Present for ...


2001/10/28




1/原因。或いはその始まり。


 俺は常に貧乏だった。
 この遠野の家に帰ってきてからというもの、お小遣いの類をもらった記憶は無い。
もともと俺自身はそれほどモノを欲しがる人間ではなかったから、今までそれほど大きな
問題にはならなかった。
 それに、いままでお世話になっていた有間の家に居た頃に、一度は断ったものの、結局
貰っていたお小遣いやお年玉といった類の貯金があったし、日常生活では最低限必要なも
のの類は全て、琥珀さんか翡翠に言えば買ってきてくれる。
 そんなこんなで、多少息苦しい経済状況でも生きて行けないわけではなかった。
 勿論バイトをして、そのお金であれこれ買い物したいとは常に思っていたけれど、俺が
バイトをすることなど、当然の様に家長(←ここ重要)たる秋葉の許可が得られることはな
かった。
「…はぁ」
 俺は財布を見た。
 使い古されたガマ口財布には、五十円玉が一枚、十円玉が一枚、一円玉が三枚あった。
 今月は有彦含むクラスメイト数人で、映画にお金を払ってまで見に行ってしまったため、
とくに厳しかった。
 もともと、収入が零なのだから、使えば厳しいのは当たり前だ。
 そう、一円も、ましてや一銭すら入ってくることはない。
「…お金…お金がいるなぁ…」
 実は、いま俺はお金が欲しくて欲しくてたまらない。
 別にエアジョーダンの新作が欲しいとか、ラルフローレンのウィンドブレーカーが気に
入ったとか、テレビは望まないまでもせめてCDラジカセぐらいは欲しいとかいった私的
な物欲ではない。
 …多分。
 兎も角、本当の理由…それは、もうすぐ彼女の記念日が迫っているからだった。
 俺は今まで、この手のイベントには無関心(というより、そういったことを覚えるのが
苦手)だったのだけれど、遠野の実家に戻ってから…その……まぁ色々あったわけで、俺
自身が彼女に対し、特別な感情を抱くようになったのは仕方のないことだった。
 結果、俺が彼女の記念日を知って、贈り物をしようと考えることはごく自然な思考経路
であると言えよう。そして俺の中ではもう贈りたいものは決まっていて、それを贈るため
にはお金が必要なのだ。
 …けれど。
 先立つものが63円ではカレーパンすら買えない。いや、買ってどうするかという問題
はあるが、つまりはそれだけお金がないということだ。
 ともあれ、何とかして後一週間で工面しないと、今年のチャンスは逃がすことになる。
「…お金…お金…お金お金お金お金お金お金お金お金お金お金お金お金お金お金お金お金
お金お金お金お金お金お金お金お金お金お金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金
金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金
¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥………!」
「…何一人でぶつくさ言っておられるんです? 志貴さんは」
「うわぁ!」
 部屋の入口である扉のところで、何やら心配そうな表情で立っている琥珀さんがいた。
「び、びっくりするじゃないですか、琥珀さん。せめてノックぐらいはして下さいよ」
「え、わたしはちゃんとノックもしましたし、お声がけもしましたよ。それでも返事が無
 かったのに呻き声が聞こえてきましたから、不安だったので失礼したんですよ」
 琥珀さんはちょっと拗ねたような表情で、人差し指をピッと立てつつ言った。
 その仕草をみると、どうにもこちらが悪い気がしてくるから不思議だ。事実、確かに考
え事をしていたのだから聞こえていなかった可能性はある。
「すみません、少し考え事をしていたもので…、聞き逃していたのかもしれません」
 俺は素直に詫びる。
 この人の性格は別として、こうやってキチンと言えばとりあえず無茶苦茶なことをされ
る心配はない。
「あ、いえいえ、そんなにお気になさらないで下さい。そんなことより、夕食の用意がで
 きましたから、食堂までお越し下さいね」
 いつもの屈託のない笑顔で、そう告げられた。
 うん、どうやら大丈夫らしい。
「判りました、すぐに行きます」
 そう言って琥珀さんの顔を笑顔で見返したとき、俺の頭の中で閃く何かがあった。
 そして、それを思いついた瞬間、もうコレしかないと思ったのか、目の前のメイドさん
に話していた。


