『道に迷えば』


2002/05/14


 やわらかな陽光が差し込む。

 虫たちの羽音。
 鳥たちの鳴き声。
 森の中には、それだけが響いている。

 鋭い呼気。
 一点を見つめたまま、不動となる。

 無音。
 静寂。
 沈黙。

 先ほどまであった生けるものたちの音が、消えた。
 張りつめるような、空気。
 引き絞るかのような、緊張。
 風が流れる。
 チッ、と眼前にいる人間が動いた。

 一閃。

 銀光が跳ねる。
 それまで微動だにしなかった姿が、ただ一瞬で反転した。
 風も切らず。
 音も無く。
 ただ、空のみを通り抜けるように。
 無念無想。
 残光も残さず、あたかも月影のように。

 感覚が、戻る。

 一瞬だけ映った閃光は、触れたものを両断して鞘へと戻る。
 斬、とふたつに別れるもうひとつの刀。
 初めからふたつであったかのような、美しい切り口を見せて、鉄片と化した。
 鞘へ戻した刀を、ゆっくりと抜く。
 へたり、と座り込んだ男に切っ先を向ける。
 隙は、無い。
 諦めたかのような顔色で、怯える男。

 じっ、と見つめる。

 男が、手に持った鉄を投げ捨てて、背中を向けて逃げ出す。
 それを、何もせず見送る。
 横手から掛かる落ち着いた声。
「いいんですの?」
 からかうような含みを持たせたカルラの声。
 その疑問に答えるトウカ。
「……あの者は、まだ手を汚してはいなかったようですから」
「甘いんですのね」
「某は、甘いですか?」
「ええ」
 まったく、とでも言いたげに伸びをして歩き出す。
 それにトウカも付いてゆく。
 山道だと言うのに、足取りは軽やかだ。
 巨大な鉄板のような武器を持っているカルラが、目の前の枝を切り開く。
 トウカは、その真後ろを、少し迷った顔で追う。
「カルラ殿なら、どうなされる?」
「そんなこと、決まっているでしょう?」
「むぅ」
 納得したような呆れたような顔で、黙る。
 ふと、トウカが顔を上げる。
 何かに気づいたように。

 そして、叫ぶ。
「あの者に道を訊いておけば良かったのではッ!?」
 愕然としているトウカ。
 がーん、と擬音付きの顔になった。

「なんで今更気付きますの?」
 カルラの呆れた声が、音を取り戻した森にむなしく響き渡った。










 「道に迷えば」 作者:yoruha










 迷子がふたり、森を彷徨っていたりする。

「カルラ殿ッ! 何故、気付いていたのなら言ってくださらなかったのですッ」
「あなたがそこまでうっかり者だなんて気付かなかったからに決まってますわ」
 即答。
 衝撃にがっくし、と膝から崩れ落ちる。
 カルラの目は笑っている。
 それに気付かないトウカが、ふらふらしながらどうにか立ち上がる。
 下を見つつ、くちびるを噛み締めて。
「それがしが……うっかり者……」
 どんよりと思い空気があたりを取り巻いている。
 ピタリ、と動きが止まった。
 トウカは再び動き出すと、自嘲気味に嗤う。
「ふ、ふふふ、ふふふふふ」
「な、なんですの?」
「矢張り、某がうっかり者だと言うのは紛れもない事実」
 認めたらしい。
 どことなく、その笑いに引け腰になるカルラ。
 その姿が目に入っていないのか、遙か天上を見上げて宣言するトウカ。

 スラリと伸びる刀を天に向けて、真っ直ぐに掲げる。
「この旅の間に、必ず……粗忽者と呼ばれぬ剣士になってみせようッ!!」

 その光る目元を見て、カルラが口の中でつぶやく。
「大丈夫なんですの……?」
 不安げなカルラに、ようやく気付いたらしい。
 トウカが耳ざとく聞き付けた言葉に答える。
「うむ。安心してくだされ。聖上がいつか還ってくるまでに、必ずやこのおっち 
ょこちょいを直してみせる」
 無論、カルラが心配していたのはそんなことではなかった。
 暴走しそうなトウカの姿に、少しだけ困ったような顔を見せる。
「いざ参らん。さあっ! さあっ!」
 張り切って山道を進むトウカ。
 枝の折れる音も聞こえぬほど、優雅に降りてゆく。
 カルラが今度こそ聞こえないようにと、胸の内だけでささやいた。
「焚き付け方、間違えた……ですの?」


