「今日も、一日ご苦労さんっと……」
首筋を揉みながら事務所の鍵を締め、薄暗い夜道に出ようとしたところで、
「プロデューサーさん!」
「春香?」
どうやら俺が帰るのをずっと待ち構えていたらしい彼女に呼び止められた。
「どうしたんだ、春香。門限とかは大丈夫なのか……」
携帯で時間を確認しようとするが、目の前の春香の真剣な眼差しに手が止まる。
彼女が何らかの決意を持ってやってきているのは明白だった。
「春……香……?」
春香の方も必死になって睨むかのように見つめながら、なかなか動けないでいる。
それだけ大きな話なのかと、微かに身構えつつ彼女の言葉を待つ。
「あのっ……」
「ああ」
どんな些細なことでも彼女にとっては大事なことなのだろう。
真剣に向き合うことを確約する気持ちで、彼女が話しやすいように相槌を打った。
「私、アイドルになりたいんです!」
「もうなってるよっ!」
彼女の発言に即座に突っ込んでいた。
「え、本当です……か……」
驚愕の表情を見せるが、俺の方が驚愕だった。
「本当ですかって……じゃあ今まで何やってると思ったんだ!」
ホント、今日の日まで。
候補生なんてのは最初だけで、もうとっくにデビューしてるというのに。
「てっきり皆で雪歩を玩んでいるだとばっかり……」
「はぁっ?」
因みに雪歩は春香とデュオを組んでいる相棒で、二人のデュオユニットを今日までプロデュースしてきたのが俺だった。
「これまで内心、彼女がプロデューサーさんにあれこれ煽てられたり宥めすかされたりしてるの見てて、ああコイツ可哀想に……なんて思ってたんですけど……違ったんですか?」
「何その壮大な嫌がらせっ」
彼女達二人はデビューからずっと一緒にやってきた掛替えのない仲間……だと思ってました。少なくても俺は。
「私もお金を貰えるのはいいけど、いつ雪歩に本当のことを言ってあげるのかなって」
「本当のことって!?」
「えーと、そうですねぇ……ちんちくりんでひんそーなお前なんかアイドルになれるわけないじゃんばーか、とかでしょうか?」
ひでぇ!
「あ、そうそう。あとは、愚かな夢見てるのも大概にしておけって」
「言わないよ! 雪歩も立派なアイドルだよ!」
「またまたそんなご冗談を」
ああ、AA猫っぽい顔して取り合ってない。
「冗談でも戯れでもないってば」
「特技が穴掘り、趣味が詩、でしたっけ? プークスクスとかしないで感心するフリしてるの大変だったんですよ」
「してたんだ! じゃ、じゃあ君がよく転んだりしてたのは」
一瞬、普段の春香を思い出して人のこと言えるのかとか思ったけど、
「え? あれはですね、つきあいですよ、つきあい」
「……はぁ」
一蹴された。まあそうだろうね。
「だって一応一緒にいる以上レベル合わせないといけないじゃないですか」
「はぁ」
雪歩に対して笑いを堪えるのが大変で、転んで誤魔化そうとしたことも一度じゃありませんでしたからとか裏話を披露される。
どうしよう、そんなこと知りたくなかった。
「何でもないところで転ぶ人なんかいるわけないじゃないですか、確りしてくださいよプロデューサーさん」
自分のキャラ全否定ですか。
貴女が確りし過ぎです。
「でも、まさか私がアイドルだなんて……えー、でも、あれぇ?」
騙されてないかなぁ、とか呟いているのが聞こえる。
「じゃあ、今まで二人でTV局行ってオーディション受けて歌ったり撮影したり取材受けたりしてたのは、どうなんだ?」
「ですから、釣りにしては壮大だなぁって……」
「釣りじゃないよ、オンエアされたし!」
どんだけですか。
「自分の写ってる番組見て喜んだりうろたえたりする雪歩見て、あー幸せだなぁ、こんなツクリのVTR頭から信じちゃってって……って」
「……」
「でも、そんなのも後になってみればいい思い出になるだろうからいっか、とも思ってましたよ」
「そうか……」
不憫だな雪歩。
「あと、今調子乗ってても後で跡形もなく潰されちゃうしね、と思えば許せました」
「それは……えー」
不憫過ぎるな雪歩。
「まあ、そんなことはどうでも良くてですね」
「良くないぞ、一応言っておくと」
どうでも扱いの雪歩的に。