「…あの、琥珀さん、ちょっと悪巧みに協力してくれませんか?」


2/行動。その目的。


「というわけで、有彦、金が要るからバイト先を紹介してくれ。1週間弱で結構稼げると
 ころが良い」
「…いつもいつも唐突なうえ無茶言うよな、お前って…。まぁいいけど」
 教室での休み時間、俺は有彦にお金が必要なことを説明した。
「でもさぁ、お前ん家だったら大抵のものは揃ってだろ? 一体何に使うつもりだよ。
 …まさかとは思うけど、お前、ふう」
「んなわけないだろ!」
 ガスッ!
 とりあえず失礼な発想をした有彦にパンチを喰らわせる。
「理由は聞くな。秋葉にも内緒だ」
 そう言った俺を見ながら、有彦は顎をさすりながら言う。
「…で、俺のメリットって何?」
「機動屋台、中華飯店マークUのチャーシューメン大盛りでどうだ?」
「トッピングとしてゆで卵付きな」
「ぐ…まぁ、いいだろう」
 かなり足元をみられた気がするが、それでも今はこいつの協力がなければバイト先を見
つけるまでに時間がかかりすぎる。
「んじゃ、今日からもう行ける所を紹介してやるよ」
「え? ホントか!?」
「ああ、住所も今書いてやるから………ほらよ」
「悪い、助かるよ」
 俺は有彦からメモを受け取り、マジマジと見る。R&Rとかいう店の名前と住所が書か
れている。場所は隣町だが、遠野の屋敷から割と近い。位置的なものからいうと、大体遠
野の屋敷と学校を点として結び、ちょうどその倍、直線を伸ばした状態だろうか。
 …これならば学校が終わった後に一度帰宅し、その後にバイトに向かうときも全て徒歩
でこなせるだろう。
「…ところで、有彦」
「ん? 何だ?」
 パックのオレンジジュースをちゅーちゅーやっている有彦に、俺は一番気になることを
聞く。
「ここで…何のバイトをするんだ?」
 短期間で稼げる場所だ。普通のバイトでは無いと思うが…例えば体をアレされるような
バイト先だけは避けねばならない。
 しかし有彦は『我が同志!』と言わんばかりの表情でニカッと笑い、こう告げた。
「ああ、そこのバーでウェイターをするんだよ。………オレと一緒に」


3/労働。然るべき報酬。


「有り難う御座います…。合計で1万2850円になります」
 俺はレジを打ちながら、スーツを着た男性の会計を処理する。
 初め有彦からバーのバイトだと聞かされたときは一体どうなるものかと思ったが、店の
雰囲気は落ち着きがあり、客層も悪くなく、一安心した。
 お客の大半はサラリーマンやOLが大半で、カップルも多い。皆それぞれにカクテルや
ウィスキー、バーボンといった種類のお酒を楽しんでいる。有彦によれば、ここのマスタ
ーがシェーカーを振るって出してくれるカクテルの味は有名らしく、有彦自身、その技と
味を会得したいというのがバイトの主な目的だと言う。
 何でそんな技を身につけたいのか聞いてみると、
「だってかっこいいじゃん、凄く。女性のポイントも高そうだし」
 とのことだった。まぁ、姉のイチゴさんが酒好きだというのも理由のひとつにあるだろ
う。ここで技術を身につけ、何かの交渉時にひとつの手段とするのだろう。
「おおーい、遠野〜、ちょっと洗い物手伝ってくれよ」
「ああ、判った、今行くよ」
 兎も角、これでお金の方は何とかなりそうだった。
 これでラーメン大盛りトッピング付き、という紹介料がなければ最高だったけれど。

