『家属封計画』


2002/03/16

 どうも騙されたようだ。
 騙されたかな、騙されたかも、という懸念はあった。ずっとあった。
 案の定、騙されたことが『つい先日』発覚した。
『あいつら』は信用できる組織と聞いていたのに。

 ゴミを捨てに路地裏に出ると、そこに人間が行き倒れていた。
「……」
 これはいったい……。
 頭の中を疑問が渦巻く。
 そもそも、生きているのか死んでいるのか。
 俺はゴミを両手に持ったまま、しばし考え込んだ。
 今までも、酔っぱらいが寝ていることはあった。
 ただ、こんな身なりの人間が倒れていることはなかった。
 よく無事でいたものだ。
 あるいは、もう無事ではないのかも知れないが。
 だとしたら、厄介なことだ。
 俺はその人間の脇腹をつま先でつつく。
「おい、生きてるか?」
「……ん……」
 生きてる。
 少なくても、最悪の面倒事には巻き込まれずにすんだらしい。
 この件には、慎重に行け。
 俺の本能がそう告げている。
 さて。
 格好から察するに、お大尽だろうか。
 やたら若い気がする。俺より二、三歳は上なんじゃなかろうか。
「おい、どうしたんだ?」
 声をかけると、そいつはうっすらと目を開く。
「大丈夫か? 一人で帰れるな?」
「……」
 濁った目をしていた。
 悪人な目。
「あ……」
 わななく唇が、何かをつぶやく。
「……我…想要…一杯……水」
 それだけ言うと、そいつは目をくるくると回した。
「あい…や…」
 ぱたりこ
「……おい」
 頬をぺしぺし叩く。
 しかし、目を覚ます気配はない。
 見たところ、目だった外傷はないようだ。
「どうしたものか……」
 こいつは、どうあっても、俺の手を煩わせるつもりらしいな。
 ため息をついて、そいつの様子を見る。
 完全に意識を失っていた。
 人種は……まず間違いなく中国人。これはイントネーションからわかった。
 白い人民服。
 装飾が不自然に華美だ。
 金ラメで全て覆われているくらいに刺繍だらけだ。
 良くて趣味の悪い良家の跡取。悪けりゃチャイニーズマフィアの幹部。
 もっと悪いパターンだってあるさ。
 どっちにしろ、わけありには違いない。
「……ったく」
 しかし、服はこいつに全然似合ってない。
 こういうタイプには、もっとこう……野生的でラフな格好が合う気がする。
「……とか言ってる場合じゃないな」
 さっき一瞬だけ見た目。
 野心的で陰湿な目だった。
 悪辣な内面と、不自然な外見。
 この構図、あまり後味のいいものにはならない。
 えげつない現実を予感させた。
 けど、ここじゃそんなことは当たり前だ。
 なんてことない日常だ。
 自分の責任だ。
 自分の尻ぬぐいは自分でするもんだろう。
 そこまで考えて、俺ははたと気づいた。
 まさか、こいつっ!?

    ◇◇◇

 男は、名を劉家輝と言う。
 さて、彼は見ていた。
 裏路地で、見知った人間を拾う青年の姿を。
 ついさっきのことだ。
 きっとあいつは、人の良い彼を誑かしてうまい食事にありつくのだろう。
 温かい寝床を得るのだろう。
 あまつさえその後に手で奉仕したり入れちゃったり入れられちゃったりするのかも知れない。
 不公平だ。
 自分の境遇を鑑み、彼は憤りを感じた。
 今まで目をかけて自分の元で働かせて、得たものは変態呼ばわり。
 こうして敵対勢力と睨み合って繁華街で一大勢力を築いている。
 不公平だ。
 あいつが彼の前を貰うなら、私は彼の後ろを戴かなくてはならない。
 不公平は是正されねばならない。
 つまり、司くんと食事をし、司くんと同じ布団で寝るべきなのだ私は!
 くわっ!
 彼の目が見開いた。
 立ちあがり、袖からしゅるっと乗馬鞭を取り出すと、自分の首に叩きつけるようにして数秒でこれをなめした。
 その様は歌舞伎町の女王様のそれだ。
 キュキュッとしなり具合を確かめると、体内を駆けめぐる力を感じる。
 いける。
 わけのわからん確信を抱くや、彼らの後を追った。

 兄さーん!

 彼の子分たちが、性格破綻者の暴走を送り出すべく追っかけてくる。
 その中に、彼の妹もいた。
 縁を切りたくて仕方が無い彼女にしてみれば、此度の出奔は僥倖。
 長かった。
 ジン、と眼鏡の奥に涙を浮かべて喜びを表現する。
「兄さん!」
 意訳すると、『死ね! 救いの無いホモ野郎!!』というようなニュアンスになる。
「〜♪」
 振り返らない彼に知る由はない。
 が。

 バシュッ!

