会いに行こう

文章:久々野彰  挿し絵:村人。様 

2000/09/23


「いい加減、この味にも飽きたよな……」
 昨日と同じ65円バーガーをパクつきながら、俺は昨日と変わりの無い科白を呟い
ていた。
 いや、一昨日から。
 いやいや、その一昨昨日から。
 いやいやいや、その前からずっとこんな事を言っている。

 ここのところ、実入りが乏しい。
 こんな不景気な街は一刻も早く早く立ち去りたいのだが、次の都市へ行く交通費す
ら厳しい程の懐の寂しさでは、この長逗留も止むをえない。

「ラーメンセット食いてぇ……」
 そう呟いてみる。
 生姜焼き定食でも、カツ丼でも五目焼きソバセットでもいいが、やっぱりここ一番
はラーメンセットに限る。
 口の中にご飯を頬張って、咀嚼しながらレンゲで掬ったつゆと共に呑み込む様を想
像する。
 麺とご飯を交互に楽しむ様を脳裏に思い起こしてみる。
 俺は思わず唾を呑み込む。
 と同時に、

  ぐー…

 腹が鳴った。

「………」
 俺は紙袋から取り出した二つ目のハンバーガーの包みを開いた。
 空腹を満たす程の量まで買えるものは限られている。
 最近はパンの耳でさえ、なかなか簡単に入手できない御時勢だ。
 無頼の旅人に、不景気な世間は厳しい。
 この味気の無い食事にはかなり飽きていたが、それ以前に空腹には耐えられない体
質なので我慢するしかない。
 空腹は俺の最大の弱点で、腹を満たせないと俺は何もすることができない。

 俺は潮のにおいが風に乗ってやってくる海岸公園のベンチで、さっき食べたのと変
わりの無い、この数日全く変わりの無い味を口の中で味わっていた。
 柵の隙間から見えるなだらかな水平線を眺めながらのこんな食事も、ここ数日続い
ている。
 時折、穏やかな波が生まれるだけの海の景色は、海辺から少し離れたここからでも、
どこの場所から見てもそんなに変わりはない。

「………」
 海に接した街にいると、かつて立ち寄った町の事を思い出す。
 はじまりは堤防に登って座りながら、
 あの時食べていたのはおにぎりで、

 空を飛んでいるような少女が――
 すぐ隣に――

「………」
 今にして思えば、彼女を見たあの時が一番、俺が空の向こうにいる少女の存在を感
じた時だったように思える。
 そう言えば一時の宿を借りた彼女は一体どうしているだろうか。
 今にして思えばあまりにぞんざいにあしらい過ぎた気がする。
 鬱陶しく感じた筈の出来事が、今にして思えば懐かしい思い出に変わってしまって
いた。
 いや、本当は判っている。
 俺自身が変わっていたから。
 あの少女と別れた後、あの町で変わっていたから。

 長い旅の途中で多くの人間と知り合ったが、特に親しくなるほどの事はなかった。
 今までは、一度も。
 あの町に行くまでは。
 俺は他人と関わり会う事自体が好きではない。
 だからこそ、旅をする上で損ばかりして来たし、不便な事も多かった。
 自分が人付き合いが下手とは思わなかったが、自分の身近な存在として他人を寄せ
付ける事に本能的に抵抗を覚えた。
 それが変わったのは、あの町にいた頃だ。

 俺は旅をしている。
 ある人を探す旅。
 それは長い旅。

 町から街へ
 村から都市へ

 色々な土地を旅し続けていた。
 道中の道連れは、一体の古ぼけた人形。

「………」
 俺は食べ終わったハンバーガーの包みを紙袋に入れてまとめて丸めると、立ち上が
ってベンチ側のごみ箱に放り込んだ。
 そしてゆっくりと海の方へ歩き出しながら、ポケットにしまい込んだままにしてあ
った人形を取り出して眺めた。
 俺の旅の唯一の相棒であり、大事な商売道具でもある。
 この人形を手を使わずに動かす事の出来る力――法術と呼ばれる力を俺は持ってい
る。
 そしてその力で人形芸を続けて、路銀を稼いでいる。

 旅の目的は約束を果たす為。
 母親から、「力」を持つ者だけに代々受け継がれた約束。
 そして旅先で出会った、ある女の子との約束。
 その女の子と共に出会い、一夏の思い出を過ごした一人の少女との約束。

 約束。
 俺には捜し求めている人がいる。
 空の向こうにいる少女。
 自由に空を駆ける翼を持った人間。
 深い悲しみの中で彼女はもう一人の自分を見詰め続けている。
 そんな少女の存在を追い求めて、俺は旅を続けていた。
 人から見たら、ひどく子供じみた、馬鹿げた夢を追っていると言われるだろう。
 けれども、俺はその少女に会って大切な事を伝えなくてはならない。