「んじゃな、気ぃ付けて帰れよ」
「ああ、サンキュ」
 バイト終了後、俺と有彦は途中で別れ、それぞれの帰路に就く。
 時間は夜中の2時。
 ハッキリ言って明日の朝は絶対にキツイと思うが、そんな事は言っていられない。店の
ほうは朝5時までやっているらしい。でもマスターはそこまではさせないと言い、実際に
有彦もラストまでいたことは無いらしい。
 勿論、翌日が学校であるとかいう理由もあるだろう。けれど、マスター自身が高校中退
したらしく、その事もあってか高校だけは卒業しておけ…つまり、学校に最低限支障をき
たすな、という想いがあるらしい。
「…早く寝ないと…明日の授業が恐ろしいことになりそうだなぁ」
 気付けば遠野の屋敷の壁沿いまで来ていた。
 ふと側の電灯をみる。
 そこは初めて先輩に助けられた場所でもあった。
 何だか懐かしくなり、視線をずっと上にあげ、電灯に先輩がいるような錯覚が…。
「遠野くん、何してるんですか、こんな時間に」
「…え? 先輩?」
 錯覚ではなく、そこにはシエル先輩がいた。
「少し前に遠野くんに似た人を見かけたので、少し気になって追ってみたら…本当に本人
 だったなんて。何してるんですか、全く」
「いや、その、はは…先輩は見回り?」
 俺は少し居心地が悪くなり、話題を逸らす。
「ええ、そうです。誰かさんと違って夜遊びする暇なんてありませんから」
 そうにっこりと告げる先輩が怖い。
「ええと、別に夜遊びしていたワケではなく…」
「じゃあ何してたんですか? 別に怒ったりしませんから、お姉さんに話してみなさい」
 にっこり。
 …うう、この人にこういう表情をされると後が怖くて仕方がない。
 俺は諦め、素直に話すことにする。
「先輩、俺がお小遣いを貰っていないこと、知ってますよね」
「え? ええ、まぁ」
 先輩は、それが何か?という表情で問い掛ける。
「ですので、今までバイトしてたんです…その、ウェイターの」
「バイト…ですか。こんな夜遅くまで?」
「その…言いにくいのですが、ショットバーのウェイターでして…」
 それを聞いた途端、先輩の表情が曇る。
「遠野くん…!」
「あ、決して危ないところじゃないです。有彦も一緒だし、マスターは心意気のあるいい
 人だし、バイト代も弾んでくれるし、それにええと…」
 まくし立てる俺を見ながら、先輩はハァ、と溜息をついた。
「…判りました、遠野くんを信用します」
「…先輩! ありがとう、助かる!」
 思わず先輩の手を握り、ぶんぶんと振る。
 先輩は少し苦笑しながら、こう告げた。
「じゃあ、バイト代が出たら、カレーパンをご馳走してくださいね」

   ・
   ・
   ・

 先輩と別れ、遠野の門をくぐる。
 辺りは虫の音しかなく、煌々と輝く月明かりが眩しい。

 いつからだろう…この月明かりが自然なものに
             落ち着く光として感じられるようになったのは。

 ふと、何か昔の事を思い出した気がしたが、それも一瞬で忘れる。もう殆ど全て、決着
がついてしまったことばかりだから。

 屋敷の台所にほど近い勝手口の前まで来る。
「琥珀さん…流石」
 とりあえず鍵が開いていることを確認する。普段は翡翠か琥珀さんしか使わない、言っ
てみれば使用人用だ。
 俺は左右を確認し、そっと中に入る。
 …と。
「…遅いじゃないですか、志貴さんっ」
「うおわぁっ…琥珀さん、驚かさないで下さいよっ」
 すぐ其処に琥珀さんが焦った表情で立っていた。
「そんなことよりも早く、ご自分の部屋へお戻り下さい」
「え? 何で?」
 互いに小声で言い合いながら、すたすたと歩く。
「翡翠ちゃんに飲ませた薬がもう切れるんです。目が覚めたらまず第一に志貴さんの部屋
 へ行くことは目に見えてますから、急がないと危険です。志貴ちん、ぴんちっ!です」
「わ、判った」
 何か変なゲームの影響でも受けたのか、琥珀さんの最後の科白は変わっていた。琥珀さ
んは特に気にした風もなく、左右を確認し、状況を伺っている。
「とりあえず大丈夫みたいですね。それじゃ、早くお休みになって下さい」
「うん、お休み、琥珀さん」
「はい、おやすみなさい」
 笑顔の琥珀さんと挨拶を交わし、部屋に入る。
「…ふぁ……疲れた」
 部屋に入った瞬間、強烈な疲労感と睡魔が襲いくる。バフッとベッドに倒れ込み、その
まま寝入ってしまう。心の中では、
「ごめん、翡翠…明日たぶん、なかなか起きないと思う…」
 と、先に詫びておいた。


