『お願い』




「約束しようよ」


「…?」
「約束?」
 みちるの言葉に俺と美凪は意表を突かれた。


「そう、二人と約束」
 躊躇無く、みちるの言葉は続く。
「というより、みちるのお願いかな」
 フェンスの向こうで、にゃはは…と笑う。


 それがいつものみちるの声。
 背中合わせに話していて、決して互いの顔は見えないというのに俺にはそのみちるの笑顔を思い浮かべるのは容易だった。
 今彼女が浮かべているのは、きっといつもの通りの楽しげな笑顔だろうから。


「えっとね。国崎往人…」
 まずは、俺かららしい。
「…なんだ?」
「国崎往人は大事な人をずっとさがしているんでしょ?」
「…ああ…」
 正直、忘れかけていた。
 今、この瞬間では。
「あのね、その子を見つけてあげて」
 みちるが言う。
「その子は、ずっと国崎往人が来るのを待ってるから」


 ――この空の向こうには、翼を持った少女がいる。
 ――それはずっと前から。
 ――そして、今、この時も。
 ――同じ大気の中で、翼を広げて風を受け続けている。


 幼い頃から母親に子守り歌代わりに聞かされ続けた言葉。
 俺が、俺の母親が探し続けた人。


「遠い空の上で、ずっと悲しい夢を見続けながら待ってるから」


 ――彼女の体はそこにあって、彼女はもうそこにはいない。
 ――ずっと、繰り返される悲劇の中にいる。
 ――それは悲しいこと。
 ――悲しいことだから…


 その言葉に母親の言葉が重なる。


「早く、見つけてあげて」
 俺にはみちるの気持ちが分った。
 その少女から羽を分け与えてもらって美凪の前に下りてきた彼女だったから。
 その少女に楽しさを持ち帰る為にやってきた彼女だったから。
「…ああ、わかってる」
 だから俺は力強く答えた。
 みちるの為に。
「みちるは、一足先にその子の所に戻るから」
 少女の為に。
「美凪と国崎往人にもらった楽しい思い出を持って、その子の所に戻ってるから」
「…ああ」
「それでね…」



「国崎往人がその子を見つけたら、伝えてあげて欲しいの」


「もっとたくさんの楽しいことを
 悲しい夢から、解放してあげて」



「………」
 みちるの想いが、伝わってくる。
 痛いほど。
 切ないほど。


「ああ、約束だ」
 俺はしっかりと頷いた。


「でね、美凪」
 次は、美凪の番らしい。
「美凪は…」





「その間にいい人を見つけてね」





 …はぃ?





「いつまでも延々と旅を続ける国崎往人のことは忘れて、いい人を見つけてね」
「ちょっと待て、このガキ」
 俺の制止の声を無視して、更にみちるの言葉は続く。
「決して安易に自分の人生を決め付けないでね。これからも一杯、出会いがあるから」
「おい」
「一夏の思い出、一時の気の迷いに囚われないでね」
 金網越しにつかみ掛かる俺を平然と見据えて、
「そして国崎往人は一生、旅を続けてね」
 と宣う。
「………」
「その子のことを大事にしてあげて」
「え……」
「国崎往人は売約済みだから……」
「お、おい……」
「だから国崎往人は二度とこの町に帰ってこないでね」
「……」
 隣で美凪は俯いていた。
「美凪…」
「約束だよ」




「…うん」




「ちょっと待て!」
 何か勝手に商談が成立してしまっている。


「今、怒ってる…?」
「ああ」
「…うん」
「みちるに?」
「ああ」
「…ううん」
「え?」
「じゃあ国崎往人に?」
「…うん」


 がーん。


「本当に?」
「…うん」
「じゃあ嫌い続けて…」
「…うん」
「そして…嫌ったままばいばいって言って」
「………」
「………」
「………」
「…美凪…」
「ねぇ…」
「みちるも嫌ってる?」
「うん、嫌ってる」
「迷ってなんかない?」
「うん、迷ってないよ」
「別れは…辛くない?」
「うん、辛くない」
 みちるの声の調子が微妙に変わった気がした。
「だって…」



「嫌ってるもん」



 そんなに俺が嫌いか、オマエラ。



「うん…」
「怒りは、人の心を刹那にしてくれるから」
「うん…」


「ずっとずっと怒り続けて…
 世界が国崎往人嫌いでいっぱいになって…
 みんなが、排他的になって生きていけたらいいね…」


「………」
「うん…」



 星が瞬き、世界が眠りにおちていく…。
 静かに吹く風がそっと夢の目覚めをささやきかけてきた。



 手の伸ばしてももう届かない…。
 抱き締めたくても触れることさえ叶わない…。




 見る見るうちに地表が迫ってきた。
 屋上から、二人掛かりで蹴落とされた故に。




「往人さん…ばいばい…」




 あまりに切ない夢…。





 その後、俺はそらとなって少女を捜し求める事になるのだが、それはまた別の話。






                                  <おしまい>