One day
〜藤林杏 Ending After Story〜

「あんたさあ」
「ん?」
「今度の中間試験は少し気合入れていかないとまずいわよ」
「なんだよ、急に」
 何でも委員長会議で知ったらしいのだが、模試と期末だけ力を入れるような生徒が
例年多いこともあって、今度から中間試験の成績をかなり重視するとのことらしい。
「別に進学するわけじゃないし、俺には関係ない」
 別にテストの点数が多少悪くとも卒業できなくなるわけじゃない。
 どちらかといえば俺の場合、出席率の方を気にした方がいいぐらいだ。
「夏休み補習受けたい?」
「御免だな」
 即答する。
「いや、でもブッチすれば……」
「家庭訪問されたい?」
「かなり御免だ」
「三者面談も逃げてるでしょ? きっとこんな風に言われるわよ」
 杏は軽くコホンと咳をしてからウチの担任の真似をしだす。
「岡崎さん。言いたくはないのですが、貴方の息子さんはちょっとウチには手に負え
かねますな。卒業すら危うい。いくら美人で気立てのよい三国一の美少女を恋人にし
たとは言え、これでは話になりませんぞ」
「誰が美人で気立てのよい三国一の美少女だよ」
「あたし以外にどこにいるってのよ」
「……」
 真顔で言われても。
「何、何か文句あんのっ!」
「いや、まあその人その人の主観というのは尊重するべきだし」
「でしょう。だったらもっと頑張んなさい」
「でもなあ」
 そんな羽目は御免だが、今更勉強をしたってどうなるとも思えない。
「どうせ今更無駄だとか思ってるんでしょ」
「まあな」
「だったらウチで勉強する?」
「へ?」
 思わず問い返すが、
「だーかーらー、あたしの家で一緒に試験勉強するかって聞いてるのよっ!」
 顔を赤くしながら杏が吼える。
「だってお前、頭そんなに良くないだろ?」
「石抱いて湖に沈みたい?」
「すみません。失言でした」
「そりゃあ、人に誇れるほど優秀じゃないけど、あんたや陽平のように壊滅的で救い
ようがないほど悪いわけじゃないわ」
「いや、その春原と一緒にされると辛いが、それはわかっている。けど、そんな俺に
教えられるほど余裕じゃないだろってことだ。俺なんか気遣うよりも自分の勉強を頑
張ったほうがいい」
「何それ? 気遣ってるつもり?」
「そういうわけじゃないんだが……」
 自分で言うのも悲しいが、少しばかり勉強したからってどうなるものでもない。高
校に進学してからずっとほぼと言っていいほど勉強をしていない。基礎からやり直さ
ないと話にならないだろうし、そんなことをやっているゆとりもないし、やりたくも
なかった。
「大丈夫よ。丸暗記で何とかなるところしかやらないから」
「おい、それって……」
「あたしのカンは良く当たるから」
「で、でも……」
「椋なら試験期間中は友達の家で一緒に試験勉強してて家にいないし、来やすいでし
ょ?」
「ま、まあ、それなら……」
 そんなやりとりを経て中間試験も終了し、六月も半ばを迎えていた。
 因みに試験は本当に杏が言った部分ばかり出てかなり驚いた。
 言われるがままに丸暗記し、なおかつ当日まで覚えていたところを埋められるだけ
埋めただけだったが、それでもいつも以上の結果は間違いないだろう。
 すぐに模試も控えているが、それは俺にとっては関係がないので期末まではかなり
気楽な立場に立てた。
 そんなわけで、俺たちは久しぶりに街に出ていた。

「今日はおごりだからね」
「あんまり無茶なこと言うなよ」
「大丈夫よ、あんたの財布の中身ぐらい知ってるから」
「ちょっと待て! 中身全部使わせるつもりじゃねーだろーな」
「別にいいじゃない」
「良くない! というか本気かよ!」
「誰のおかげでこんなのんびりとした休日を送れていると思ってるの?」
「くっ……」
 春原が担任に連行され、今日は学校で補習を受けていることを知っているので、杏
は強気だ。春原の部屋まで来たらしいから、相当教師側も本腰を入れていたらしい。
「給与査定がどうとか教頭が話しているの聞いたから」
「オマエ、何でそんなことまで……」
「まあいいじゃない。せっかくのデートなんだし、あんなアホのことは忘れていっぱ
いあたしの為の買い物をしましょう。あんたは財布兼荷物持ちってことで」
「帰っていいか?」
「だめ」
「でも本気で今月はピンチなんだ。勘弁してくれ」
「わかってるってば」
 その言葉が信用できないから言ってるんだ。
「まずはどこかでお昼にしましょう」