4/継続。むしろ惰性。


 …どこからか、声が聞こえる。
「…お早うございます、志貴さま、起きて下さい……志貴さま、起きないと学校に間に合
 いません。……志貴さま、起きて下さい」
 これは…翡翠の声だ。
 と言うことは、もう朝が来てしまったと言うことだろう。
「…ふぇぁぁ……ああ、翡翠、お早う……」
 俺はベッドから起きあがり、目を擦りながら声の主に応える。
「お早うございます、志貴様。今日もいつにも増して時間がございません」
 少し棘のある口調で、翡翠が告げる。
「え…? 今、何時?」
「七時五十分です。もう幾ばくの猶予もありません」
 …七時………五十分?!?!
「どええぇぇぇっっっ!!?? ち、遅刻するっ!」
 俺は驚きと焦りで飛び起き、翡翠がいるにも関わらず猛烈な勢いで着替える。
「あ、秋葉はっ!?」
 とりあえず、最も押さえておくべき要点の状態を聞く。
「もう先に出られました。志貴さまの体調が優れないようでしたら、学校を休ませるよう
 に、との御伝言でしたが…」
 翡翠がじとっとした視線で見ている。
 …これは明らかに俺が何故起きれないか判っている様子だ。
「ご、ごめん翡翠。今はちょっと…色々あって話せないんだけど」
 着替えをすませ、鞄を手に取る。
「いえ、お気になさらないでください。一介の使用人にお気遣いなど無用です」
 …あ、怒ってる。
 言い訳やら何やらしたかったが、しかしとりあえず今は学校に遅刻しないことが先決だ。
 もし遅刻しようものなら、有彦からマスターに密告されて、バイトを首になってしまう
からだ。
「うあ、ええと、とりあえず行ってきます!」
「はい、行ってらっしゃいませ」
 部屋の扉を開け、豪快に飛び出して行く。
 そんな俺に対し、律儀にお辞儀をする翡翠が視界の隅に入った。

 ロビーに出たとき、琥珀さんがこちらに気付いて駆け寄ってきた。
「お早うございます、琥珀さん」
「はい、お早うございます、志貴さん。今日という今日はこうなるだろうと思っていまし
 たから、はい、これ」
 琥珀さんから風呂敷包みの荷物を持たされる。
「…何です、これ?」
「お弁当です。朝御飯を食べる時間なんて無いんですから、せめてお昼ぐらいはしっかり
 としたものを食べて頂きたくて」
 明るく微笑みながら、お弁当をはいっ、と差し出す琥珀さん。
 …正直、凄くありがたい。
「…有り難うございます。すみません、色々…」
「いえいえ。…あ、それより急がないと遅刻しちゃいますよ」
「あ、やばっ…!」
 俺は慌てて走り出す。
「っと、それじゃ琥珀さん、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい。あ、慌てて行って、車とお相撲とらないで下さいねー!」
 屋敷の玄関を出るとき、そう声を上げる琥珀さんは何だか楽しそうだった。

   ・
   ・
   ・

 キーンコーンカーンコーン
「…つ、着いた…」
 教室に着くと同時に、予鈴が鳴り終わった。
「よぉ、遠野、危なかったじゃないか」
「ああ…今日という今日は駄目かと思ったけど…何とか……間に合ったよ」
 俺は息も絶え絶えに、話しかけてきた有彦に応える。
「はははっ、そいつは何より。最終日でクビなんて、何だか情けねぇもんな」
「…全く」
 ようやく一息つき、そう応えたところでホームルームが始まった。

