こわれものちゅうい


2001/05/21



 カチャ…きぃぃ…………。


 遠野の屋敷の一室。
 部屋の扉が静かに開き、月明かりが扉向こうの窓から部屋へと射し込まれる。

 そこに立つ、人物が1人。

 部屋の中は、余計な調度品などは無く、ほとんど必要なモノだけで構成されているよう
に見える。扉側に立っていた人物は、その部屋の中へ迷うことなく踏み込んだ。
 向かう先には……ベッドがある。
 勿論、そこに横たわって、規則正しく静かに寝息を立てる人物は気付いていない。

「……」

 ふと、側に立つ人物が微笑んだように空気が揺れる。
 その手には…注射器。

 手が動き…迷うことなく。

「う…」

 刺す。
 …注入。
 完了。

「…う」

 ベッドの上で眠る者は、少し何かの反応は見せたが起きる気配はなかった。

「ふふふっ……」

 部屋に入ってきた時と同じ動作で。
 その人物は、そっと出て行く。

「ふふふ…ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ
 ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ
 ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふっふっふふっ…」

 …強烈に妖しい微笑みを浮かべながら。




               『こわれものちゅうい』




 朝。
 わたしはいつもの時間に起きて、いつもの時間にお台所に立って、いつものように朝御
飯を作っていた。今日は休日だったけれど、わたしの生活リズムがそう大きく変わること
はない。
 だって、それがわたしのお仕事だから。
 …それ以上に、お仕事をしないとゲーム以外にそれほどやることが無くて暇だ、という
こともあるのだけど。

 とタタタタタタタ…!

 わたしがお味噌汁の味見をしていたとき、静かに、けれど凄い勢いで翡翠ちゃんがお台
所に顔を出しました。
「…姉さん、あなたって人は………!」
 わたしの顔を見るなり、開口一番にそう言った。
 表情を見る限りでは、かなり怒っているかな。
「あ、翡翠ちゃんおはよう」
「あ、はい、お早うございます………ではなく、姉さん!」
 いつもの通りに挨拶をするわたしにつられて、翡翠ちゃんも思わず普通に挨拶を返して
くる。ふふっ、流石わたしの妹、可愛いですねー。
「また志貴さまに変な薬を投与しましたね…?」
「変な薬だなんてとんでもないなぁ。ちょっとアレが元気になりすぎちゃうような薬をす
 こし…」
「まさか…まさかあんな薬まで持っていたなんて…!」
「だって、翡翠ちゃんも志貴さんが元気な方がいいでしょう? あ、秋葉さまが何て仰る
 かはちょっと気にしないと…」
「志貴さまを子供にしてどうするんですか…!」
「でもどうせならみんなで楽しめば…」


 一瞬、沈黙。


「「え?」」


 わたしと翡翠ちゃん、お互いにお互いの話がかみ合ってないことに気付きました。
「翡翠ちゃん、志貴さんが子供って…?」
 とりあえず、わたしは今の志貴さんの状態が普通ではないらしいので、翡翠ちゃんから
話を聞くことに。
 すると…。
「はい、先程わたしが志貴さまを起こす為にお伺いすると…ベッドの上で寝ていらしたこ
 とには変わりなかったのですが…その、9歳ぐらいのお子さまになられていたんです」
 そう、志貴さんが子供に…。
 …。
「…うそ」
「…本当です」

 再び、沈黙。
 わたしはうーんと唸りながら、一生懸命に考えてみた。
 昨日志貴さんに投与したお薬は、私が昔から栽培していた朝鮮人参とかセンヤクとかか
ら抽出した栄養剤みたいなもので、別にそんな妖しげな成分は含まれていなかった…はず。
「翡翠ちゃん、わたしが昨日志貴さんに投与したのはごくごく普通の栄養成分で、それは
 滋養強壮、肉体疲労時に効果をあらわすんだけど、健常者だと凄く元気がでる薬でしか
 ないんだけど」
「…でも、実際に志貴さまは…」
 わたしの説明を聞き、翡翠ちゃんはわたしがヘンな薬を志貴さんに投与した、というこ
とは誤解だと納得してくれたらしい。
 …最も、何であれ薬を投与したのは確かなのだけど。
「それで、いま志貴さんは?」
「あ、はい、まだ部屋でお休みのはずです」
「じゃあ、ちょっと見に行ってみましょう」
 私と翡翠ちゃんは、一緒に志貴さんの部屋に移動することにしました。