 森を抜けると、そこは町だった。
 ざわめきはまだ遠く、けれど活気だけは傍目にも判る。
「どこまで行ったのかしら?」
 つぶやいて、あたりを見回す。
 抜けた森を振り返ると、見事な切り口の木々があった。

 ……町とは違う方向に向かって。

 カルラの目が点になる。
 額に嫌な汗が浮かんでいるようにも見えなくもない。
「……これほどとは思わなかったですわ」
 む、と手を額にあてて唸る。
 トウカの向かったあさっての方向を見ながら、しばらく考える。
 何かを思いついたらしい。
 ポン、と手を叩く。
 そのまま町へ歩き出す。
 町までもう少しで着くころに、カルラが大きな声を出した。
 わざとらしいほどに、驚いたような声で。
「あ、あんなところにあるじ様がッ!」

 ぬけぬけと大嘘を付いた。

 待つこと数秒。
 遙か遠い先から、地鳴りのような音が響き渡る。
 だんだんと近づいてくるその音に、満足気な顔をするカルラ。
 小さく足を出して、そのまま待つ。
 さらに数秒。
 砂埃を巻き上げながら、途中で先を行く貨物を乗せた車を追い抜く。
 真剣な顔で、体はそれほど揺れていない。
「ぬぅわんですとーッ!!」
 そんな声。
 音より先に身体が飛び込んでくる。
 前を見てもいないのか、カルラの顔を見ると更に速度を上げた。
 踏み込む。
 と、足下にある足に引っかかった。

 ずがんごげんぞごりごりりりぐしゃごき、ずしゃーっ。

 転んで顔面から地面に突っ込んだ挙げ句、更に何かに引っかかる。
 先にある屋台にそのまま倒れ込み、果物が上から乗っかったまま、滑っていっ
た。


 ぴくぴく。
 ぴくぴく。
 倒れたまま動かないのに、ぴくりぴくりと震えている。
「……あらら」
 カルラが珍しく、本当に戸惑った顔になった。
 少しは悪いと思ったのか、トウカの背中をたたく。
「生きてますの?」
「……あの河の向こうには、天女が……」
 虚ろな目でにこやかに笑っている。
 ぺしぺしと顔を叩いて起こそうとするカルラ。
 それには反応せず、うわごとが続いている。
「可愛いにゃー」
 えへへー、と幸せそうな顔。
 どうしたものかと思ってその顔をつねってみる。
 伸びた。
「いい加減起きてくれませんかしら?」
 あちこちすり切れた服のわりに、傷は無い。
 申し訳なさそうにしているカルラが、揺り起こす。
 ぴくり、と反応した。
 鼻をつまむ。
 待つこと五秒。
 うっ、と苦しそうな顔になる。
 さらに待つこと五秒。

 ……トウカが跳ね起きた。

「そっ、そっ、それがしを殺す気でありまするかっ!?」
「起きたなら大丈夫ですわね」
 顔を真っ赤にして、トウカが立ち上がる。
 それを見て、カルラがほこりを払ってやる。
 一息つく。
 ふぅ、と息を吐き出す。
 と、まわりを取り囲まれていることに気付く。
 殺気立っているように見えなくもない。
 睨み付けられていることに、若干の疑問を持つトウカ。
 カルラに向かって訊いてみた。
「何故、某たちが囲まれておるのですか?」
「たぶん、あなたが壊したからではありませんの?」
 言って指差す。
 その方向には、先ほど景気良く破壊した屋台の群れが、連なっていた。
 店主たちはそれぞれ手に武器を持って今にも襲いかかってきそうな表情をしてい
る。
 やれやれ、とカルラが視線をトウカに向ける。
 どうするのか、という無言の相談。
 唸った後、トウカが頭を下げた。
「すまぬ。某に悪気は無かったのだ。許してくださらぬだろうか?」
 あっさりと謝ったトウカに困惑気味の店主たち。
 しばらく小声で話し合っていた。


 数刻後。
 来た方向とは逆にある山を歩くふたり。
 足音は、少しだけ気を付けて消している。
 しかし、気配は隠そうともしない。
 枝を払う。
 あたりを見回しながら、トウカが腰の刀に手を掛けている。
 真横からの光。
 木々の狭間に赤い夕陽が見えた。