   ・
   ・
   ・

「しかしさぁ、前にも聞いたけど、何でお前そんなに稼ぎたいわけ?」
 昼休み、教室で弁当を食っていた俺に、パンを囓りながら有彦が聞いてきた。
「…まぁ、色々」
 そうは言ってみたが、それで追求が終わるわけもなく、
「色々って何よ。……やっぱりお前…」
「…お前の思考も単純だよな」
 はぁ、と溜息をつき、有彦に向き直る。
 まぁ、こいつにだったら多少の事は話しても良いだろう。
「簡単な理由だよ。もうすぐホワイトデーが近いだろ? だからお返しの為にさ、どうし
 ても資金が必要だったわけだよ」
「………」
 有彦がキョトンとして、沈黙している。
「? どうした」
「…いや…まぁ、何だか…」
 有彦は、意外そうな表情から徐々にいつもの笑顔に変わってゆく。
「お前もマトモになってきたなーと思ってさ」
「…お前、やっぱり失礼だぞ」
 そう応え、けれども、有彦の言葉に同意する自分がどこかに居た。


5/収穫。そして搾取へ。


「…はいよ、ご苦労さん」
「…有り難うございました」
 バイト終了の日の翌日、俺はR&Rのマスターから給料を貰った。
 それは予想よりもちょっと多くて、それはマスターが色を付けてくれたのだということ
を後から有彦に聞かされた。
 兎も角、俺はバイト代を握りしめ、百貨店やら雑貨店やらをハシゴすることにした。

「…はい、有り難うございました。ふふっ、きっと喜ばれますよ?」
「…は、はぁ…」
 一件目の百貨店で、売場のお姉さんにそんな事を言われて照れた。

「…これ、良い品物だぜ? 判るヤツには判るってモノよ」
「…は、はぁ…」
 二件目の工芸店で、職人のおっちゃんにそんな事を言われて悩んだ。

「…凄く綺麗でしょう? この色合いが何とも…」
「…は、はぁ…」
 三件目の織物店で、店の女性にそんな事を言われて確かにそうだと思った。

   ・
   ・
   ・

「よし」
 必要なものの優先順位はあったが、とりあえず最重要課題はクリアしたと言っても過言
ではない、という状態になったとき。
「あれ、志貴だ〜」
 と、明るく俺の名前を呼ぶヤツがいた。
 こんな風に俺を呼ぶのは1人しかいない。
「…アルクェイド、何やってんだよ、こんな所で」
「何って何よ、失礼ねー。わたしだって街で買い物ぐらいするわよ」
 俺の言葉に反応したのか、むー、と唸るような表情で抗議をしてくる。
「…あれ? 今日は志貴も買い物?」
 ふと、俺の手荷物に気付いてすぐに表情を変える。
「珍しいねー、志貴って買い物とは縁遠い感じなのに」
「…悪かったな。俺だって買い物ぐらいはするさ」
 今度は俺がそう言って抗議する。
「あはは、御免御免…にしても、どうしたの、本当に」
 そう真面目にアルクェイドが聞いてくるものだから、俺も素直に応えてしまう。
「いや、みんなにお礼のプレゼントをね」
「お礼のプレゼント?」
「うん、知ってるかどうか判らないけど、バレンタインってイベントがあってさ、そのお
 返しを今買っているところなんだ」
「あー、あの胡散臭い協会のイベントね…」
 アルクェイドはちょっと嫌そうな表情をする。
「でも、この国じゃバレンタインってのは結構大切なイベントだぞ。女性が好きな異性に
 チョコレートを渡して告白するイベントらしいから」
「らしいからって………ちょっと待って、じゃあそのお礼のプレゼントを買ってるって事
 は…もしかして志貴」
「え? ああ、あれだよ。秋葉や琥珀さん、翡翠達から貰っただけだから」
 実はシエル先輩からも貰ったが、それは黙っておく事にする。
 それに、シエル先輩から貰ったのは……固形のカレールゥだったしな。
 何を貰ったか聞かれて応えるのも気が引ける。
「……むー」
 …が、アルクェイドの表情は冴えない。
 俺はその時、非常に嫌な予感がした。いわゆるアレだ、本能的に危険を察知する能力が
フルに活動している状態だ。
「…じゃあ俺はまだ買い物を続けるんで…」
「ねぇ、志貴」
 …来た。
 俺がさり気なく去ろうとしたところで、それを許すはずがない。
「…何? アルクェイド」
「…わたし、映画が見たい。ポップコーンは一番大きいのを食べながら。今回はそれで許
 してあげるわ。だってイベント自体、志貴がしっかり私に教えておいてくれたら、こん
 な出遅れをとることなんて無かったわけだし」
 ニコリと笑ってそう告げる笑顔は、断ったら非常に恐ろしいことを表している。
 しかしどういう理論なんだか…。
 全く…先輩といい、こいつといい…。
「…ハイハイ、判りましたよ、姫様。お供させていただきますとも」
 そう言って、彼女の我が儘に少し付き合うことにした。
 まぁ、バイト代もあるし、構わないだろう。