    :
    :
    :

 わたしと翡翠ちゃんが志貴さんの部屋がある二階に上がったとき。
「に、兄さん!? どうしたんですか、兄さん!? 一体コレはどういうことっ!?」
 あ、やばいです。
 一番見つかってはならない人に発見されてしまうとは。
「琥珀! 琥珀っ! 居るんでしょう!? ちょっと兄さんの部屋まで来て頂戴!」
「はい、何かご用ですか、秋葉さま」
「あ、琥珀…!」
 秋葉さまはわたしをキッときつく睨み、早速口撃(誤字じゃありませんよ?)を開始さ
れました。
「…ちょっと琥珀、理由を聞きたいんだけど」
「はい? 何の理由でしょう?」
 秋葉さまの問いつめに対し、わたしはあくまでシラを切る。
 この方の恐ろしいところは、今ベッドで寝ている男の子の事となると、極端な執着をみ
せられることだった。勿論、それはどれほど歪曲された理論であっても押し通す程に。
「…へぇ、あくまでシラをきるつもり? こんな事が出来るのは、マッドでサディスト、
 猫の皮を被ったサイコガーデン管理人の魔法少女しかいないと思うのだけれど」
 …。
 …秋葉さま自身だって、相当なサディストだと思うんだけどなぁ。
「いえ、わたし、本当に判らないんですよー。昨日は確かに、疲労回復のお薬はお出しし
 ましたけど、それ以外は何もお出ししておりません」
 私は思ったことなどおくびにも出さず、本当の事を話す。
「……」
 秋葉さまはジッとわたしの事を見、そして翡翠ちゃんを見、その後暫く目を瞑られてか
ら、最後に大きな溜息を一つつかれました。
「じゃあ、誰も何がどうなっているのか判らないってこと?」
「はい、そうなりますね」
「わたしにも、全く……」
 そして秋葉さまは志貴さんをみて、また一つ溜息をつかれました。
「どうすれば元に戻るのかしら…というより、そもそもの原因って…何かしら」
「うーん、それなんですけど…わたしが差し上げたお薬っていうのはですね、本当に只の
 栄養成分ですから、もしそれが原因であれば、恐らくその栄養効果が切れた時点で元に
 戻られるんじゃないかな、と思うんですけどねー」
 わたしの薬が直接的では無いにしろ、何らかの影響があったのならばそうだろう。
 わたしの言葉に、秋葉さまは黙ってうつむき、少し考えておられる御様子。翡翠ちゃん
はといえば、そんなことより志貴さんの事が気になるのか、ベッドの上をちらちと見てい
る。
「あの……」
 そんな翡翠ちゃんが、口を開く。
「なに? 翡翠」
「はい…もうすぐ志貴さまはお目覚めになられると思います」
 おお、流石は翡翠ちゃん。伊達に毎日志貴さんを起こしているわけではないということ
ですね。…そういえば、いつぞや志貴さんが目を覚まされる時は特徴があると言っていま
したっけ。
「う…ん……。ふぁ………あ」
 ぱちり、と。
 志貴さん(9歳児)が目を覚まし、ムクリとベッドから上半身を起こされました。
 そして、すぐにわたしたち3人が勝手に部屋に入っていることに気付き…。



「お早うございます」(にっこり)



 ズギャーーーーーーーーーーーーーーーン!
 …と、そこにいるわたし達三人に、稲妻が走ったような効果音が。
 「………」
 「………」
 「………」
 事実、みんな志貴さんに返答をする事を忘れ、頬を染めたり、照れたり…。
 私も思わず唖然としてしまってます。
 だって、それは…。


 …可愛いから。


 ああ、何て無邪気で柔らかなその笑顔!
 そりゃ、そんな笑顔をされたのなら、秋葉さまも翡翠ちゃんも骨抜きにされて当然です
ねー。そうやって笑われたら、思わずこちらも「えへへ」なんて他人にはとてもじゃあり
ませんが見せられない、ふにゃふにゃな笑顔で返しつつ、迷わず首に輪っかなどを繋げて
しまうに違いありません! しかも今はあの分厚い縁の眼鏡もかけておられませんし、滅
多に見れない素顔の志貴さんが…!
 現に今だってほら、ああもう秋葉さまが耐えきれずに…。
 …はっ!?
「はい、お早うございます、志貴さん。申し訳ございません、勝手にお部屋に入ってしま
 って。でもこれは、少し風雲急を告げる事態が発生しましてですね…」
 妙な動きをしそうな2人を差し置き、とりあえず志貴さんに事態の説明を。
 志貴さんをゲットする為…じゃなかった、守るためにも、話を進めないといけません。
「志貴さん、お体で痛む所とかありませんか?」
「いえ、特には。それより、初めまして…ですよね。僕は遠野志貴です。ええと、お姉さ
 ん達は…今日からこちらに来られた方々ですか? 済みません、起きるのが遅かったか
 ら、部屋までお越し頂いたんですね」

