『挑戦』
 





「はぁっ… はぁっ… はぁ…」
 恭也は追い詰められていた。
 かつてここまで彼を怯えさせる存在はあったただろうか。
 これは最早特訓でも訓練でも修行でも手合わせでも決闘でもない。


 ―――処刑、だった。



 事の発端は些細なことだった。


 美由希の実の母親の御神美沙斗さんによる、フィアッセ達のチャリティーコンサー
トへのテロ騒ぎも美由希の活躍で無事解決し、平穏な日々が戻ってきていた。


「はぁ――――っ!! たぁ――――っ!!」


 美由希は確かに強くなった。
 危惧していた初の実戦でも何ら怯む事もなく、最後まで戦い抜いた。
 恭也が超えることの出来なかった域を超えるのもそう遠くはないだろう。
 恭也は膝の故障が癒えるまで美由希の稽古をただ見守るしかないでいるが、今の美
由希は彼がいなくても十分にやっていけそうな感じもする。
 今だ満足に身体が動けない恭也と違い、怪我も大した事がなく、今日も道場で激し
い練習を続けている。
 だが恭也達の剣は実戦が主なのだから、立合ってでしか身につかないものの方が圧
倒的に多い。
 そういう意味では彼の怪我は成長著しい今の美由希にとっては痛い状況だ。
 赤星は忙しい身なのでそうそう呼び出すわけにはいかないし、レンや晶にはあんま
り深入りさせて彼女達のそれぞれの技術に変な癖をつけて欲しくない。
 有り得ないとは思うが美由希の方も変な手加減をしてしまわないとも限らない。
 少なくても恭也が相手のように相手を殺す気で打ちこむことは出来ないだろう。
 そのような練習は特に今は必要でない。
 しかし考えてみれば美由希の練習相手は恭也自身をはじめ、散々手の内を知り尽く
した相手ばかりだ。
 ここらで新鮮な相手と実戦的な稽古をすることは大事だろう。
 だが、問題はその相手だ。

 自慢するわけではないが、恭也達のレベルは高い。
 そりゃあもう無茶苦茶高い。
 生半可な相手ではまともに立ち会うことすら出来ない。

 そこいやの格闘家を相手にいくら戦った所で何も得るものはない域まで来ている。
 単に数を頼んだ連中との戦い方もとっくの昔にこなせるようになっている。
 美由希に必要な相手は真の実力者だけだった。


「……やはり、あいつしかいないな」
 恭也は暫く頭の中でリストアップをした結果、知り合いの現役の忍者の存在が頭に
浮かんだ。
 御剣いづみ。
 彼女の家は代々忍者の家系で、親父に連れられて全国を渡り歩いた時に知り合って
以来、恭也とは今でも何度か会う間柄だ。
 そう歳も違わなかった恭也達は一緒に良く遊んだものだった。
 親父から新しく学んだ極意を面白半分に試したり、術を教えると称して蝮の巣に誘
い込んだり、洞穴を探検中に行き別れてそのまま彼だけ出てこれたのを幸いに帰って
しまったり、最後の最後まで男だとばかり信じ込んでいたり……向こうが年上という
こともあって遠慮のあまり無い付き合いを続けている。
 今は彼女の実力も折り紙付きで、恭也が全力を出すことの出来る数少ない相手の一
人だ。
 彼女ならば、きっと美由希のいい実戦練習の相手になってくれるだろう。
 問題は今の彼女は御剣家の忍者として、非合法ながらも国家公務員の仕事を沢山抱
えていて都合良く暇がとれるかどうかなのだが。
 思い立ったが吉日。
 早速電話してみることにしよう。


 恭也は滅多に使われることのない自分の携帯電話を取り出して、彼女の住処へと電
話をかけた。


・
・
・


「うー」
 高町美由希は拗ねていた。
「いくら前もって話をつけてあるからといって、野稽古なんて気が進まないよ……」
 しかもできることなら闇討ちしてこいとまで言われている。
 自分が襲撃される側ならばいい。
 その鍛錬は飽きるほど積んできたし、恭也クラスの実力者のどんな不意打ちにも対
処できる自信は芽生えつつある。
 けれども、自分が見ず知らずの相手を襲撃するのは今まで経験が無いし、あまりし
たいとも思わない。
「いくら御神の剣が暗殺や不意打ちを兼ねている実戦の剣と言っても……」
 そういう風に恭也に散々怒られてしまったのだが、こればかりは彼女の性格だから
仕方が無い。
 だからと言って兄の言い付けを無視するほど美由希も強くはない。


