああ、任せとけって」
 意気揚々と部屋を出て行く春原を見送ってから、俺は中断していた読書を再開した。


「何も起きねえよ!」
 五分後、どういう結果になったのかは戻ってきた春原の顔についた痣でよくわかった。
「あはははは、こめかみのところまるで本の角で殴られたような跡になってるぞ」
「殴られたんですよ!」
「まあ嘘だしな」
「しかも嘘かよ?!」

 ドンドン

「ひぃぃっ」
 ドアが叩かれると、条件反射で春原が体を竦ませる。
「おまえ、一体なんかしたのか?」
「おまえのせいだろ!」
「あ、そう」
「そこは追求するところでしょうが!」
「それより返事はしなくていいのか」
 おそらく、このドアの叩き方はラグビー部ではない。
 そう思ったら、返事がないことに苛立った相手の声が聞こえてきた。
「春原、いるんなら返事ぐらいしなさいよ!」
「あ、美佐枝さん」
 ドア越しの声で、春原も安心したらしく大げさに息を吐いた。
「はいはい、いいっすよ〜」
 その声を聞いてからドアを開けて入ってきた美佐枝さんの方も、大げさにため息をつく。
「春原、少しは部屋の掃除ぐらいしなさいよ。虫とか湧いて困るのはあんただけじゃないんだからね」
「美佐枝さんが手伝ってくれるならはりきってやっちゃうんだけどな」
「どうしてあたしがあんたの部屋の掃除をしなくちゃいけないのよ……まあいいわ。あんたに電話よ」
「ん? 誰だろ」
「待たせてるんだからさっさと出る」
「了解了解」
 春原がそう言って立ち上がる。
 出て行こうとする春原の為に道を開けながら、ドアの前にいる美佐枝さんは俺の方を見る。
「岡崎も入り浸ってるなら少しは綺麗にしたらどうなの」
「俺は俺のいる周りはキチンと綺麗にしてるから」
「単に横にゴミを押しやってるだけでしょうが……」
 呆れたような顔を向けるが、視線を落として言葉が途中で止まる。
「あら岡崎。ボタン取れかかってるわよ」
「あ、そうだった」
 春原をからかっててすっかり忘れてた。
「その上着、貸しなさい」
「え?」
 スッと俺の前に手が伸ばされる。
「つけてあげるから」
「悪いよ」
「このぐらいいいわよ。それにそのまま放っておく方が気になるから」
「じゃあ、頼もうかな」
「ほら、すぐつけるから待ってなさい」
 好意に甘えて言われるままに俺は、上着を脱いで美佐枝さんに差し出した。


 そして翌日。

「ということでさ、僕が電話から戻ってみるともう二人はラブラ―――

 それが春原の生前最後の言葉だった。

「死んでませんっ!」
 足跡を顔面に残した屍体が仰向けに倒れたまま叫ぶ。
「あ……」
「……」
「え、ええと……」
 俺の視線から逃れるように、気まずそうに俯くが、


「ちょ、ちょうど道具がある。つ、つけてやろう……」


 左手の巾着からソーイングセットを取り出すと、彼女の右手に握られた俺の制服のボタンに糸を通し始めた。
 そして上目遣いで、俺の顔色を窺う。


「こ、こんな用意周到なところも女の子らしいと……朋也は思わないか?」



 その直前の行動がなければな。

 

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