「「「…え?」」」

 志貴さんの言葉に、わたし達三人は見事に固まる。
「いやぁ、また起きるのが遅ーい!ってあの子に言われ…あれ? 僕、なんでベッドでな
 んて寝てるんだろう。いつもはお座敷で煎餅布団敷いて…」
 どうも志貴さんの言動が変な感じです。
 これは…ひょっとして……。
「あの、志貴さん、わたしが誰だか…判ります?」
「…え? いいえ、初めてお見かけすると思いますけど…」
「…」
 わたしは思わず、固まってしまう。
 そりゃ、志貴さんと特別仲がいいわけじゃありませんよ。志貴さんのお世話係は翡翠ち
ゃんですし、わたしとの接点はあまり無いって言ってしまえば無いんですけど。
 それでも、それでも忘れられてしまうなんて。
「に、兄さん、私は…私は判りますよね?」
「え?……ごめんなさい、判りません」
 その志貴さんの回答に、ガーン、という表情で固まる秋葉さま。
「あの、志貴さま、わたしは…」
「…………すみません」
 …翡翠ちゃんも固まりました。
 でもこれで決定的になりました。
 志貴さんは…。


「記憶も昔に戻っちゃったみたいですねー…」


 そう、わたしは呟くしか無かったのでした。

    :
    :
    :
    :
    :

 ドタン、ドシン、バタバタばたばた…!
 勢い良く二階某所の窓が開き、そこから何者かが侵入してくるのが判りました。
 最も、こちらから来ていただくように連絡をしたのですから、当然と言えば当然なんで
すが…それでも、せめて一階の玄関から入って欲しいものです。
 そんなことを思っていると、ばたん、と無遠慮に居間の扉が開けられ、そこから金髪を
振り乱したアルクェイドさんが顔を出しました。
「ねぇ妹っ! 志貴が大変だって聞い…」
 居間の真ん中で、秋葉さまの隣にちょこんと座る志貴さんを見つめたまま、少しばかり
固まってしまったアルクェイドさん。そんな彼女に対して、秋葉さまは予想通りというか、
いつもの通りに遠野家当主として、毅然と文句を…ではなく、忠告をされます。
「…わざわざ報せたのは私達の方ですが、もう少し落ち着いて、静かにお越し頂くことは
出来ないのですか? あなた…」
 と、秋葉さまの言葉が終わるか終わらないかの瞬間。
「きゃーっ!! 志貴、可愛い〜!!!!」
「ひっ!!」
「うわぁっ!」
 アルクェイドさんは、人間外の動きを見せ(もとから人間じゃありませんでしたね)、志
貴さんに飛びついたのです。
 秋葉さまもその動きに一瞬吃驚なされ、アルクェイドさんが志貴さんに抱きついている
のに、少し混乱して状況が把握できてない様子。
 ちらり、と翡翠ちゃんを見ると…。