 しかし良く知らない相手にいきなり襲い掛かると言うのは、何度思い返しても気が
乗らない。
 恭也曰く「相手がどんなタイプか判らないからこそ、咄嗟の判断力や観察力を養う
鍛錬になる」とのことだが、下手をすると美由希がやろうとしていることは犯罪行為
そのものではないだろうか。
 幸いというか不幸と言うか彼女は、その手の感覚が多少マヒしていて気付かないま
まだった。
 人違いだけはしてはいけないので相手の写真だけを手渡され、同時に何故か小型の
MDラジカセも持たされていた。
 着替え終わって、夜になって出掛けようとした時にMDラジカセを実際に持ってみ
る自分を振り返って美由希は思った。


「……かなり怪しい人だよね」


 夜道をMDラジカセを持ちながら歩く女子高生。
 バリバリに異常だった。
「恭ちゃんのことだから、まさかそんなに変な相手ではないと思うけど「俺の認める
知り合いの実力者が認めた実力者。俺もその人は知らないけど」なんて言われちゃう
となぁ……」
 本当はその相手に頼んだのだが、どうしても忙しくて変わりにその相手が紹介した
のが今日彼女が襲いに行く相手なのだそうだ。
 美由希は兄の説明を聞いた時にひどくいい加減な気がしたが、逆らうつもりはなか
った。鍛錬や修行に関しての兄の命令は絶対だった。
 写真をもう一度見て確認する。
 綺麗な人だった。
 こんな綺麗な人がどれ程強くて、どんな戦い方をするのか。
 そんなことを考えていくうちに少しわくわくし始めている自分に気付く。


 ――やっぱり私は御神の家の子供なんだね……。


 幾分の寂しさをため息で紛らわした。


 その相手がやってくるという公園に着くと、美由希は軽く身体をほぐすように柔軟
運動をはじめる。
 そして公園前を通りすぎる人を一人一人注意深く観察してずっとを待っていると、
写真の通りの女性がゆっくりと公園に入ってくるのが見えた。
 隠れるつもりはなかった。
 話がついているとは言え、やっぱり正々堂々と立合いたいという気分が美由希には
あった。


「あの、あなたが高町さん?」
「はい!」
 スポーツウェアを着たその女性は、幾分緊張気味に立っている美由希に声をかけて
きた。
「ごめんなさい。仕事場から一度家に帰って着替えてきたから少し遅れちゃって…」
「い、いえ! そんなことないです。こちらこそ急なお願いを聞いていただいてあり
がとうございます」
 美由希は丁寧にお辞儀をしてから、大人の魅力を漂わせる彼女の顔を見て改めて確
認した。


 …写真で見るよりもずっと美人さんだー。


 心の中だけでため息をるつく。
「御剣さんからは大雑把な話しか聞いていないんだけども……野外での立合いをする
だけでいいのね?」
「は、はい! その……」
「闇討ちでも構わなかったわよ。一応、ここにくるまではずっと気配をうかがいなが
ら来たんだけれども……」
「うぅ。す、すみません……」
「う、ううん。そんな謝ることじゃなくて……」
 別に甘く見ていたわけではなく、自分が純粋に正々堂々と立合いたいだけだったこ
とをどう伝えたものかと迷うが、言葉が出てこなかった。
「私もここのところ、基礎トレーニングぐらいしかできないでいたから」
「あ、え、ええと…… 立合う前にこれを預かって来たんですが」
 そう言って美由希は今まで脇に置いておいたMDラジカセを引き寄せた。
「え? なあに、それ……?」
「あ、兄が……じゃなくて、千堂さんを紹介してくれた人が用意してくれたらしくて
……」
 なんでも本気で戦いたければこれを使うと良いと指示してくれたものがこのMDラ
ジカセだった。
 美由希は中身に何が入っているか知らなかったし、恭也も知らないようだった。
「御剣さんが、私に?」
「は、はい」
 美由希も詳しいことは判らなかったが反射的に返事をしていた。
「一体何かしら?」
 美由希は柔らかな笑顔を向けるその女性に見惚れながらも、手にしていたMDラジ
カセのスイッチをゆっくりと入れた。