「ボウリングか」
 ファーストフードの昼食を終えて、来たのは商店街から少し離れたところだった。
自然が残っている山側の方ではなく、古めかしい家屋がまだ目立つ未開発地域の方。
 遊戯施設の乏しいこの街ではあるが、一昔前ではなくそこそこ昔に流行ったボウリ
ングブームの余波を受けて、そこにはボウリング場がひっそりと残っていた。
「食後の運動ってわけじゃないけど、少し体動かしたくなって」
 そう言えば、辞書投げは運動の部類に入るのだろうか。
 まあ、聞く気もないが。
「何か賭けるか?」
「勿論」
 即答。
 こりゃ、俺が言い出さなかったらそっちから言う気だったな。
「じゃあ、予約手続きしてくるから」
「おう」
 そう言って、杏は手続きの列に加わる。
 一階下のゲームセンターが改装中ということもあってか、ただの休日にしては結構
な賑わいだ。
「よっしゃ。一発、揉んでやるか」
「その自信、どこから
 ボウリングなら肩の故障もさほど影響はない。
 いくら杏の運動神経が優れていようとも、俺のこの黄金の右腕にかかれば……

 ………
 ……
 …

「何か言う事はある?」
「お前、プロ?」
 俺だってそんなに下手とは思わない。168はそれほど悪くない数字だ。
 しかし200を超えた奴からすればやっぱり雲泥の差だろう。
「おほほほほほ。それほどでもあってよ」
 すげえ高笑い。
 どこで覚えたのか、口元に手の甲を当てて人を見下すようなその仕草は無茶苦茶ム
カつく。おまえは金髪縦ロールか。
「ん? 何よその目。なんか文句あんの?」
「いや」
「まさかこの期に及んで賭けのことを忘れたなんて言わないでしょうね」
「いわねーよ」
「あたし、喉渇いたな」
「はいはい」
 不貞腐れつつ、自動販売機でジュースを買いに行く。
 もう一勝負するつもりだが、こんままでは同じ結果が待ち受けている。
 何とか一泡吹かせる為にも、挽回の策を練らねば。
「と、言ってもそんな急激に上手くなるようなコツなんて……ん?」
「あ」
 自動販売機の前で、馴染みの顔があった。
「……朋也」
「智代……」
 驚いた顔。
 それはこっちも同様だった。
「驚いたぞ、こんなところで出会うなんて」
「それはこっちもだ、久しぶりだな」
「ああ」
「こんなところで、一体何してるんだ?」
 俺の問いに彼女は眉を寄せる。
「ここはボウリング場だぞ、勿論ボウリングに決まってる」
 確かに。間抜けな質問だった。
「あ、いや、一人で来るところじゃないだろ?」
「そうなのか?」
「いやー、まあ、なんだ」
 春原あたりは知らないが。
「ではおまえは誰かと来ているのか?」
「ああ、いや……」
 実はデートだとは恥ずかしくて言えない。
 だから誤魔化すように言葉を捜す。
「そう言えば生徒会長になったんだったな」
 生徒会選挙のことはよく知らないが、結果だけは知っていた。
「ああ。なってみてわかったが、やっぱりかなり大変だった。覚悟はしていたが、そ
れ以上の激務だぞ」
 特に対人関係が疲れると言って笑う。
 彼女は目的があると言った。
 それがどんなことかは知らないが、その為になった生徒会長だからこそひたむきに
やっているのだろう。
「お前ならやれるさ」
「無論、弱音を吐く気はない。選んでくれた人たちの期待に沿えるように頑張るつも
りだ」
「だったら休みの日ぐらいのんびりしてろよ」
「これはストレス解消というやつだ」
「もう暴れるわけにはいかないからな」
 茶化すものの、
「そうだ。ここは幸い昔の学区からは離れているし、何より一人でいても特に注目さ
れることがない」
 素直に頷いて、晴れ晴れとした顔で答える。
「う」
 更生して、前を向いて生きていく智代を見ていると眩しくて仕方がない。
 自分にはないものを持っている彼女が羨ましい半分、妬ましさも同居していた。
「それにしても随分会っていなかったような気がする。勿論、生徒会の引継ぎから創
業者祭、他にも毎日のように雑務があるこちらのせいなのだが」
 以前の気ままな日々が懐かしいとその目が語っている。
 それに対して俺は、お前はもうこっちに立つ側の人間じゃないと言うべきなのだろ
うか。
 きっと言えば寂しそうな目をするのだろう。
 そんなつまらないことで悲しませることはない気がした。
「まあ同じ学校にいるんだし、顔を合わせることもあるだろうさ」
「迷惑ではないのか?」
「ん?」
「その、私なんかが声をかけたらお前が迷惑になったりしないか?」
 やや目線を下に落として聞いてくる彼女がいじらしい。
「何気にしてるんだ。今まで平然としていた癖に」
「それは昔のことだ。だってお前は私が……生徒会に入るのを嫌がってただろう」
「ああ……でもまあ、お前だしな」
 頭を掻く。拒絶反応は今もあるが、前ほどは気にならない。
 あの時に比べると自分に余裕があるからなのかもしれない。
 あと、智代だからというのもある。
 こいつを嫌うのはちょっと難しい。
「じゃあ、いいんだな。前みたいに声をかけても」
「別に……いい、ぞ」
 目を輝かせて頬を綻ばす智代を見て幾分不安が残ったが今更、嫌だとは言えない。
 せいぜい手柔らかにと願うぐらいだ。
「信じるぞ、うん」
「あ、ああ……」
 早まったかも。
「ところで、朋也は一人なのか? だったら……