 …む、かなりご機嫌ナナメです。

 そんなことはお構いなしに、アルクェイドさんは志貴さんをもごもごと抱きしめて離し
ません。
「あ、あの! だ、誰!? この綺麗なお姉さん…僕は全然知らないんだけど…っ!」
「んふふ、綺麗だなんて、志貴はやっぱり素直……って、え? なに? 志貴ってばもし
 かして、わたしの事も全く覚えてないの!?」
 ギュギュ、と抱きしめていた志貴さんを引き離し、驚愕の表情で志貴さんを見つめる金
髪の綺麗なお姉さん。
「あ、あはは」
 それに対し、曖昧な笑顔で応えるしかない志貴さん。
 まぁ、そうでしょうねー。
 わたし達ですら見分けがつかなかったのに、アルクェイドさんだけ記憶に残ってる、な
んてことであれば、少し志貴さんには痛い目を見てもらわないといけなくなりますもんね。
 それでも、急に真剣な表情になったアルクェイドさんは志貴さんに語りかけます。
「志貴? いい? 良く聞いて」
「は、はい」
 そのあまりに真面目な表情に、頷く志貴さん。
「貴方はね、わたしと運命の糸で結ばれた、恋人どう――――」
「何嘘を吹き込んでるんですかソコおぉぉぉぉっっっ!!!」
 ガヒュヒュヒュヒュン!
 凄まじい勢いで、黒い槍のようなものがアルクェイドさんを襲う。
 が、ひょいと志貴さんを抱え、その全てをかわしつつ隣のソファーに座り直すアルクェ
イドさん。
 何だかあの人、猫みたいですねー。
 しかも、ちゃっかり志貴さんを膝の上に乗せて座っている要領あたりが。
「と、遠野くん…何てかわい…あ、いえ、変わり果ててしまった姿に…」
 よろよろと、何やら顔がニヤけそうになるのを必死に堪えた状態でシエルさんが居間に
入ってらっしゃいました。とりあえず、これで秋葉さまが声を掛けられた方は、皆様そろ
われたわけですね。
「あの、秋葉さま、皆様お揃いのようですので」
「え? あ、そ、そうね」
 少し唖然としていた秋葉さまはコホン、と一つ咳払いをし、
「お二人にお越し頂いたのは言うまでもありません。兄さんがご覧のように…少し体に変
 調をきたされておりますから、何が原因か…もしくは、何かの解決方法を御存知であれ
 ば、お教えいただきたいと思った次第です」
 そういって、未だ志貴さんを抱いたままのアルクェイドさんを睨まれる秋葉さま。
 秋葉さま、がんばれー!…なんて心の中で暢気に応援してみたり。
「戻す方法って言ってもねー。わたし別に術とか使ったりしないし。むしろシエルの方が
 詳しいんじゃない?」
「そう言われてもですね…わたしだって大人が子供になっちゃった時の戻し方なんて知り
 ませんよ。そもそもどうやって子供になったかも判らないんですから」
 そう、何故志貴さんが子供になったかが判らないんですよねー。
 関連があるとすれば、わたしが投与した薬ですけど。
 でもアレはホントにただの栄養剤ですし。
「まぁ良いじゃない、このままでも……ねー」
 そう言ってアルクェイドさんは抱えた志貴さんのほっぺに、んちゅ〜〜と接吻をする。
 志貴さんはあまりの事に身動きが取れないご様子。
 うーん、まだこの頃は純粋なんですねー。
 見てる皆さんは動転しておられるみたいですけど。
「あ、あ、こ、このあーぱー吸血鬼!! 遠野くんから離れなさいっ!」
「そうです! 貴方達をお呼びしたのは兄さんに触れさせるためではなく、その解決方法
 をですね…」
「えー。良いじゃない、暫くこのままでも。妹が世話するのが面倒くさいって言うなら、
 わたしが引き取ってもいいよ」
「そ、そんなの断固として認めるわけにはいきません! 吸血鬼やらブラコンの血族から
 遠ざけ、わたしと一緒に教会に…」
「何を勝手な事を…。兄さんの家は初めからここだけです。貴方達のような無粋な輩は、
 兄さんを元に戻す方法を考えることを許しこそすれ、本来であれば触らせるなど!」
「えー? でも妹は駄目だよ。妹だもん」
「ぐっ…で、ですけど、兄さんの唯一の肉親は私だけですっ!」
「それにさ、これぐらいの年齢だったらまだまだ寂しがる時期だろうし…」

 そう言って、膝の上に半分無理矢理座らせている志貴さんの頭を抱えて…。
 …また、志貴さんの顔を胸の谷間に埋めさせて抱きしめるアルクェイドさん。

 …む。

 あ、いけません、危うく表情が動いちゃうところでした。
 見ると翡翠ちゃんは泣きそうな表情をしています。
 うーん、翡翠ちゃんじゃ絶対取れない行動ですもんねー。
 そんな周囲の想いは無視して、アルクェイドさんは続けて言います。