『宣戦布告変わりにMDに入ったこちらからのメッセージを相手に聞かすべし……此
れによって相手は本気で戦ってくれること間違いはなし、だそうだ』

 そんな兄の言葉を思いだしながら静かにMDが起動されるのを待った。


 チャーチャラー チャチャチャラー♪
 チャーチャラー チャラララララララララ♪


「あれ?」
 小型のスピーカーから流れてくる曲は美由希は知らなかったが、昔のアニメのOP
だった。
「?」
 女性のほうも不思議そうな顔をして聞いていた。
 音量こそ低いが、静かな夜の公園では他の音もしないので、明瞭に聞こえる。
 すると、


『バーサン バーサン バーサン♪』


 …へ!?


 美由希の動揺を余所に、MDからは快調に歌が続く。
 前の女性は振り向こうとした姿勢のまま固まってしまった。
 高く、細く、音量豊かな声がメロディーに沿って聞こえてくる。


『遠くで皆が噂する〜♪

 いたよバーサン あんなところへ
 来るなバーサン わたしのところへ

 アララ 未だに〜 行かず後家?

 バーサン バーサン バーサン

 いたよ、ホラ バーサン


 バーサン♪』


 軽快な曲と共に歌は終わったが、MDラジカセを持ったままの美由希とその前で小
刻みに震えている女性は一歩も動けずにいた。


「えー、えーと……」
 美由希が無言のまま震えている女性に慌てて弁明しようとすると、MDラジカセか
ら聞いたことのない女性の声が聞こえてきた。


『千堂先輩、お元気ですかー?』
 さっき歌っていた人と同じ声の気がした。

『初恋の人を投げ飛ばして病院送りにした千堂瞳先輩、
 当然そのままフラれてしまってからずっと男に縁の無い千堂瞳先輩、
 女性にしかモテなくて今じゃ半分以上諦めていると噂の千堂瞳先輩、
 尾崎先輩以下、当時の部活の仲間全て結婚したと聞かされた千堂瞳先輩、
 未だに棍や木刀を常時携帯して警察官に職務質問受けたりしている千堂瞳先輩、
 国立海鳴大学卒業後、護身道をマイナー扱いされて暫く職にあぶれた千堂瞳先輩、
 青春の全てを捧げた母校風芽丘学園の護身道部が部員不足と時代の流れで剣道部に
吸収されてことを知って人知れずショックを受けた千堂瞳先輩、お元気ですかー?

 彼氏もとい彼女作ってますかー?
 喧嘩しない上司とめぐりあえましたかー?
 聞くだけヤボですかー?』


「え、その、あ、えっと……」
 美由希は慌ててMDラジカセのスイッチを切ろうとするが、ゆっくりと顔を上げた
女性が美由希を見た。
 その顔色は激昂を通り越しているらしく蒼白だった。
 口元だけが歪に歪み、無理して笑おうとしているのが見え見えだった。
「ひぃっ………」

『ところでこの高町美由希ちゃんは何と、義理のお兄ちゃんとラブラブ!
 お兄ちゃんってばエッチなんだから! と、そりゃあもう、毎晩毎晩二人きりで組
み稽古の練習を……ガシャッ!!