「ちょっとたかがジュース一本買うだけで、いつまでかかってるのよ!」
 後ろから怒鳴り声。
 あ、なんかやばい気がする。
「一本って俺の分の数は入ってないのか?」
「知らないわよ、そんなの!」
 ずかずかと足音荒く杏がやってきた。
 そして俺と自動販売機と……智代を見て、目を吊り上げる。
「何?」
 誰ではなく、何と言う時点でかなりやばかった。
「あ、紹介するよ。こいつは坂上智代。知ってるだろ、新しい生徒会長だ」
「そんな紹介の仕方はないだろう」
 智代が抗議する。
「じゃあかつて街の不良達を壊滅させた伝説の女とでも……」
「そんなのはもっと嫌だ。友達なんだからそう紹介して欲しい」
「友達? 友達ってコイツの?」
 ピクリと杏の目が細まる。
「うん。転校したてて短い付き合いだが」
「あんた、生徒会長とか言ったわね」
 杏が聞いてくる。かなり冷えた口調なのが気になった。
「一応そうなっているが、今は特に関係ない」
「そんなのはどうでもいいわ。ということは今は二年生?」
「ああ、そうだ」
 杏の冷ややかな態度に気づかないのか、智代は落ち着き払って答えていた。
「そのわりには上級生への態度がなってないんじゃない。こいつ、これでも三年生よ。
勿論あたしもそうだけど」
「これでもってなんだよ」
「落第寸前の落ちこぼれなんだからいいじゃない」
「……」
 言い返したかったが、やぶ蛇になりそうな気がして口ごもる。
 杏の方も俺はどうでもいいのか、視線は智代に定めたままだった。
「それでどうなの?」
「その、すまなかった。あなたの気に障ったなら許して欲しい」
「謝るのは、あたしじゃないでしょうが。こいつでしょ」
「おい……」
「外野は黙ってる!」
 外野じゃない。
「だが、私はこいつとは……」
「こいつ呼ばわり?」
「お前だって俺のことこいつとかあんたとか言ってるじゃねえか」
「あたしはいいのよ。同い年なんだし」
「そう絡むなって。悪いな、智代」
「いや、確かに人前では礼がなっていないと思われても仕方がないことだった。軽率
だったと思う、すまない」
「いいっていいって。今更お前に敬われても背中がむずかゆくなるだけだ」
「それは私が礼知らずということか?」
「そうじゃないって」
 今度は智代がムッとする番だった。
 なかなか上手くいかない。
「そうじゃないの?」
「もうこの話は終わりにしよう。俺がいいって言うんだからいいんだ。で、あー」
 何だかかなり間が空いてしまったが、互いの紹介の途中だったことを辛うじて思い
出す。
「それでこっちが……」
「藤林椋さんと言うのだろう?」
「え?」
「はあ?」
 俺たちの表情にも気づかず、智代は続ける。
「実は一度朋也のクラスに行った時に付き合っているという話を聞いた。言うのが遅
れたがおめでとう」
「いや、その……」
 こういう時は、どう言ったらいいんだろう。
「その時に遠目で見た時の印象とは違うようで少し驚いている」
 目が少し悪いからそのせいかも知れないがと呟いてはいたが、多分それは椋だろう。
「実に女の子らしいなと憧れ……
「あたしは椋じゃないわ」
「え?」
 怖っ。
 まるで地の底に引き擦り込むような声。
 そんな空気にも関わらず、智代は首を傾げるだけだった。
 やっぱり大物は違うのだろうか。それともただ鈍いだけか。
「あたしはその子の姉の藤林杏よ。双子だからって簡単に間違えないで貰いたいわね」
「そ、そうだったのか……それは本当にすまなかった!」
 あわてて頭を下げる智代だったが、
「しかし……まてよ、確か……」
 何かを思い出そうとして呟いていた。
「朋也!」
「な、なんだよ」
「お前まさか、ふたまたというのは本当だったのか!」
「なんでだよっ!」
「そうか、だから前に私に廊下で会った時も赤い糸がどうとか言ったのか! からか
っていたのだな!」
「ちょっと待て、壮大な勘違いを膨らますな!」
 第一あの時もちゃんと冗談と言っておいたじゃないかよ。
「お前はそういう奴ではないと思っていたのに……見損なったぞ!」
 駄目だ、こいつ聞いてねえ。
「赤い糸? へーえ、朋也。それあたしもちょっと興味あるわね」
 智代に抗議していた、俺に対してぽんと肩を叩かれた。
 振り向きたくなかった。
「い、いやそれは……」
 ぎりぎりぎりと物凄い力で肩を引っ張られる。
 それだけで泣きそうだ。
「あんた、この女にそんな事言ったの?」
 バランスを崩して倒れそうになるのを堪えながら、無理矢理振り向かされるとそこ
には満面の笑顔の杏の顔があった。
「いや、だから、それは」
「言ったの?」
 笑顔で聞かないで下さい。
「そ、それはおまじないが……あ痛っ!」
 思わず飛び跳ねる。
 正面から思いっきり弁慶蹴られた。
「おまじない? ふーん、嘘つくにしてももっとマシなものを聞きたいかな、あたし
は」
 どっちにしろ許す気はないけどと付け加えながら、ぽきぽきと指を鳴らす。
「本当だって! その頃春原とちょっとしたブームになってたんだよ!」
 足を抱えてのた打ち回りながら必死に弁明する俺。
 超格好悪いが、命には代えられない。
「ど、どっちにしろ軽いお遊……うげっ!」
 体が一瞬宙に浮いた。
 後ろから思いっきり尻蹴られた。
「遊びであんなことを言ったのか。やっぱり最低じゃないかっ!」
 凄く嬉しかったんだぞ、それなのにとか呟く智代の声など耳に入らず、更にのたう
ち回る。春原の気持ちが少しだけわかった気がする。
「ちょっと、これを蹴るのはあたしの務めよ。邪魔しないでくれないかしら」
「うぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!」
 杏が俺の右手を踏み抜きながら、智代に食って掛かる。
「これは友人同士のスキンシップだ。これくらいいいじゃないか」
「うぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!」
 智代も怯まずに向かい合う。俺の左手を踏み抜いて。
「というかどっちも違う! 俺の体は俺のだ!」
「うるさい」
「黙っていろ」
 抗議は無視ですか。お嬢様方。