 約束。
 自分の家族を幸せにする為に、彼女の羽を貰って降りて来た女の子。
 悲しみを背負い続けたその少女の為に、沢山の幸せな思い出を持ち帰ってあげた女
の子。
 俺はその子と約束をした。

 ――あのね、その子を見つけてあげて
 ――その子は、ずっと国崎往人が来るのを待ってるから

 ――それでね…
 ――国崎往人がその子を見つけたら、伝えてあげて欲しいの

 ――もっとたくさんの楽しいことを
 ――悲しい夢から、解放してあげて

 約束。
 その女の子との約束を果たしたら、必ず彼女の元に帰って来ると俺は言った。
 どこか風変わりで、何を考えているのか判らないような彼女。
 記憶の片隅にある母親の笑顔に似た、優しい瞳を持った彼女の顔はいつでも思い浮
かべる事ができる。
 たった一ヶ月ぐらいしか共にいなかったというのに、どうしてここまで俺は彼女の
ことを想い続けているのだろう。
 旅先での他人とのふれあいはいつも淡白で、深く刻まれることなく直ぐに遠ざかっ
ていくものなのに。

 彼女との出会いは幻想的で、そんな毎日が続くことなど考えもしなかった。
 彼女との毎日は独創的で、そんな交流は戸惑いの連続で、振り回されてばかりいた。
 彼女との交流は叙情的で、そんな時は俺が忘れかけていたり、見失いかけていたも
のを思い出させてくれた。
 彼女との時は夢想的で、さめてしまうことを恐れてしまうほど切なかった。

 彼女が見続けていた夢は、彼女と共に居た女の子と俺が目覚めさせた。
 それが彼女を本当に幸せに、毎日を笑える為に必要な事だったから。
 その為に女の子はいて、その役目を俺が引き継いだ。

 夢からさめることを恐れる、
 心から笑えることを恐れる彼女はもういない。
 彼女には思い出があるから。
 たくさんの思い出が。

 ――美凪はいつも笑っていてね
 ――思い出があるかぎり、みちるはいつも美凪と一緒だよ

 ――だから笑って
 ――みちるとの思い出を、ずっと楽しい思い出にしていてよ

 女の子と、彼女との約束はもう果たされている。
 彼女はいつも笑っているから。
 俺の思い出す、彼女の顔はいつでも笑っているから。

「………」
 旅の目的が果たされれば、俺は帰りたいと思っている。
 俺の約束を果たせば、すぐにでも帰りたいと思っている。
 女の子と共に出会った彼女の元に。
 共に家族として過ごした彼女の元に。

 だが、俺はまだ……

 翼を持った少女を見つけられていない。

・
・
・

 俺は公園を出て、浜辺に近い堤防に腰を下ろした。
 そして海の向こうを――見えない遠くを見つめていた。

 彼女と約束してから、一年が経とうとしている。
 俺は未だに旅をしている。
 根気よく人形を操った芸で、路銀を稼ぐ。
 それだけの毎日。
 何のあてもなく、
 保証もなかった。

 希望を捨てたわけではない。
 諦めた事も一度もない。
 けれども、探し人を見つけられる日がいつ来るのか、
 どれだけ探せば見つけられるのか、
 全く見当も付かない。

「………」
 物思いに沈む。
 寂しさを覚えてしまったのは、少し失敗だったかもしれない。
 今まで忘れていた感情が、俺を押し包んでくる。
 潮風が、今の俺のスカスカな胸中を潜り抜けるように吹きつけてきた。
 その時、

 サラリと何かが首筋に触れた。

「……うん?」
 振り返る。
「…?」
 誰もいない。

 …気のせいか?

 首筋のあたりをさすりながら、首を傾げた。

 ぽんぽん。

 肩を叩かれた。

「ん?」
 振り返ろうとして、思い留まる。
 この経験は、一度あるような気がした。
 そう、過去に一度。
 一年前。

「………」
 いや。
 振り返ってもまた、誰もいないのだろう。
 こんな芸当をするのは――

 いや、ただの子供の悪戯だろう。
 考え過ぎだ。

 ぽんぽ…

 再び肩を叩かれると同時に、俺は素早く振り向いた。
 この一瞬はマッハを超えたように思えるほど。
 そしてその視界の果てに、俺の肩に手をかけたままの姿が入ってきた。
 そう、顔も知らない悪戯好きなガキがそこに…