「ち、違……」
 思わずMDラジカセを取り落としてしまう。
 大きな音がして、やっとスピーカーからの声が聞こえなくなった。

 実は公園にいるのは千堂瞳と呼びかけられた二十歳半ばぐらいの女性と、高校一年
生の美由希だけではなかった。
「………」
 公園のひときわ大きい樹の枝で二人の様子を窺っている者がいる。
 黒装束を着込んだその人影は、覆面の下から薄笑いを浮かべていた。
 御剣いづみ。
 彼女は生涯一度も千堂瞳に勝てないでいた。
 そのチャンスが今宵、この瞬間に訪れようとしている。
 贄にさせてしまった少女には悪いが、あの御神の剣士を継ぐものだとするならば囮
としての役目を十分に果たしてくれよう。
 怒りで我を忘れた瞳が美由希に襲いかかる。
 その隙こそが、彼女の狙う瞬間である。
 陳腐ではあるが有効でもある罠をはりつつ、彼女はじっと機会を待つ。
 待つことに慣れている。
 あとは隙を見た瞬間に一気に決めることだ。
「………」
 いづみは身体中を張り詰めさせ、二人の様子を窺った。



 美由希は自分が襲撃者側ということを忘れて、パクパクと口を動かしながら必死に
弁明をしようとする。

「え、ええとですね……その、えっとこれはウチの兄がこうしろと……いや、その、
あう……」
「ふうん。ラブラブなんだ」
「あ、その、いえっ、えっと……」
 ゆらり、と女性の身体が前に崩れかける。


 美由希には、その女性がそのまま倒れるように見えた。
 が、同時に彼女の中で培われた剣士としての感が彼女に告げていた。



 服従せよ。



 アレに逆らってはいけない。
 全てを受け入れ、諦めろ―――と。



「それ、なんか違――――――っ!?」




 直後、美由希の身体が宙に舞っていた。



・
・
・


『本当の本当に強い相手なんだな?』
『ああ。私も遂に勝てなかった相手だ。本気になったら例え御神の剣士と言えども無
事じゃ……済まない』
『ふむ……しかしどうも判らない』
『なんだ、信じていないならそいつの実力を出させる方法を教えてやる――


 迂闊。
 どうして俺はあんな話に乗ってしまったのだろう。
 いや、相手の実力が信じられなかったのは事実だ。
 しかしこんなことになろうとは流石に予期できなかった。


 俺は少し自分達の実力に知らずのうちに慢心していたのかもしれない。
 所詮はスポーツ武道を見くびっていたところがあったのかもしれない。


 今となってはただの繰言だ。


 早朝、ボロ雑巾のように道場に投げこまれた美由希は介抱されただろうか?
 恐怖に竦んで身じろぎも出来ないでいた晶やレンは大丈夫だろうか?
 衝撃波で全滅した盆栽たちの冥福を俺以外で誰か祈ってくれているだろうか?
 どうやらあの女忍者にしてやられたらしい。



「うふふふふふふふふふふふふふふふ」



 ――っ!?


「まさか、あそこまで引き離して背後を取られるワケがっ!?」


 咄嗟に神速を発動し、引き離して反撃に入ろうとする。
 周囲の風景がモノクロになり、すべてのことがゆっくりとした時間の中で進む。
 振り返る俺と、その俺めがけて棍を振り下ろしてくる彼女以外は。


「って、何――!?」


 それが、俺の最後の記憶だった。





「………」
 生地をこねあげてハンバーグを作るように、瞳に滅多打ちにされていく恭也の様子
を、旅行バッグを持ったいづみが電柱の上に立って窺っていた。
 昨晩といい、今といい、彼女が割り込む隙は一切なかった。
 瞬殺ではどうしようもない。
 下手に飛び出して顔を見られたら彼女もまた、同じ運命を辿るだろう。


「やっぱり御神でも駄目だったか……」
 そう呟き、彼女は逃げることにした。
 ただ逃げるつもりはない。
 次の刺客を用意しておかなければ彼女自身の身が危うい。
「次は……以前剣道部にいた神咲一灯流………九州か」



 いづみの挑戦はまだ、終わらない。



「さあ、キリキリ吐きなさい! いづみさんの居場所はどこ!?」
「だからいきなり家に来てそう聞かれても知らないって!」
「隠すと、為にならないわよ……」
「い、痛い痛い痛い痛い!!」
「あ、しんいちろー!? わわわ、ちょっと瞳さん!」



 多くの犠牲を後に残しながら。





                          <おしまい>                        <おしまい>