   ・
   ・
   ・

「それじゃあね、志貴」
「ああ、またな」
 映画をみて、すっかりご機嫌が治ったアルクェイドと別れ、あと少し残った買い物をす
ることにする。
 とはいえ、もう大半は買ってあるから、あとは…。
「あれ? 遠野くんじゃありませんか」
 ふと、俺を呼ぶ声が聞こえた。
 しかし…今日は厄日だろうか。
 人垣の向こうから、とことことシエル先輩が近づいてきた。
「シエル先輩…買い物ですか?」
「ええ、夕飯のカレーライスに入れるタマネギがありませんでしたから、買い出しです」
 そう言ってにこりと笑う。
 今の先輩は機嫌が良さそうだ。今のうちなら無茶な注文をされず、先日のお礼と約束を
果たせるかもしれない。
 そう思ったとき。
「そういえば、先程までアルクェイドと一緒だったんですね」
「…はい」
 …前言撤回。
 無理だ。もう穏便に済ませるのは無理だ。
 というより、いつから見てたんだ、先輩。
「せ、先輩、この先の百貨店の地下に、美味しいカレーパン屋さんが…」
「え!? ホントですか!? すみませんね、遠野くん、ご馳走になってしまって」
 既にもう、先輩はゴチになる気満々だった。
「じゃ、じゃあ行きましょうか」
「はい。今日はそこのカレーパンを全部買い占めましょうね」
「…」