 その手から放たれた鞭の先が、彼女の足元を叩いた。
「やっ、やぁぁっ!?」
 叩かれた者にしか判らない恐怖の記憶が彼女を襲う。
「フッ」
 私はホモではないバイだっ!!とその背中は雄弁に語っていた。
 そして彼は歩き出す。
 自分が気持ちよくなるために。
「ぐふふ」
 かつては両刀使いとして鳴らした彼のネジは、相変わらずゆるんでいた。

    ◇◇◇

 その人物はもめていた。
 場所は自宅。
 相手は長年の連れ添い。
 ことの経緯はこうだった。

「リストラ、されたんだ?」
「ああ」
「一枚、頼もうかしら」
「……」
 その人物はじっと相手の顔を見つめた。

 四十代後半、小皺有、容姿平均以上、女王様属性(レザー系)、第一印象実年齢より低め。

 ……別れたくない相手。

「難しいね」
「……いいから書きなさいよ。無一文でしょ」
「どうしても?」
「ええ」
「そうか……後悔しないことだな」
 逃げる際に捨て台詞を吐くチンピラのような口調で言うと、その人物はペンを手に取る。
「印鑑は?」
 その目には涙が、きらりんと光った。

「……」
 その人物は静かにペンを置く。完成した書類を眺める。
 離婚届だった。


    ◇◇◇

 午後八時。
 駅前。
 薄暗いレール下。
 そこでは、悪の取引が行われていたりする。しょっちゅう。
「〜♪」
 格好と体型が似合わない人物の口笛が、薄暗いレール下に響き渡る。
 楽しげな旋律。
 その人物は壁によりかかり、無為に時間を潰しているように見えた。
 派手な服装とけばい化粧。
 客引きをする売春婦のような雰囲気なのに、ただ一つのことがその全てを否定していた。
「……」
 通りかかった学生服の少年の、袖をつまんで引き止める。
「え? わ、わぁぁぁぁ――――っ!!」
 いきなりつかまえられた少年は、その相手の顔を見て絶叫する。
 その人はにこやかに、ぼそりと口にする。
 可愛い男の子と話すの大好き。
 驚かすのもからかうのも、嬲るのも弄られるのも苛めるのも虐められるのも大好き。
「……騒ぐとドタマかち割るぞ、ボーズ」
「あ、あひゃぁ……」
 嘗ては口べた。そして人見知り。
 そして―――

 そんな性格がここまで変われたのは、些細なきっかけ。
 歯の根も合わないほど震え、涙と小便に塗れた彼をモーテルへと連れ込んだ。

「……本日のつまみ食い、これでおしまい」

 ガタン、ゴトン

 頭上を通り過ぎる電車の騒音が、彼の楽しげなつぶやきをかき消した。

    ◇◇◇

 子供が二人、草原を駆けている。
 兄妹か、友達か。
 男の子と女の子は、ボールを持って楽しげに走る。
 草原はマンションの建築予定地だったが、大人の事情で施工が遅れに遅れ、子供たちの良い遊び場所となっていた。
「あれ? 何だろう」
 草原の一角に、ぽつんと鎮座しているのは……ダンボール箱だった。
 しかし、ただのダンボールではない。
「だんぼーるだねー」
「ふろうしゃのいえみたい」
 二人は、そのいくつも連結された段ボールに近づいた。
「……これ、家だよ」
 中をのぞきこんだ女の子が言った。
 段ボールの中には、なんだか本だのペットボトルだのが転がっていて、生活臭があったのだ。
「すげー、ほんとにるんぺんごやだー」
 とその時、段ボールがみしっと揺れた。
「きゃっ!?」
 奥から、何か黒いものがずりずりとやって来る。
 二人は固唾をのんでそれを見つめた。
 やがて!
「うらああ! 見世物じゃねーぞっ!」
「わーっ!?」
「きゃーっ!?」
 その黒い怪物に驚き、二人は走り去った。
 黒い怪物は、のたくたと身をゆすった。
 すると全身の皮がするっと取れて、中身があらわれる。
「畜生〜〜〜っ!」
 皮は今は使われることの無い黒いゴミ袋だった。
 そして中身は人間だった。
「ふざけやがって……」
 見た目と性別と脳味噌の差だけで実の両親から捨てられたというのっぴきならぬ事情により、現在、ホームレスの身の上。
 勿論、学校なんか行ってられない。