    美凪「…じゃん」

「…じゃん」
 その大仰な言葉の割には、声の調子は物静かだった。
 そしてその物腰も。
 見覚えのある顔が、そこにあった。
 幾度も見た顔が、そこにあった。

「………」
「………」
 夏服が、長いその髪が潮風に吹かれてなびいている。
 どこか満足げな微笑みを浮かべている。
「………」
「………」
 一方、俺は驚愕して固まっていた。
 振り向いたままの姿勢で動けなくなっていた。
「………」
「………」
 まるで時が止まったように。
 世界が凍り付いたように。
「…ごめんなさい」
「………」
 先に声をかけたのは彼女の方からだった。
 が、俺は言葉がまだ出なかった。
「………」
「来ちゃいました」
「………」
「………」
「と、遠野……」
 やっとのことで、俺は掠れた声を振り絞る。
「………」
「どうして……」
 混乱した思考がまとまらないままだった。
 が、その言葉を言いきる前に、
「違います」
「へ?」
 そう彼女に遮られた。
 少しだけ、彼女の表情が厳しくなる。
「…美凪、です」
「あ、ああ」
 顔を赤くしながら微笑む彼女。
 俺も頬が熱くなるのを感じた。
「…驚いちゃいましたか」
「あ、ああ」
「そうですか、驚いちゃいましたか……」
 やや、誇らしげ。
「………」
「………」
 感動の再会と言っていいのかも知れないが、幾分この沈黙の意味合いは違うように
感じられる。
 初めて会った時から、こんな長い沈黙は珍しくなかった。
 この時、懐かしさを初めて実感した。
「…やった」
 やっぱり誇らしげ。

 ……遠野美凪がここにいた。

「どうしてここまで来たんだ……いや、どうして探し出せたんだ?」
 今まで電話どころか手紙さえ出した事はない。
 この日本の中で目的地の無い旅を続ける俺を見つけ出す事は、尋常ではまず不可能
な筈だった。
 俺が捜し求める人よりは探し易いのかもしれないが。
「…お米券」
 出掛けに、沢山餞別として貰った。
 雨が続いたりして路銀が思うように稼げない時は随分とこれのお陰で助かった。
 そしてそれぞれ一枚一枚にナンバーがついている。
 これらが使われた店を調べて回って俺の道のりを辿って来て、人形を使って芸をす
る俺の事を訊ねてまわったのだそうだ。
 不思議な芸をする俺の存在は、人の記憶に残りやすかったらしい。
「…まわったのです」
「のです……って、どうやって店とか調べられたんだ。いや、それよりも全ての券の
ナンバーを控えてたのか!?」
「…秘密」
「………」
「………」
 謎は深まる一方だ。
 更に追求しても答えてくれそうに無い。
 その事を聞くのは止めておいた。
 俺はその場に座り直すと、別の事を聞く。
「そう言えば出掛けに言っていた妹……は、どうしたんだ」
「…お友達に、なれました」
「そうか」
「はい」

 …やっぱりあいつみたいに元気なのか?

 そう聞くことにちょっと躊躇いがあった。
 が、美凪はそんな俺の胸中を察したように静かに微笑んだ。
「…とても可愛いですよ」
「そうか」
「ええ。とっても」
 思い出したようにうっとりするその表情に、嘘はなさそうだ。
「みちるにも往人さんを紹介する約束をしました」
「………」
 そこで美凪は俺の横に腰を下ろすと、みちるの話をし始めた。
 話を聞くと彼女の父親とはまだ会っていないのだそうだが、気にする事はないだろ
う。
 美凪に手紙を送った時点で、父親と美凪の距離は再び近くなれたのだろうから。
 お互いの気持ちの整理が少しずつでもつけば、皆もっと楽しくなれるだろう。
 そしてそれは、約束を交したあいつの願いでもある。
 自分の家族の事を話す美凪はとても楽しそうで、そんな美凪の顔を見るだけで俺は
嬉しかった。
 そして一年が経ち、美凪は高校を卒業した。
 沢山の大学を推薦されたが、彼女はどれも選ばなかった。
 今、俺の目の前にいるのがその理由だ。

「お袋さんには承諾を取ったのか?」
「…はい」
「………」
「…母にはちゃんとことわって出ましたから」
 彼女は安らかな微笑みを浮かべる。
「大丈夫です。それに…」
 彼女の言葉を聞きながら、俺は立ち上がった。
 構わず、彼女は言葉を続けた。
「世界を見せてくれると…」
「………」
 彼女を、見た。
「…夢なんかじゃない、本当の世界を見せてくれると……」
「………」
「………」
「そうだったな」
 確かに俺は言った。
 あの時は彼女をいるべき場所へ帰す為――忘れ物を取りに行かせる為の言葉だった
のだが。
 夢の世界に閉じこもったままの彼女を外に出す意味の言葉だった。

「行くか?」
 だが、思わず俺は答えていた。
 そんなことは今の彼女には当然判っているだろうし、その上で敢えて言っているよ
うに思えたから。
「もっと更なる多くの世界を見つけに」
「…はい」
 差し出した俺の手を掴んで、