「そんな感じで、こんなんだったら本当に私がアイドルになっても、そこそこやっていけるんじゃないかって思い至って、結構悩んだ末に決めたんですけど……もうアイドルだったんですか?」
「アイドルだったんですよ」
とっくの昔にね。
「チョロっ」
「チョロくないよ! ここまでどれだけ社長以下皆が頑張って、君達をプッシュしてきていたかっ」
「てっきりあまりに雪歩が台本通りのリアクションしてくれないから苦労してるのかと」
「は、ははは、ええと、君も入ってるからね。その論理でいくと」
「ええ、もちろんですよプロデューサー。雪歩が悪目立ちしないようにって一生懸命デチューンしてましたし」
「全力出そうよっ。何、その上から目線!」
あとそっちには入ってないから。
「いやでも、タイミングとか難しいじゃないですか」
「タイミング?」
なんだろうこの春香のテンションの高さ。
「いつピエ…いえ雪歩に対して『ここでネタバラシ』って看板を見せていいのかとか」
「その発想からいい加減離れようよ! 君と雪歩は普通にアイドルユニットなんだから。もう! 既に!」
あと看板はドッキリ大成功であって、それはナレーションだから。井○和彦とかの。
「じゃあ、その、私……はアイドルなんですね」
「ああ」
やっとここまで来たか。長かった。
「不本意です!」
「不本意なのっ!?」
「だって私あんな子じゃありませんよ!」
「あー、そうだね」
今、存分に知りました。
「だったらもっと……ああ、もう! どうしてもっと早く言ってくれなかったんですか!」
「最初から言ってたよ! 何故信じてなかったのかの方が不思議だよ!」
「ああー、参っちゃったなぁ……」
頭を抱える春香に、一応これでも彼女のプロデューサーなので助け舟を出す。
「ま、まあ過ぎ去った時間は取り戻せないわけだし、今後改めて頑張ってくれればそれでいい」
言ってて少し虚しくなったがぐっと堪える。だってこれが芸能界に生きるってやつだもの。みつを。
「あっ!」
「どうした」
今度はなんだ。
「じゃ、じゃあこの建物も本当の事務所だったり、したんですか?」
「そうだよ……」
「よくこんな廃ビル用意してきたなーとか、うわーこの女信じちゃってるよおめでてーとか思ってたのに」
「ごめんね! ボロくてごめんね!」
あとどうあっても雪歩扱下ろさないと気が済まないのか君は。
「うわぁ、明日からどうしよう。どう雪歩と接したら……」
「少なくても今まで思ってたことは口に出すなよ」
「はい、それはわかってますよ。彼女へのネタバラシは別件ってことですね!」
「だからそこから離れようよっ。どれだけ暇なんだよ、俺ら!」
「えー、でも、まだ信じられません」
「俺も信じられないよ。君とは断じて違う意味で」
「てっきり私と一緒で、影で笑ってるのだとばっかり……」
「笑ってない!」
君の中では俺も黒いキャラですか。
「何だか、裏切られた気分ですー」
「俺の方がよっぽどだ!」
「あー、昨日は衝撃の一日だった」
これからどうやってあの二人に接したらいいのかわからない。
プロデューサーとして育て方を間違ったのだろうか。
いやあそこまでいくと問題は根本的っぽいし、親御さんの問題ではないだろうか。
「今度、家庭訪問でもして教育方針とか聞いてみるか」
地雷踏みそうで怖いが、放置もまずい気がする。でも最近モンスターペアレントとか流行ってるし、DQN親とかとはなるべく近寄りたくないしなぁ、逆に家で猫被ってたりしたらそれはそれでもうどう対処していいか判らないし。
「あ、プロデューサー!」
そんなことを考えつつ出社すると、片手で携帯メールを打ちながら律子が慌てて駆けて来る。何時如何なる時にもメールが打てるのが律子の密かな自慢らしく、先日バラエティでも絶叫コースターの座席でも軽々と長文をこなしていた。後はからあげくんの期間限定、地域限定を含めた全種類を諳んじているぐらいしか特技の無い彼女にとって格好のアピールポイントだったが今はそんな話じゃない。
「なんだ律子にしては慌ただしいな。何かあったのか?」
どうやら俺に連絡するメールだったらしく打ち終わった彼女が送信ボタンを押すとほぼ同時に懐の携帯が震えたが、目の前の本人に聞いた方が早そうだったので尋ねる。それ以前に俺に気付いたら最後まで打つ必要なくね?
