『命短し恋せよ乙女』


2000/03/24

「ぬぼすかぼーん」  柚がいつものように呆けている。  今日も今日とて呆けている。  何はさておき呆けている。  兎にも角にも呆けている。 「風に揺られ流されるがままのわたしー」  彼女自身が言う通り、樹に寄り掛るようにしながらも風に逆らうことなく漂ってい るそれは木の枝に引っ掛かったビニール袋のそれを想像させる。  だが、ビニール袋ほど透明でもなければ、小柄でもない。  霊能力のある人間から見れば、彼女のその姿は押し入れに秘蔵していたビニール製 のダッチワイフを陰干しして飛ばされて引っかかった状態か、頭に三本の毛を持つオ バケの服が飛ばされて引っかかった状態にしか見えない。  立つでもなく寝るでもなくその弛緩しきった体勢は霊体ならではの芸当だ。  だが、彼女の場合は生前もそうだったのではないかと疑わせる天性のものが多分に 含まれているようにも思える。  幸いと言うか不幸にも言うべきか、彼女が果てしなく空の彼方へ吹き飛ばされるこ とが無いのは、彼女が地縛霊であってこの地に括られているからだ。  だからこそこのような理不尽で怠惰な芸当が可能なのだろう。  当の本人が意識してやっているかどうかは定かではない。 「おじょーさまー」  そんな世の中の荒波にもまれながら必死に生きる者達には憤慨ものな態度を取る彼 女に、呼びかける声が風に乗って響いてきた。 「ほへー?」  身体は風の流れに委ねたまま首だけを横に傾げて見せる。  微かに動かしただけとも言える。 「おじょーさまー」 「往生様?」  柚は「往生せいやぁ!」という生前見た活劇の科白を思い出す。  何でそんなものを見たのかは忘れたが、浮かんだのだから仕方が無い。 「お嬢様ー」  柚は弛緩しきった身体をたて直し、幾度と呼びかけてくる声の方を向いた。 「誰ー?」 「お嬢様ー」  今度はしっかりと首を傾げた。  ただ、やはり目は閉じられたままだ。  これがデフォルトだし。  本当は見開いているし。  そう見えないだけで。 「おじょうさまーっ!!」 「あれー? …その声はー、確かー」  声だけが一段と大きくなる。  近づいている。  が、その姿は未だに見えることはなかった。  声だけが近づいてくる。  そう考えると不気味だが、己が幽霊と言う存在からか、ただの生まれつきの性格な のか柚は気にした様子もなく、首を傾げたままその場に立っている。 「そうですーっ! わたしですーっ!!」  柚の言葉は呟きに近かったが、声の主には届いたらしく声に喜色が入り、それと同 時に彼女のすぐ近くで人形が実在化する。  そしてまるで駆けるように、その人形は柚の元に浮遊してやって来た。 「おじょうさま――――――っ!!」  毛糸の髪を風に靡かせ、しかしそれ以外の部分は人形らしく微動だにせず急速接近 して来た。 「あー」 「お嬢様――――――ッ!!」  何か感じた様に口を開けた柚の声をかき消すように叫びながらその人形は柚の胸元 へと飛び込んできた。 「お嬢様ぁ――――――――――ッ!!」   ボム 「ぐふぅ」  目標をややそれ、お腹の当たりに直撃を受けてくの字に折れ曲がる柚。 「お嬢様っ!!」 「あうー、誰ー?」  喜色満面らしい雰囲気の人形に、ダクダクと両目から涙を流して唸りながらそう訊 ねる柚。 「早香です。もう一度お目にかかれて本当に嬉しゅうございます」 「誰ー?」  怒っているのかそうでないのか判別のつかない顔と声で再び訊ねる柚。 「お、お忘れになってしまわれたのでしょうか……」 「忘れるもなにも……知らない」  ちょっとは考える素振りを見せて欲しかったが、柚は即断して答える。 「そ、そんな……よよよ……」  人形の早香は衝撃を受けたように大仰に泣き崩れる真似をするが、人形なので真実 味が甚だ無い。 「…そう言えば、私のお人形さんにつけた名前がそうだったのだー」  不意に思い出したように柚が言うと、弾けるように顔を上げて、 「それですー、それが私ですーっ!!」  と、再び喜んだ声で答える。 「……」 「……」 「……」(外見からは決して判る事のない糸目) 「……」(外見からは決して判る事はないが期待に満ちて輝いている目) 「懐かしいのだー。