 彼女は立ち上がった。

 そこには飛ぶことを躊躇い、彷徨っている彼女の姿はなかった。
 彼女は俺の側に居場所を定めて、羽ばたいて来たのだから。
 もう飛べない翼に意味を求める必要はない。
 彼女はまた、飛び立つ事が出来ているのだから。
 こうして俺の前に。

「ひとつだけ、聞きたいんだが…」
 本当はひとつだけじゃなくてもっと沢山聞きたいことがあるのだが。
 それはまたの機会にしておく。
 いくらでも、機会はあるのだから。
 これからは、ずっと。

「…なんですか?」
「やっぱり持ってきているのか、あれ?」
「………」
「………」
「………」
「………」
「…はい」
 コクリと頷いた。
 意味が、通じたらしい。
「何枚程?」
「およそ204枚」

 遂に三桁突入か。

「随分と持ってきているな」
 思わず頬が綻んでしまう。
 全てが懐かしくて、楽しくて、嬉しかった。
「…これでも、足りないかも知れません」
「そうか?」
「…はい」
 そうかも知れない。
 俺の旅が、俺たちの旅が続く限りは。

 空を見上げた。
 ここ毎日は同じ空が続いている。
 あの時と同じ夏の空。
 あの日と変わりない真夏空。

 ――この空の向こうには、翼を持った少女がいる。
 ――それはずっと前から。
 ――そして、今、この時も。
 ――同じ大気の中で、翼を広げて風を受け続けている。

 幼い頃から母親に子守り歌代わりに聞かされ続けた言葉。
 俺の記憶の中での話は、いつもここで止まってしまっていた。

 ――彼女の体はそこにあって、彼女はもうそこにはいない。
 ――ずっと、繰り返される悲劇の中にいる。
 ――それは悲しいこと。
 ――悲しいことだから…

 それはまだ俺には判らない。
 俺はただあの空の向こうにいる少女を求めて、
 辿り着こうといつだって手を伸ばし続けてきた。

 そして今はその少女の見続ける悲しい夢から、手を引いて助け出すつもりでいる。
 悲しみだけが夢じゃないから。
 楽しいことが沢山あることを教えられるから。

 それは目の前の彼女が証明してくれる。
 俺の側にいる彼女が。
 だから恐れることなく会いに行こう。
 きっと見つけ出してやろう。

 会いに行こう。
 いつかきっと。
 必ずきっと。

 会いに行こう。
 これ以上悲しい思いをさせないように。
 これ以上寂しい思いをさせないように。


 ……会いに行こう。


 必ず、いつかきっと必ず……


「行くか」
「…はい」
 俺が振り返ってそう声をかけると、美凪は頷いた。

 頬を撫でられたような感じがした。
 風が、優しく俺たちの元を吹き抜けていった。

 美凪と手を繋ぐ。
 そしてゆっくりと、また俺は再び歩き始めた。

    往人「行くか」 美凪「…はい」



 俺たちの旅はいま、始まったばかりだったから……。






                            <完>




 久々野です。
 SS自体の出来としてはあまり良くはないかもしれませんが、ファンアート(爆)としての思い入れを感じていただけたなら幸いです。
 美凪シナリオは(も)納得行かない部分とかありましたし。
 正直、こういう蛇足SSは邪道だという気もします。
 再会シーンが欲しいとAIRレビューで書いたこともあるのですが、再会は二度と無い――そんな気も少ししていたり。それでいいのだという気もします。その方が「別れは必然」という美凪シナリオのテーマに似合っている気がしますし。けど、それが物寂しいと感じる自分もいて、こんな物を書きたくなりました。
 SSというよりも本編のおさらいと内容の整理みたいな部分が多いです。
 原作は観鈴シナリオに行かない限り、全ては無視状態になってしまっています。
 残りの両シナリオ共、旅の目的の人(観鈴)と出会っていながら、最後までそれに気づかないまま終わってしまうというストーリーになっているので。
 早い話、実も蓋も無く言えば、
「いくら再会を約束しあっても、探し人が観鈴である限り、往人がどこへ行こうとも見つけられるわけはない」
 だったら、美凪から会わせに行くしかないとか思いまして。二人が再会するには。
 二人での旅の途中、みちるに会いに行く為に町へ戻る。
 そして観鈴と再会して……そう話を持っていく以外、自分で納得できるオチにはなりそうも有りませんでした。後味悪く終わらせないように考えると。

 今回、村人。様よりSSの挿し絵を戴きました。
 ヘボいシナリオのゲームもBGMの音楽が良ければそこそこ見られるようになるのと同様、挿し絵がつくとこんなにもSSが引き立ちます。
 わざわざ場面指定や細かな描写指定までさせて戴いたお陰で、見栄えがいいどころの話ではなくなっていて非常に嬉しいです。
 村人。様、本当にありがとうございました。


挿し絵の村人。様への感想はこちらへ




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