「春香が、雪歩をっ」
「なんだってっ」
その組み合わせを耳にした瞬間、最後まで聞く前に慌てて駆け出した。
「くそっ……」
昨日の春香の暴言を雪歩が聞いてしまったりしたら、雪歩は立ち直れなくなるかもしれない。
元々精神的にか弱い子で、最近も伸び悩みに落ち込んでいる彼女を更に鞭打つような真似は是が非でも避けたい。
「春香っ! 雪歩っ!」
「痛っ、やめっ、止めてくださいっ、春香ちゃんっ!」
「ごめんね、雪歩! 私だってしたくてしてるわけじゃないのっ!」
駆けつけると、春香が雪歩を鞭で打っていた。
「ほ、本当に鞭打ちだ――――――っっっっっっ!!」
「ですからそうメールで打ちましたのに」
「いや読んで無いから……じゃなくて!」
何故か冷静な律子に取りあえず反論してから、
「ほーっほほほ、アンタは雪歩じゃなくて○ニクロよ!」
「はぅぅぅぅ、没個性無価値低品質アイドルで、ずびばぜーんっ!」
「やめろっ! 何をしてるんだ、春香!」
羽交い絞めにして春香の凶行を止める。
「私、アイドルになるって決めてたから!」
「それは昨日聞いた!」
そしてとっくにアイドルになっていると教えた筈だった。
「だったらアイドルらしく、目下の敵は潰さないと」
「雪歩は敵じゃない!」
頭を抑えて蹲っている雪歩を庇う。
「だってプロデューサーさん、雪歩も登録上一応アイドルだって……」
「そんな言い方は絶対してねぇ」
一言一言つっかかるなぁ! お前の物言いはっ!
「第一だからと言って、それがどう鞭打ちに繋がるんだ!」
「アイドルはライバルを潰し合って、生き延びる茨の道!」
どっから突っ込んでいいのかわからねぇ!
「アイドルの認識おかしいよ! あとそれに雪歩はお前の相棒じゃないか!」
「キャラかぶりしてるじゃないですか!」
「してねぇ!」
どこも似てねぇ。
「それに、ここで雪歩を潰しておかないと芸能界の荒波の中、雪歩がもっと酷い敵に潰されてしまいます! ここで鞭打ち程度で野良犬のように追い払うことこそ彼女の為にもなりますって」
「鞭打ち以上に、酷い目にあうことはないっ!」
「ふぇ、ふぇぇぇぇん 全てはプロデューサーのせいだったんですね。わ、私がダメダメのへなちょこすきーだから……あと犬は怖いです」
「ええぃ、誤解だ!」
何かこのままだと俺が春香に指示したことになりそうです。あと犬の話題はいい。
「全く男の人ってすぐそうやって……」
「律子も事情知らないくせに余計なことを言うな!」
第一、俺を呼ぶ前に止めろよ、頼むから。
「てっきりプロデューサーの指示かと思いまして」
「お前らの中の俺ってどれだけ鬼畜なんだよ!」
「まあそれなりに」
「プロデューサーさん! 自分の都合が悪いからってすぐ怒鳴るのは良くないと思います!」
「誰のせいだ!」
春香、全てはお前のせいだ。
「全て私がいけないんですね、穴掘って埋まってきます!」
「厄介なネガティブだなぁ、おまえも!」
責任を勝手に引き受けるなよ。
「いいですかプロデューサー、貴方が常日頃からですね……」
え、何でこの流れで俺が説教されるの?
「プロデューサーさん、だったらどうして鞭は駄目って言ってくれなかったんですか……」
言わなきゃ駄目なの、そんなことまで。
「一つ掘ってはプロデューサーさんの為……二つ掘っては皆の為……」
ああ、もう投げ出してぇ!