「じゃあ勝負しましょう」
「勝負?」
「ケンカじゃあんたに勝てる自信はないし、折角ここにいるんだから」
 そう言って周りを見渡す。
 俺の悲鳴すら届いていないのか、係わり合いを避けられたのか、自動販売機前とい
う場所的に後者のような気がして少し悲しいが、誰もが俺たちの喧騒を無視してボウ
リングを勤しんでいる。
「負けた方が勝った方の言うことを一つ聞く。これでいいでしょ?」
「ああ、私は構わない」
 智代が頷くと、それまで立ち込めていた一雨来る前のどんよりとした曇り空のよう
な空気が変わる。代わりに静電気でも起きそうなチリチリした異様な緊張感が漂って
いた。 
「智代、いいのか。あいつ無茶苦茶上手いぞ」
 蹂躙から解放された両手に息を吐きかけながら、智代に声をかける。
「私を心配してくれるのか?」
「あ、いや……」
 智代はスポーツ万能そうだし、何よりボウリング経験があるのならかなり上手な部
類に入るのだろう。だが、さっきの杏の腕前を見ているので、どうしても杏有利に思
えてならない。それに、杏が勝ったらどんな無茶なことを言い出すか判らないという
不安もあった。
「気遣ってくれるのは嬉しいが心配はいらない。それよりも、早く彼女の元に戻らな
いとまた機嫌を損ねるぞ」
「げ、やばっ……」
 確かに、前を歩く杏は肩を怒らせているように思える。これ以上怒らせるとどうな
るかわからない。
「じゃあ」
「ああ」
 少し寂しげな笑みを浮かべた智代の隣を離れて、先を歩いていた杏に追いついた。
「きょ―――」
「コウモリ男」
 素晴らしい出迎えの言葉だった。