 山賊を退治してくれ。
 それが、与えられた条件だった。
 壊された屋台の弁償代わりに、山に巣くう山賊の群れをどうにかしてほしい。
 そんなことを頼まれた。
 無論、あの状態では断れるはずもなく、山に登っている。
 しかし、山は広い。
 どこから奇襲を受けるかも、見つけられるかも判らない。
 ふたりは仕方なしに、辺りに気を配りつつ、わざと狙われるように歩いていた 。
 トウカがつぶやく。
「痛いのですが」
「悪かったですわ」
 謝るカルラに憮然としながらも、うぅむ、とそれ以上責めない。
 ただし、不思議そうな顔をしているトウカ。
「某は何故走っていたのであろうか……」 
 転んだ衝撃で忘れたらしい。
 足を引っかけられたことだけが記憶に残っているらしく、悩んでいる。
「こんなことで、うっかり者を直せるのか」
 自問自答していたりする。
 トウカの様子に見かねたカルラが話を逸らそうとした。
 が、その瞬間を狙い澄ましたかのように声を掛けられた。
「カルラ殿は、某がうっかり者でなくなるには、どうすればいいと思われますか
な?」
「え、と」
 言葉を探すカルラ。
 ちょっとだけ遠くに視線を彷徨わせてみる。
 トウカは、カルラをじっと見つめている。
「そうですわね……」
「ふむふむ」
 真剣な眼差しでカルラの言葉を待つトウカ。
 真っ直ぐすぎる瞳に、カルラは少しだけ真面目に答えた。
「もう少し、気楽に生きることですわ」
「気楽に?」
「ええ」
 トウカが黙り込む。
 小さく、気楽か……などと言いながら、迷った顔。
 難しそうに唸る。
「それは……」
 言いかけて、沈黙した。
 そのまま手を腰に持っていく。
 カルラも同じように、武器を持つ。
「その話は後でっ」
 トウカが言葉を吐き出しながら、ふたりは別方向に飛び退いた。
 地には数本の矢。
 風を切って、森の奥から更に飛んでくる。
 連続する軌跡。
 おそらく毒が塗ってある。
 トウカはそんなことを考えながらも、鞘から銀閃を疾らせる。
 夕陽に映えて、赤が揺れた。
 矢が弾かれ、斬られ、地に落ちる。
 それを見届ける必要はない。
 木々に隠れた射手には構わない。
 走る。
 走る。
 森の奥へ。
 だんだんと落ちてゆく太陽の、その光の届かぬ闇の中へ。
 降り注ぐ矢の雨を、すべて紙一重で避けながら。

 カルラが弓手を見つけて、一撃で沈黙させる。
 森の奥に走ったトウカのことは心配無い。
 だから、と逃げようとする相手を待ち伏せるため、静かにそこで佇んでいた。
「お手並み拝見、とさせていただきますわ」
 にっこりと、優しい笑みを浮かべたままで。

 気配がある。
 荒っぽい罵声。
 焚かれた火の側に、凶悪な顔付きの山賊たち。
 なるほど、これでは間違えようのない。
 トウカが刀に手を掛けて、息を吸い込む。
 男たちの眼前に、飛び出た。
 大声で名乗りを上げる。
「某の名は、トウカ。悪逆非道を尽くすお主ら山賊を成敗しに来たッ!」
 叫びに、男たちはめいめいの武器を持った。
 油断無く、トウカのまわりを取り囲む。
 その数、十三人。
 中央にいた男が遅れて立ち上がる。
 おそらく頭領であろう。
 どこか、……格が違う。
 男が叫んだ。
「殺せッ!」
 号令のように、一斉に襲いかかってくる。
 刀を振り回す山賊たちに、まだ、抜かない。
 トウカは一歩引いて、避けるだけ。
 殺気立った彼らの、力任せの一撃が襲う。
 寸前まで待つ。
 バラバラな足音と、断続的に振り下ろされる刀から、身をひねってかわす。
 一瞬、動きが止まる。
 踏み込みが深い。
 若干、前に出るトウカ。
 視線が貫くように数人を通り抜ける。