 向かうは商店街の裏手にある盛り場。
 そこで一日中、強盗恐喝カツアゲを働いていた。
 小中学生の下校時間まではまだ時間があるが、散歩するしかないような老人からでも金は巻き上げられる。
 その収入は、そいつにとって生命線に等しい。
 追剥だからちょっぴり収入は不安定。
 だから、いっぱい巻き上げて稼がないといけないのだ。

「おいオマエ、ガンくれてんじゃねーよ」

 ずっと流浪の身だった。
 ぶっちゃけた話、これで一週間になる。

    ◇◇◇

 某中流大学卒業後、某中堅外資系企業営業課勤務。
 五年の勤務の後、無断欠勤の多さを理由に解雇。
 その後、借金を繰り返す日々。
 そして夜は女に貢いでもらう毎日。
 うぐ。
 絵に描いたようなヒモ人生が訪れた―――
 家族計画・おしまい

 ―――にはならなかった。

 なぜなら。
(中略)
 そしてそいつは貧乏になった。
 様々なトラブルが重なり……そいつは自己破産を経て素寒貧になってしまった。
 こうして結婚詐欺を決意したのである。

    ◇◇◇


 気がつくと、こうなっていた。
 なんだろう、この光景は。
 絶望しきった顔をしていたに違いない。
 ちらと俺を見やった劉さんは、かすかに頬を緩めた。
 ……何故!?

「実はこの私には提案があるのだよ」
「提案?」
 劉さんは茶の間の前に進み、伊佐坂さんと並んだ。
 その肩に手を置き、高らかに言い放った。


「我々で、家族を作ろうじゃないか!」


 静寂。


「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「…………無茶言うなっ!!」
「では諸君、手元の企画書に目を通して欲しい」
「聞けよ」
 俺の言葉をきっぱし無視して劉さんは表のようなものを皆に配っていく。


劉家輝(バイ)
 元中華料理店『ろんろん』店長代理。
 家属幇計画の立案者。
 かなりの変人で、奇特な言動と破天荒な行動力で周囲を煙に巻く。司の天敵。元歌舞伎町二大華僑勢力の片割れという肩書きは伊達ではなく、各種情報技能をはじめ、多彩なスキルを身につけている。
 いろいろと過去があるらしいが……?

添田達也(父)
 自己破産中の男。
 家属幇計画では父親役となる。
 美形でテクニシャンではあるが、自堕落で生活力はない。酒乱の気有り。四月病→解雇→自暴自棄→盛り場で騒ぐ→女引っ掛けて食わせてもらうという見事な流れで人生を垂れ流し、女に逃げられたあたりで昔の女の金を貰おうと思ったところを司に救われる。
 以降、司に依存しながらも身勝手さを端正することに。

伊佐坂(長男)
 セクシャルハラスメントの禿親父風中年。
 家属幇計画では長男を担当。
 一見してチョイ役だが、性格は破綻にして愉悦的。かなり存在薄。存外、美味しいキャラ。いわゆる脇役だったが、現在はメインキャラ。
 汗水垂らして働いて建てた一軒家に寝起きするが……?

金(次男)
 歌舞伎町のホストクラブを生業とする、社交的な変態。
 家属幇計画では次男にあたる。
 面食いが激しく、なかなか離さないタイプ。かつて劉の敵対勢力だったが、ある事件を境に暴力団を足抜けして姿を消した。人に絡むのが大好きで、手当たり次第。街中を歩く青少年を食事に退廃的な日々を過ごす。
 ブラザー・ウェルカムという源氏名があるが、本名は不明。

陳星(三男)
 海の向こうからやってきた経験豊かな上海マフィア。
 家属幇計画では三男役。
 蛇頭で暴力組織。台湾グループに奪われた密航客を捜すために日本に密入国。その後、いろいろあって司に拾われることに。かなり大身の身の上だが、当人にボス意識はまったくない(美徳兼欠点)。
 純度の高い覚醒剤を持ち、三十本打たれると極楽浄土に旅立てる(司談)。

中崎良太(四男)
 とある事情より家出生活を送る不良の少年。
 家属幇計画では末っ子。
 性格は救いようがなく歪んでいる。頭も悪く短気な面も。同世代の少女に興味があるお年頃。拉致監禁輪姦陵辱物などというと、もうたまらんのである。
 迸るパトスを発散できる場所を求めて、家属幇計画に参加する。

沢村司(玩具)
 本作の主人公。親を失い、一人で生きる青年。
 性格はクールで現実的。でも真っ直ぐ。言動はややきついが、お人好しな面も。
 彼の内面には素晴らしい男色(ジュネ系)の才能が眠っており、劇的に開花していく(作中において最重要事項)。
 今は中華料理店『ろんろん』でバイトをして生計を立てている。


「……おい」
 なんだこれは。
 しかも俺の欄は玩具ですか?
 クロードクラスですらないんですか?