「こうやってシテあげられるの、わたしぐらいのものでしょ? だって、妹には到底無理
 だもん」
「なっ…………………………!!」
 ねー、と笑って言いながら、アルクェイドさんは志貴さんに話しかける。
 その言を聞き、今にも髪が紅くなりそうな秋葉さま。
 対して志貴さんは、顔が真っ赤になっている御様子。
 …まぁ、確かにアルクェイドさんはスタイル良いですからね。
 わたしの場合は、サイズは兎も角、形なら負けませんけど。
 そこへ、まぁまぁと言いながらシエルさんが割り込み…
「別に秋葉さんが無理でも、アルクェイドでなく、わたしなら充分にできますよ?」
「なっ……………なっ…………………っっ!!!!!」
 …追い打ち。
 非道いですね、まずは一人、といった所でしょうか。
 こういった場合の連携が取れているこの二人の関係って…不思議です。
 メモしておきましょう。
 …あ、秋葉さま、反転してる。
「さぁ、ですから遠野くんをわたしに渡して下さい」
「嫌。だいたい、シエルの場合は太ってるだけじゃない」
 …ゴウァァァッッッッ!!!
 アルクェイドさんの言葉をきっかけに、シエルさんの目つきが変わる。
 真冬のように吹雪く轟音。
 ああ、部屋の中が一瞬異界に…。
「何を、根拠に、そのようなデマを?」
「別に〜。デマでも何でもなくて、見たままを言ってるだけだけど」
 ぶち。
 シエルさんの何かが切れた音が聞こえた気がしたとおもったら…

 ヒュヒュヒュン!

 いきなり刃物を投げつけていました。
「わっ! 危ないじゃない! 志貴に当たったらどうするのよ、このバカ尻エル!」
「…わたしのどこがどう太っていると…?」
「そのフヨフヨしたウエストに大きすぎるお尻」

 ヒュヒュヒュヒュチュイインンッ!

 あ、投げた武器の一つがアルクェイドさんを掠りました。

「あああ危ないって言ってるでしょうが!」
「五月蠅いですね…今日という今日、今という今になって痛感しました。やはり貴女は殺
 しておくべきだと」
「お待ちなさい! あなた方、この家で勝手な振る舞いは私が許しません!」
「妹は邪魔。ろくに胸もないんだから、どっか行ってて」
「秋葉さん、その洗濯板のような胸ではこの戦いに参加できません。外れてください」
「………………ふ、ふふふ、ふふふふふふふふふ……………」
 …アルクェイドさんとシエルさん、言いたい放題です…御陰でどうやら秋葉さまも完全
にキレちゃったみたいです。
 ここは危ないですね…。
 見ると、志貴さんはアルクェイドさんの戒めを解かれ、今の状況におろおろとしておら
れます。
「志貴さん志貴さん、こちらへ」
 わたしがそっと声をかけると、気付いてぱっと微笑み、駆け寄ってきます。
 …うーん、飼いたい位に可愛いです。
「あの、こういう場合はどおしたら良いのかな」
 志貴さんが心配げな表情で、そうわたしに聞いてきました。
 そうですねぇ…。
「あの、志貴さん、このような場合は極端な例ですから、特にお気になさる必要はありま
 せんよ。今からここで起こるのは怪獣大戦争ですから、わたしたちは外に出て遊んでい
 ましょう」
「ええっ!? 良いんですか?」
「ええ、構いません。ね、翡翠ちゃん」
 いつの間にかわたしの横にいた翡翠ちゃんにそう聞く。
 翡翠ちゃんも、さも当然、と言わんばかりにはい、と言って頷く。
「じゃ、そういうことでお外にお出かけです」
「は、はぁ…」
 何やら釈然としない様子の志貴さんの手を引きながら、わたしと翡翠ちゃんは屋敷の庭
に出ることにしました。

    :
    :
    :
    :
    :