 ヒュゥ、と息を吐き出して。
 たったひとつの光刃が、幾度も踊る。

 速さに、双剣のように見えるほどの残像が映る。
 居合いの一閃のあと、切り返し振り抜き、最後にもう一度振り下ろす。
 鞘走る音から数瞬で、まず五人が倒れた。
 次の三閃で四人が斬られて跳ねた。
 恐怖に駆られて乱暴に得物を叩き付けてくる男。
 統制のとれていない雑魚に、トウカの一撃は、あまりに重かった。

 両断。
 鞘鳴りと同時に、手に持った刀ごと、身に付けていた鎧も裂かれる。

 雷光のように、
 疾風のように、
 ひたすらに、速い。

 後ろから近寄っていたもうひとりに、振り向きながら一閃。
 さらに、踏み込む。

 斬。

 呼気は鋭く。
 剣閃は鮮やかに。
 その居合いは、あまりに綺麗だった。

 残り、ふたり。
 無言のまま、首領格の男が向かってくる。

 ……手練れだった。
 横に薙げば、一端離れて突きが来る。
 袈裟切りに踏み込めば、刀を力で弾いてくる。
 金属が鈍い音を立てた。
 耳障りなその音は長く続かない。
 短く、斬り合う。
 数度の打ち合いのあと、横合いから不意に来る手下。
 その切っ先から逃れながら、刀を合わせて引く。
 キィィン、と高い金属音。
 刀が揺れる。
 隙が出来たと見たのか、首領が刀を振り下ろす。

「クッ……」
 呻きながら、直前で刀で防ぐ。
 かろうじて弾く。
 一歩離れる。
 トウカは、刀をそのまま鞘へと戻す。
 居合いの体勢。
 眼前のふたりが、迫る。

 軽く、息を吸い込む。
 カチリ、と鯉口を切る音。
 腰を落とした。
 低い位置。

 刀に添えた手は、意識しない。

 暗転。
 全ての音が消える。
 世界は、一瞬に閉じこめられる。

 音は一度。
 鞘走る、悲鳴のような鉄の音。

 光は一度。
 あらゆるものを両断する、優しい一閃。

 そして、残ったのはトウカ、ただ一人。
 振り抜いた姿のまま、息を大きく吐き出した。

「終わりましたの?」
「……ふぅ」
 呼吸を整えるトウカ。
「終わった……ようですわね」
 まわりを見回して、カルラがつぶやく。
 刀を納めつつ、トウカが促す。
「では、参りましょうか」 
「どこへですの?」
「あの町へ、ですよ」
 言いながら、すでに歩き出している。
 カルラが追いかける。
 そのまま訊く。
「そんなに急がなくてもよろしいのではなくて?」
「いえ。あの町の者たちの不安は、できるだけ早く取り除いてやらねば」
 真剣な顔で答えるトウカ。
「ふふっ」
 その答えにカルラが微笑む。
 山道を、軽い歩調で歩いていく。

 途中、トウカが笑いながらカルラに話しかけた。
 少し前に話していたことを、歩きながら考えていたらしい。

「某は、気楽には出来そうにありませぬ」
「そうですの?」

 笑った顔のまま、ふたりが歩いていた。
 カルラが地に這う太い根を飛び越える。
「精一杯、出来る限り、やるべきことをしっかりとやる」
 それにならって、トウカが根に飛び乗って、降りる。
「迷っても、某は真っ直ぐに進むしかできぬゆえ」
 カルラは興味深そうに、口を挟まずに話を聞いている。
 木々の先に、町の灯が見えた。
 それを見て、トウカは、踏み出しながら続きを口にする。

「……不器用な某は、そうすることが一番気楽なのですよ」

 そんな台詞を言いながら。
 トウカは、少し照れたように微笑んだ。



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 以上。
 トウカは可愛いにゃー(笑
 あ、返品不可ということで。(笑)


 トウカは可愛いにゃー(笑

 yoruha様のサイトとのリンク記念にわざわざ送って戴きましたー。
 ED後のカルラとの掛け合いSSですが、言動が実に良い味出しています。
 確かにこの二人ではこんな調子の道中を続けるのではないかと思いました。
 今後もトウカSSの主流はこの二人の掛け合い形式になるのではないでしょうか。
 一番弄る人と弄られる人のコンビですし。


 yoruha様、本当にありがとうございました。


yoruha様のHP 



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