「あたしから行くけど、いい?」
「ああ、構わない」
 ストライクの応酬から始まった杏と智代の一戦は、それからも当たり前のようにス
トライクが続いていった。杏はさっき知ったが智代も想像以上に上手い。いや、俺如
きが上手いなんて言える立場じゃないぐらいに次元が違う。
 最初からの連続ストライクが止まっても二人の勢いはそう衰えない。
「よしっ」
 軽く拳を握ってガッツポーズを取る智代。
 7番ピンと10番ピンのスプリットをスペア。手元にあった冊子の用語集によると
あの状態をスネークアイとか言うんだそうだが、上手くスペアにした。
「もうっ、床が歪んでるんじゃないのっ」
 ダンと床をシューズで踏み鳴らすマナーの悪い杏。
 ストライク数は智代より僅かに上だが、スペアに多少梃子摺っているようで、平行
に残ったピンを落としきれないミス。
 それでも勝負という意識があるのか、共に序盤の勢いはないものの、相変わらず接
線だ。
 共に真剣で、俺のことなど忘れたかのように投げ合っている。
「……暇だな」
 どっちに応援するでもなく、眺めるだけの立場からすると退屈この上ない。
 自分の上達の為にと智代のフォームを観察しているが、しかしアレって、どうなん
だ。手から落とすようにすれば上手く転がるのか? 腕で投げようとすると失敗する
のはわかるが、あんな風にボールを曲げるようなやり方がよくわからん。
「――っ!」
「よしっ」
 二人の声に慌てて顔を上げると、智代のレーンで無傷のピンが残っている。ストラ
イク直後の痛恨のガーターのようだ。これで差は逆転。
 その後はミスを忘れたように挽回する智代が、優位に立ったためか丁寧に投げ始め
た杏を追いかける展開。
「狙い過ぎたわね……」
 そう言って舌打ちをする杏が最終レーンを終えた時には、彼女は198のスコアを
叩き出していた。智代は9レーンスペアで、一投目でストライクを取れば183。連
続ストライクが必須だった。
「多分、彼女は決めるわね」
 神経戦のつもりなのか、ボールを布で磨く智代に聞こえるような声で俺にそう言っ
てくる。
「そうだな」
「ちょっ……朋也!」
「まあ黙ってろって」
 そんな俺たちのやりとりにも動じた素振りを見せず、ゆっくりと助走。数歩で加速
し、そのまま手首をひねらず、軽く腕を振り上げるだけのスイング。
 彼女の細い指から放たれたボールは、軽く弧を描いてレーンの右側から回り込み、
その先にある10本のピンの先頭と二列目のピンの真ん中のゾーンへと吸い込まれて
いった。すぐさま威勢の良い音を立てて全てのピンが跳ね上がった。
「あいつは、決めるよ」
「そうね」
 今度は杏も反論しなかった。
「でも、そう言い切るあんたはムカつく」
「はは、あははははは」
 笑って誤魔化すしかない。
 そんな俺の空虚な笑い声を余所に、二投目、三投目と智代はストライクを決めてい
った。そうなることが最初から、当然のように。