「ほら、志貴さん、今日も良い天気ですよー」
「うん、そうだね…でも良いのかな、ホントに」
 志貴さんはまだお屋敷の方を見ながら、少し心配そうにしています。
「大丈夫ですよ。こんなことは日常茶飯事ですから」
「ええっ!? そうなの!? 僕は翡翠って子と、妹の秋葉と、あと四季ってヤツがいる
 んだけど、その子達としか遊ばないし、滅多に会わないから…」
 そうだった。
 まだ志貴さんには細かいところは説明していませんでした。
 翡翠ちゃんをみると、何だか懐かしそうな目で志貴さんを見ています。
 …そうだ。
 そうなんだ。
 …。
「あのですね、志貴さん…」
「はい、何でしょうか」
「実はですね、志貴さんの知っている秋葉ちゃんや翡翠ちゃん、今日はお出かけしていて
 居ないんですよ。だから今日は私たちと一緒にいましょうね」
「あ、そうだったんですか。良かった、何だか知らない人達ばかりでしたから、少し混乱
 してしまって…」
「ふふふ、そうですよねー。だからあんな怖いお屋敷の中より、わたし達と一緒に遊んで
 いましょう!」
「うん!」
 わたしの話を素直に信じ、元気よく頷く志貴さん。
 翡翠ちゃんが何か言いたそうですけど、今は先に志貴さんを…。
「じゃあ、志貴さん、かくれんぼしましょうか!」
「うーん、何だかいつもと変わらないけど、しょうがないよね」
「じゃあ、かくれんぼの範囲は、こちらのお庭と離れのお家です。あちらの屋敷と裏庭は
 駄目ですよ?」
「うん、判った!」
「じゃあわたしが鬼をやりますから、10数えるうちに隠れてくださいね」
「オッケー!」
「いーち、にーい、さーん…………」
 わたしは声を上げながら、翡翠ちゃんの袖をつかみ、これは志貴さんをとりあえず離す
為だという意志を伝える。
 翡翠ちゃんはこくりとうなずき、とりあえず隠れる素振りだけを見せる。
 うん、上出来上出来。
「はーち、きゅーう、じゅーう………もーいいかーーい?」
 そう問いかけると、もおいいよぉ、と離れのお家の方から聞こえてくる。
 …意外に判りやすいんですねー、ここのお庭。
 そんなことを思っていると、被っていた草をガサガサ掻き分け、翡翠ちゃんが出てきま
した。…翡翠ちゃん、意外にやる気満点ね。
「姉さん…志貴さんに今の状態を伝えないんですか?」
 やっぱり。
 さっき何か言いたそうだったのはそのことだろうと思いました。
「はい。今、志貴さんにそのことを言っても混乱するだけでしょうし、出来れば変に意識
 されたくないですからねー」
「…でも、今日一日で解決しなければどうするんですか」
「ん〜、そのときはそのときかな。それに、話すとなると秋葉さまもご一緒の方が良いと
 思うから」
 そう言うと、翡翠ちゃんは納得したのか、黙って少しうつむいた。
 翡翠ちゃんとしては、言いたい気持ちは判るけれど…ごめんね。
 …それに、今の時期の志貴さんとは、わたしはまだ出会っていないから……。

「というわけで」

 少し沈黙が続いていたけれど、明るい声で翡翠ちゃんに話しかける。
「わたしはこれから志貴さんを探しに行くので、その間に翡翠ちゃんはもう一度隠れるこ
 と。…良い?」
 こくん、と。
 翡翠ちゃんが頷き、またいそいそと隠れる場所を探し始める。
 …もしかしたら、翡翠ちゃんはこの手の遊びが大得意なのかもしれない。
 そんなことを思いながら、わたしはとりあえず離れのお家に向かった。

    :
    :
    :

「し〜き〜さ〜ん、ど〜こ〜で〜す〜かぁ〜」
 カラカラカラ、と離れのお家の玄関を開けながら、少し怪しげに声を出してみる。
 うん、雰囲気的にも良い感じかもしれません。

 …しーん。

 そんな声にびくびくして物音でも立ててくれるかと思って少し期待しましたけど、どう
やら失敗したようです。
「し〜き〜さ〜ん、で〜て〜ら〜し〜て〜く〜だ〜さ〜いぃ〜」
 相変わらず変な口調で呼びかけながら、お台所やお風呂場等を調べて回る。
 うーん、意外に声が届いていたから、この辺だと思ったんですけどねー。