「「「「「なるほど」」」」」
「納得すんな、おめーらっ!!」
 どいつもこいつもそうとう頭に蛆のわく手練れの変態揃いのようだった。
「どうだい? 魅力的だろう」
「大体、年齢も無茶苦茶だろーがっ!」
「まぁまぁ、司くん。僕は面白いと思うよ」
「あんたは隣りの自分の家に帰れ」
「あらーん、司ちゃーん。良いお話だと思わない?」
「黙れ、変態」
「騒ぐんじゃねーよ」
「ったく、ヒス起こすなってんだ」
 偏差値30からの人間生活共は無視する。
「大体、この屋敷は伊佐坂さんの隣家であって勝手に住む事自体問題が……」
「その点なら心配ない!」
 目を輝かせて、俺の言葉を遮る。
 何故、そんなに自信たっぷりに。


「ほら、これを見て御覧」
 そう言って、一枚の封筒をかざして見せた。
「封筒?」
 怪訝に思いながらも開封し、中の手紙を開いた。


『子はまれに親を嫌悪することがある。
 司はまさにそうだった。
 いずれ劉一家の有力な手駒として用いられるはずだった司。
 悲しいかな、現代にもそんなことはある。
 特に、家族第一の巨大な華僑組織にあっては司はまさに玩具だった。
 玩具として扱われた。
 あれの親からは、沢山の負債を買い取った。最初から、そのような意図で。
 自分の成長を遠目からじっと見つめていてくれる生暖かい沢山の視線……司はそれを知らなかった。
 だから、せめてもの憂さ晴らしに、ここに司を引き取ることにした。
 私は実際、ていの良い引退老人でしかなかった。
 私も息子に全ての愛人を奪われたようなものだ。司の歪んだまなざし、それは親の正しい愛情を注がれなかった結果に他ならない。
 すまないと思う。申し訳ないと思う。このようなことをしても司が喜ぶことはないと思う。
 しかし、今の私にできる唯一のことだ』

「……」
 これを読む限り、どうも俺は最初からずっと劉さんに目をつけられていたらしい。
 寒気を憶えつつ、元凶を見る。
「〜♪」
 横を向いて口笛を吹いていた。
 ぶん殴ろう。
 そう思って拳を固めながら、最後まで読む。



『私が司を引き取ろうと画策しながら果せなかったこの家と共に、
 私の欲望の代行者として育ち今なおそこに生き続ける家輝を、
 その全ての権利を、



 赤の他人である沢村司に譲る。



                         高屋敷宗太郎―――』


「ちょっと待てこらっ!!」
「さぁ、結婚しようっ!! この私と!!」
 何故か劉とかいう生き物、笑顔で半脱ぎ。
「ほら、お墨付きだし、これで安心だね♪」
「んなわけあるかっ!!」
「「「「「すばらしいっ!!」」」」」
「おめーらも黙れっ!!」
「わたしにもたまには貸してよねン♪」
「勿論だとも!」
「いやぁ、若いっていいですなぁ。不可能を可能にする」
「でしょうっ!」
「俺は住処あれば別に男同士でちちくりあおーがどーしよーが」
「協力ありがとう!」
「これで小金稼いでみるか」
「それは私も賛成だっ!」
「色々合ったが、仲直りと言うことで」
「ああ、同じ中国人だしね!」
「……勝手なこと言ってるんじゃねーっ!!」
 人間不信度200%アップ。
 とにもかくにも、いろいろな紆余曲折の末に、俺たちは一緒に暮らすことになってしまった。
 天を仰ぐ。
 なんてことだ。
 俺みたいに排他的な人間に。
 んなの関係なく嫌だ。
 タスケテ。

「ようし、では家族結成の祝杯をあげよう!」
「おまえらうるさい」
「「「「「かんぱーい」」」」」

 ちんちりん

 俺を除いた六つの器が鳴る。
 それは、家族ごっこの始まりを告げる音だった。
 互いの欲望のために、俺を誑かす偽りの家族を演じる。
 相互互助計画『家属幇計画』―――

 よんどころのない事情により、疑似家属幇計画に乗らざるをえない俺たちに、果して幸せは訪れるのだろうか?




「とっとと人の家から出ていきやがれこのウジ虫野郎共」



 無論、訪れなかった。




                                                                <おしまい>


 全体的にアレな感じですが、思いきりネタバレ部分があったりします。

BACK