「よし、わかった」
「は?」
「え?」
「えっほ、えっほ」
「俺が本当のアイドルのなり方を教えてやる!」
こうなったら容赦しねぇ、みなぎってきたぜ!
「で?」
小鳥さんはウチの裏番じゃないかと思う時がある。主に今とか。
「まあそのはっちゃけ過ぎたと言いますか」
「はあ」
「仕事熱心になり過ぎたと言いますか」
「へえ」
「ごまえごまえごまえごまえごまえごまえごまえごまえごまえごまえ」
「ごまえごまえごまえごまえごまえごまえごまえごまえごまえごまえ」
「ごまえごまえごまえごまえごまえごまえごまえごまえごまえごまえ」
「とまあ色々ありましたが、今では皆一秒間に十回ごまえ出来るほどの立派なアイドル達です」
「プロデューサーさん、社長がお呼びです。つうかちょっとこっち来い」
「うげっ」
ネ、ネクタイ引っ張らないでっ。
「あのうプロデューサーさん、大丈夫ですか?」
「奥歯が抜けたぐらいだ。社会人ならこれぐらいよくあること……痛てて」
それよりも社長が書割だったのは吃驚だ。やっぱりこの会社は小鳥さんが仕切ってるのか?
「そうですよねー、父の会社では小指を――
雪歩、それは公式じゃないから。
「でも小鳥さんも冗談ぐらい笑って流せばいいのに、大丈夫ですか?」
「えぇ!? 冗談だったんですか。私、あれだけ熱心にプロデュースするプロデューサーさんを見てたら自然と言うなりになるしかないって……」
「大事なレッスンすら聞き流してた私ですから。もう、あれぐらいの洗脳は右から左ですよ!」
どっちもどっちだ。しかし失った時間はもう取り戻せない。
「まあ取り合えず余計なことは忘れて、仕事に励もう」
「余計なことしたのはプロデューサーさんじゃ……」
「元はといえばお前のせいだけどな」
「ええっ!? どうしてっ!?」
そこまで驚ける君が凄い。
「でも律子さん、ずっとごまえ言い続けてましたけど……あのまま置いていって大丈夫なんでしょうか」
「元々彼女は俺の担当じゃないし、大丈夫だろう」
その場に居たからなんとなくね。あと煩かったし。
「そうよ、雪歩。芸能界は焼肉給食! てへり間違えちゃいました!」
いや、だからそういうのはせめてカメラの前でやれ。
「ともかく、彼女もまた私の成功の為には必要な贄だったんですよね、プロデューサーさん」
さりげなく共犯にするな。
「え? あの私は……」
「踏み台として頑張って! 私も応援してるから」
「プロデューサーさん、私たちユニットじゃなかったんですか〜」
「俺も、もしかしたら違うんじゃないかと思うようになってきたよ」
「うぇぇぇぇぇぇん」
今更だけど雪歩、頑張れよ。
「あ、なんかプロデューサーさん、今切り捨ての笑顔でしたよ」
「えええっ!?」
目敏いというかなんというか、まあもういい。
「いいからさっさと準備しろ……じゃあ俺は奥にいるから、頑張って来いよ」
「さあ今日もはりきって転びますよ!」
「わ、私も一生懸命穴を掘ります!」
「……歌、歌えよ」
一応念を押してステージに送り出す。あとは現場のスタッフの仕事だ。
「さて、と……」
首筋を揉みながら控え室に向かおうとしたところで、
「プロデューサーさん!」
「春香?」
一人引き返してきたらしい彼女に呼び止められた。
「どうしたんだ、春香。何か忘れ物でも……」
「あのっ……」
昨日までの純粋な俺はもういない。
「なんだ」
どんなことを言われても耐えられるようにと下っ腹に力を込めた。
「プロデューサーさん、今までありがとうございましたっ!」
「え……」
思いっきり頭を下げた上での、まさかの感謝の言葉にポカンとしてしまう。
「え、いや、なんで……」
「今、言っておかないと後悔するって思いましたから……」
「春香……」
最後の最後にしおらしくなりやがって。これも計算か、だとしても泣かせるなチクショウ。
「だから……」
「ああ……」
「次の仕事でも頑張ってください!」
俺クビかよっ、チクショウ!
<完>
やっと春香書けた。ギャグマンガ日和っぽく書けたらなあ、と。
感想は

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