 …と。

「…ぅ……」

 微かに、ほんの僅かな声が聞こえた気が。
 …もしかすると、あの奥のお座敷かもしれませんね。
 そう思ってとりあえず足を進めると…。

「う…ううう…」
「…志貴さん!?」
 何処からか志貴さんのうめき声のようなものが聞こえる。
「ぐ…………あ…………あ」
「志貴さん、志貴さん、どちらですかっ」

 …返事は無い。

「志貴さん、志貴さん、どちらにおいでですかっ」
 もう一度問いかける。
「…………あー、琥珀さん、ごめん」
「志貴さん! こちらですね、失礼し……」
 部屋の一室から申し訳なさそうな声がしたかと思ってそちらに入ると、なんと…。
 …。
 ……志貴さんの体が原寸大のサイズに戻ってるじゃありませんか!
「…志貴さん? もしかして今…?」
「あ、うん、何だかね、何がどうだかよく判らないんだけど…」
 そう言う志貴さんは見慣れた高校生サイズの志貴さんで、いつもどおりの表情で苦笑い
されています。
 思わずじーっと志貴さんを見ていると、
「えーと、それで琥珀さん、申し訳ないんですけど、服を1着…」
「え? あ、ああ、すみません、気が付かなくって…今すぐお持ちしますね」
 いけないいけない…。
 ちょっと嬉しかったせいか、ぼーっとしてしまいました。
 …それに志貴さん、裸でしたし。
 とりあえずわたしはダッシュで屋敷に戻り、未だ続く怪獣大戦争の中をかいくぐり、志
貴さんの部屋へ行き、着替えと靴をもって再びダッシュで離れへと急ぐ。
 そして部屋に着くと、大人しく待っていた志貴さんに着替えを渡し、とりあえず部屋の
外へ。
「…良かったですねー、無事に元に戻られて。一時はどうしようかと」
 部屋の外から、そう声をお掛けしてみる。
「うん…でも俺は良く覚えてないんだけどね、さっきまでの子供になってたことって」
「あれ? そうなんですか?」
 …それはそれで、覚えていない方が秋葉さまに対しては良いかもしれませんね。
「うん、何だか記憶にへんな霞がかかっている感じ。まぁ、何て言うか夢よりもあやふや
 で……よっと……もう頭に残ってないなぁ」
「そうなんですか…」
 わたしが呟くと同時に部屋の襖があいて、着替え終えた志貴さんが出て来られました。
「うん、でもまぁ、よく判らないけど大変だった気がする」
 そう笑いながら、志貴さんは靴を履く。
「さて、とりあえず屋敷に戻ろうか」
 …あ、今はちょっとタイミングが悪い気が。
「あの、志貴さん、ちょっと宜しいですか?」
「え? はい、何です?」
「実は………」
 そして、わたしは今の状況…屋敷内では子供になっていた志貴さんの所有権を巡って、
めくるめく怪獣大戦争が行われていること、それで今はそこから逃れ、とりあえずかくれ
んぼをしていたことを伝えた。

「…あー、じゃあ暫くは屋敷に戻りたくないなぁ…」

 という志貴さんのひとことで、わたしと志貴さんはとりあえずお庭に出てみることに。

「うわ、良い天気」
「うーん、ほんとに記憶に残っていらっしゃらないんですね」
「え?」
「だって、先ほどまで庭を歩いていたんですから」
「ああ、そっか」
 笑いながらわたしの言葉に頷くと、志貴さんはいきなり庭の芝生に寝っ転がった。
「うーーーーーん、気持ちいいなー。ほら、琥珀さんも」
 ぽんぽんと隣の芝生を叩かれる。
 …えいっ。
 わたしも思い切って寝っ転がってみる。
 秋葉さまに見られたら怒られるでしょうねー。
「ね、気持ちいいでしょう?」
「そうですねー」
 わたしと志貴さんは二人で庭の草むらで寝っ転がる。
 はー、本当に気候が良いのですぐにでも眠くなっちゃいそうです。
「でもあれだね、アルクェイドやシエル先輩も来てるんだ」
 志貴さんは、時折大きな物音を発する屋敷を思って、そう呟く。
「ええ、大人気でしたよ、子供の志貴さん」
「……喜んで良いのか悪いのか…」
「ふふふっ」
「でも、色々あったけど、こんな騒ぎにも慣れてしまったのがちょっと…」
「…そうですね〜」
 わたしと志貴さんは、クスクスと笑いあう。