「今日のところは完敗ね、はい」
「ありがとう」
 杏がやれやれと言った表情でタオルを手渡すと、額にうっすらとした汗をかいてい
た智代が笑顔で受け取った。
「それでどうするの?」
「どうするとは?」
「賭け。あんたの勝ちだから何でもいいわよ」
「そうか、そうだったな……」
 まるで自分が敗者のように俯く智代。
 だが、それも一瞬。
 顔を上げて、杏を正面から見据える。
「な、何……?」
 杏はそんな彼女の真剣な眼差しに見つめられて怯む。
「その……良ければ……友達になってくれないか」
「いいわよ」
 即答。
「え?」
 そのあっさりした返事に横にいた俺の方が面食らう。
「こんな場所で一人でいたってことは、普段発散できる相手がいないんでしょ」
「……え、あ、ああ」
 一瞬呆けていたらしい智代の素振りに頓着せず、杏は続ける。
「うちの学校は進学校だから、真面目な奴や推薦できたようなスポーツ馬鹿ばっかり
で、ガキみたいに無邪気になって遊ぶ機会なんてそうないもの」
 俺の手からさっき買ってこさせたばかりのジュースを二つ奪うと、一つを智代に渡
し、自分の分もプルタブを押し込んでそのまま一口飲み干す。
「自分でわざわざ選んだ学校だし、別にそういうのが一概に悪いってわけじゃないけ
ど……どうせなら楽しくやりたいものね」
「ありがとう、藤林先輩」
「杏でいいわよ。友達なんだから」
 打ち解けた二人に少し距離を置きながら、俺はさっきの勝負の結果をスコア表示パ
ネルを眺めるようにして視線を逸らした。
 別に二人が眩しかったというわけじゃない。
 そんなのは今更だ。
 目標に向けて真っ直ぐに突き進んでいく智代に、全ての物事に対して前向きで向き
合っていた杏。
 二人の立つ位置こそ俺に近かったものの、彼女達が向かっていく先は遥かなる高み
に聳え立っている。
 俺はただ見上げるだけ。
 諦めてしまっていたから。
 途中で投げ出してしまっていたから。
 けれども、こいつらは俺をそうは見ていないらしい。
 だからこそ、こうして側にいるのだろう。
 もしくはまだ歩き出せると思っているのか。
 信じているのか。
 この俺を。
「そういうのはガラじゃないんだけどな」
 杏が俺を好きになったというのは、どこか俺という人間を買い被っているからに他
ならないと思う。
 そして俺はその買い被りに対して、できるだけ応えなくてはならない。もしお互い
が他人のままなら迷惑の一言で済んだが、こうして付き合っている以上はそうはいか
ない。
 人を好きになるということは、その相手に責任を持つこと。
 椋との付き合いで、それを痛烈に知った。
 ただ好きだのなんだの、こうしたいああされたいだけで済む問題じゃない。
 色々と楽じゃないし、随分と苦労も多い。
 それでも、一緒にいられることを望むからこそ、楽しいと思えるからこそ、恋愛は
凄いことなんだろう。
 そしてそれが義務でも責任でもなく、当然のことだと気負い無く思えるようになっ
た時、家族となるのだろう。
 俺たちが、そこまで辿り着けるかどうかはわからない。
 けれども、そうなれたらいいと思える自分がいる。
 それは恐らく杏のせい。
 ならばきっと、大丈夫。

「さて、そろそろ時間も押してるし、出ようぜ」
「そうね、智代はどうする?」
「私はそろそろ行かないといけないのでこれで失礼する」
 本当に用事があるのか、俺たちに気を使ったのかはわからないが腕時計を見た智代
がそう言う。
 杏と智代。
 この二人はもっと早く出会っていたら、もっと早く打ち解けていただろう。
 恐らく二人もそう思っているに違いない。
 きっかけは些細なこと。
 俺と出会ったばかりの杏は、今の智代のような立場だったのかも知れない。
 やると決めたらやり通すものの、同じやるなら楽しくやろうとする杏にとってウチ
の学校は些か窮屈で、俺のような存在がが珍しく映ったに違いない。
 まあ杏も智代も俺や春原のように年中外れていたわけじゃないが、俺たちのような
馬鹿をやるのが楽しいと思える者同士で打ち解けて仲良くなって、こんな場所に一緒
にいるんだろう。
 きっとこういう時間の楽しさと、大事さを知っているから。
 そしてそれはここだけじゃない。
 どこでだって俺達は楽しく過ごせる。
 こんな俺達なら、きっと。


「じゃあまた、学校で」
「ああ。また学校で」


 だからこそ今は、軽い別れの挨拶で。



                             <完>