お久しぶりなのだー」 「思い出して戴けましたかっ」 「最初から判っていたのだー」 「嬉しゅうございますーっ おいおいおい」 「だって当時から涙流したり、髪の毛伸びたりする人形はそうそういないのだー。義 母様が気味悪がって近づかなかった実はあの頃から曰く有りげな呪いの人形だったの だー」 「どんな失礼な事を言われても気にしないほど嬉しゅうございますぅ」 「うふー、照れるのだー」 「私も一目見た時から私のお嬢様だとわかりました。ええ、わかりましたとも。その 糸目。今時、考えられないミクロンな瞳。そしてそのぶべっとした平坦な凹凸のない お顔。そしてそしてなによりも殴られても蹴られても変わる事のないその能天気さは どんなに遠くはなれていても赤々と天の果てまで照らされておりましたからっ」 「う”ーう”ー!」 「そんな罵詈雑言にちょっと似たお茶目なお返しはさておきまして」 「う”ーう”ー!」 「やりました。お嬢様。遂に私はお嬢様の遂げられなかった「恋」というものを果た しました!」 「こーいー?」 「そうです。私、ちょっと甘く切ないアバンチュールに満ち満ちたハニーサイドアッ プな学園生活の中で優しく柔らかく育まれた青春の学生さんいらっしゃいな恋を体験 入学させて戴きました」 「何かー、性格違うよー」  人形に性格があるのかどうか以前に、彼女は早香の自我自体も知らない筈なのだが 、誰も気づいたものはいなかった。 「これはこれ。「朱に交われば赤くなる」でございます」  早香も気づかずにしっかり答えてるし。 「ふうん?」 「そんなことはどうでもいいんですよお嬢様。聞いて驚け見てびっくりあらんいやだ よもうお前さんなドキドキバケーションなものをお嬢様に代わって味わってまいりま した。不幸で!可哀相な!もてない!お嬢様に代わってっ!!」 「う”ーう”ーう”ーう”ー!」 「聞こえませ〜ん。囁く声は波の音。恋の飛沫は大波小波っ!!」 「ねえ、燃やしてもいいー?」  何故か柚の手にはマッチ棒が一本握られていた。そしてそれを早香に押し付けてく る。 「あーっ!!」 「いーもんいーもん。どーせ私はもてない目立たない社会的立場も無い妾の娘だから 選挙権もないのだー うー」  そのまま何故かマッチ棒を8本ばかり地面に並べて何やら頭の体操のようなものを 興じはじめる柚。 「そうやって拗ねてないで聞いて下さい。お嬢様。私のドキドキ初体験。「えっ、先 輩たらこんな所で大胆デス。いやんバカン、でももっとシテ」……ってこれはみなも さんの家にあった雑誌の記事でした。ええとそうじゃなくてチューですチュー」 「ドリフターズ?」 「いいえ、違います。キスです接吻です口づけですレモン味です!!」 「…それでー?」 「そ、それでって……その…」 「…それだけー?」(何か物足りなそうな顔で) 「ほ……本当はそれからぱこぽこぱこぽこする積もりでしたが借り物の身体でそこま でするのは私の最後の両親が不仲で夜な夜な夫婦喧嘩で……その……ゴンニョゴニョ」 (本人としては俯いたまま人差し指同士を突つきあっているらしい) 「でも私ー、お父様とぱこぽこぱこぽこしてたよー」 「……」(驚愕にこれ以上無いほど目を見開きながら) 「……」(何で全く開かないのかと第三者を嘆かす程に糸目のまま) 「……」(驚愕にこれ以上無いほど目を見開きながら) 「こないだもそこらの男の子としたしー」 「……」(驚愕にこれ以上無いほど目を見開きながら) 「……」(何で全く開かないのかと第三者を嘆かす程に糸目のまま) 「……」(驚愕にこれ以上無いほど目を見開きながら) 「接吻なんてもう挨拶代わりなのだー」 「……」(驚愕にこれ以上無いほど目を見開きながら) 「……」(何で全く開かないのかと第三者を嘆かす程に糸目のまま) 「……」(驚愕にこれ以上無いほど目を見開きながら) 「えへー」 「……お、お嬢様のばかぁ!」(涙流して脱兎の如く退場) 「勝ったー」(可愛く拳を振り上げ)  それでいいんですかお嬢様。                             <おしまい>