 空を見る。
 ゆっくりと雲が流れて、さわさわと風が吹く。

 隣で浅くゆっくりと呼吸をする、志貴さんの吐息が聞こえる。
 わたしは目を閉じ、瞼に陽の光を感じる。


 なんて…儚い。
 なんて…儚くて、心地良い…。

 そんな日常。

 わたしは。

 今ある日常が、暖かで、柔らかで、そして…儚くて。


 …ドカーーーン!
 大きな音が響き、屋敷の方を見ると窓が一つ吹き飛んでいた。


 …そう。
 アルクェイドさんやシエルさん、秋葉お嬢さまに翡翠ちゃん。

 …そして、志貴さん。


 誰が欠けても、こんな日常は成り立たない。


 …わたし。


 ああ、そうなんだ。
 …わたしもそんな儚い日常の中にいるんですね。



 とおくてとおくて、とても届かなかった日常に。



 ふと志貴さんを見る。
 志貴さんは空を見ていた。

 徐々に赤みが増す、空。

「…ふふっ」
「…? どうしたの、琥珀さん」
「いえ、何だか今日は気分が良いので、晩ご飯は腕によりをかけてご馳走にしますよー!」
 おー!と気合いをいれて、拳を空に突き上げる。
「むむっ、それは楽しみ。琥珀さんの料理は何でも絶品だからなぁ」
「ささ、じゃあそろそろお屋敷に戻りましょう」
 わたしは上半身を起こし、志貴さんを見る。
「そうだね……あまり気が進まないけど」
 志貴さんも、よいしょ、と言って上半身を起こす。
「駄目ですよー。志貴さんが原因で皆さん揉めてるんですからね」
「うう、本人には自覚ないんだけどなぁ…」
「大丈夫ですよ、いざとなったらわたしがチョチョイのチョイっと助けて差し上げますか
 ら」
「みんなに薬でも盛るんですか?」
「ふふっ、秘密です」
「はははっ」

 志貴さんは立ち上がり、笑ってわたしの手をとって同じように立ち上がらせてくれる。
 わたしはその手を離さず、逆にぶんぶん振りながら、さー帰りましょー!なんて言って
歩き始める。
 志貴さんも、おー!と言いながら隣を歩く。



 手は、離さずに。



 そう。
 これからは。
 ずっと一緒に。












 …50分後。
 かくれんぼですっかり忘れていた翡翠ちゃんが屋敷に戻ってきました。
「非道いです…志貴さまも姉さんも…」
「あ〜……ごめんね、翡翠ちゃん。ついうっかり…」
 ぐすぐす。
 わたしが謝っても効果がないのに、
「ごめんな、翡翠…」
 申し訳なさそうに謝りながら、キッチンに来た志貴さんに頭を撫でられただけで…。
「…いえ、構いません。志貴さまも、元に戻られたんですね…」
「うん、おかげさまでね」
「…良かった」
 なんて、頬染めながら許しちゃうんですもんねー、翡翠ちゃんてば。
 何だかなぁ。
 でもそれが、翡翠ちゃんといえばらしいんですけどねー。


                                    ―――了。



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 ええと、本来であれば贈り物SSなのでコメントは書かないのですが…この作品だけは
ちろっとだけ。
 出来れば読まれた方、この琥珀さんは違うだろうとかここはこうだろうとかああだろう
とかいった指摘をプリーズ(苦笑) 実際のところ、琥珀さんのキャラがまだまだ自分とし
て掴みが甘い気がして、ちょっと…。ですので、色々仰って頂ければ嬉しいです。それで
また、次により良い形で割烹着の悪魔を頑張って書けたら良いなぁと思いますので(笑)
では。

by 健やか


 当サイトの管理人である健やか様より月姫SS第二段を戴きました。
 前回は翡翠で今度は琥珀というツインシグナル。
 タイトルと冒頭の展開に騙されましたが、終わってみれば見事にほのぼの。
 健やかというより穏やかと読んでしまいたいです。
 琥珀のキャラを気にしていらっしゃるようですが、私は特にキャラに関しては気になるところはなかったです。
 のらりくらりと動くようで、どこか受け身体勢の性格として捉えて描かれている部分は興味深かったです。
 強いて難をあげれば、ストーリーの方でしょうか。
 薬の動機から展開の曖昧さが最後まで引っかかりました。
 後、アルクとシエルは秋葉からはこういう状況では呼ばないと思います。
 争奪戦になる展開が秋葉自身で読めると思いますので。
 子供化した志貴を寵愛しようと欲望に壊れる秋葉の前にアルクがいつものように遊びにやってきて…という感じとかもう少し納得出来る話の持っていき方にすると私は抵抗無く読めたかも知れません。
 この辺は私が気にし過ぎているだけかも知れませんが。
 タイトルが実に深いです。ギャグだと思った頃は単純に志貴のことかと思いましたが、琥珀、そしてその関係に繋げているあたりが凄く上手かったです。参考にしたいぐらいに。
 健やか様、本当にありがとうございました。

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