 …終わった。

 すまん、有彦。ラーメンは次で勘弁してくれ…。



6/結果。いわゆる結末。


 夕食後、いつものように居間でお茶を飲む。
 そして頃合いを見計らい、俺は話を切りだした。

「…え?」
 秋葉が驚いた表情で俺を見る。
「だからさ、ホワイトデーのお返しだよ。バレンタインにチョコ貰ったから」
 二日早いけれどと言いながら、みんなにバレンタインのお礼…つまりはホワイトデーの
お返しを渡す。
 秋葉はかなり感激したらしく、頬を染めて喜んでいる。
「に、兄さん…ありがとう……でも、お金……」
 流石秋葉。
 バッチリ最重要点を突いてくるのは当然か。
 我が妹ながら恐ろしい…というより、もうちょっと大目に見て欲しいとか思ってしまう。
「あ゛〜、それについてはその、追求しないでくれ」
「え? ……兄さん、まさか」
 秋葉の表情が曇る。
 秋葉の事だ、この瞬間に一般常識とはかけ離れた『お金の稼ぎ方』の10や20は頭に
浮かんでいることだろう。
 …ううむ、仕方がない、この場合は正直に話してしまった方がよさそうだ。
「いやその、黙っていて悪かったんだけどさ、先週一週間、黙ってバイトしてたんだよ、
 この為に…」
「バイト…ですか」
 秋葉の表情がまた驚きに変わる。
「うん、黙ってて悪かったけど…バイトしたいって言って、理由とか聞かれると困るから
 さ」
 そういうと、秋葉は嬉しいような、少し申し訳ない表情になった。
「そこまでしてお返しなんて考えなくても…」
「まぁまぁ、いいじゃないか。それより開けてみてよ」
「え、は、はい…」
 秋葉は包装紙につつまれた箱を丁寧に開けてゆく。
 その表情はとても嬉しそうだ。しかしまぁ、考えてみれば今までプレゼントなんて贈っ
たことなど一度もなかったから、俺も相当に照れくさい。
「あ…これは…櫛…ですか?」
 中から出て来たのは、シンプルな櫛だった。
「うん、髪留めか何かを贈ろうと思ったんだけど、デザイン的に良いものを選ぶ自信がな
 くてさ…。だから櫛にした」
「へぇ…ツゲ櫛ですか…良いですね」
「えっ? 秋葉、見て判るんだ」
「当たり前です。伊達にこんなに長い髪をしてきたわけじゃありませんから」
 そういう秋葉は、櫛を見ながら嬉しそうに微笑んでいる。
「それ、薩摩ツゲとかいう材料を使った、かなり良い品らしいよ。あまりよく判らないけ
 ど、秋葉だったら永く使えるんじゃないかと思って」
「もちろん、大事に使わせて頂きます。…有り難う、兄さん………私……」
 秋葉は本当に嬉しいらしく、少し瞳も潤んでいる。
 ここに誰もいなかったら、飛びついてきそうな勢いだ。
「え…と、ああ、翡翠にはこれ、ありがちだけどハンカチを」
「はい、有り難うございます、志貴さま」
「あ…」
 秋葉の表情を見てるのが照れくさくなり、俺は後ろに立つ翡翠に向き直る。
 後ろで秋葉が少しガッカリしたような雰囲気になったが、それも気付かないフリをして
プレゼントを渡して回る。
「御免な、翡翠。本当はもうちょっと良いものを贈りたかったんだけど、色々あって…」
「あ…いえ、そんな事気になさらないで下さい。わたしには充分です」
 そう言って、かすかに頬を染める翡翠が可愛い。
「もしかして、わたしにもあるんですか!?」
 横で見ていた琥珀さんが、嬉々として話しかけてきた。
「ああっと…琥珀さんには…はい、リボン。藍染めだから、きっと似合いますよ」
「うわぁ、ありがとうございます、志貴さん! ふふっ、明日から早速使わせて頂きます
 ね!」
「いやぁ、それだけ喜んでもらえれば贈った甲斐があるってものです」
 実のところ、琥珀さんにはこれ以外にもプレゼントは贈ってある。それはバイト中に俺
の外出を誤魔化してくれたお礼として、琥珀さんご希望の最新のゲームソフトをプレゼン
トしておいた。
 もっとも、恐らく翡翠には外出のことはバレていたことだろう。そう毎日毎日睡眠薬で
眠らせるわけにもいかないし、俺のここ一週間の寝起きの悪さは相当だったはずだ。その
辺りのことを踏まえて、琥珀さんが上手く説明をしてくれている様子だった。
 …要は、秋葉に悟られなければ吊し上げを喰らわない……そういうことだ。

   ・
   ・
   ・

 ひとしきり渡し終えた後、元のお茶会の状態にもどって皆との会話を楽しんでいる。な
ごやかな雰囲気と紅茶の薫りが周りを包み、自然と笑顔がこぼれ……そんな時間が過ぎる。
「でも、兄さんがここまでして下さるなんて…意外です」
 秋葉が言い、琥珀さんもそれに同意する。
「そうですよね〜、まさか志貴さんにこれだけの甲斐性があるだなんて意外です」
「あ、あのね…」
 2人は、互いに笑い合いながら、俺を言いたい放題ネタにして談笑している。
 翡翠はというと、俺が座るソファーの後ろで、いつものように待機している。

 今までは何となく余所余所しさがあったかもしれない。けれど、今ではもう、この雰囲
気…遠野の屋敷の空気が落ち着いて仕方がない。有間の家でも、周りは優しくて幸せだっ
たけれど、この時、この瞬間ほどじゃない。これ以上満ち足りた気持ちは、俺の人生では
後にも先にも有り得ないだろう。
 だって、振り返れば常に彼女がそこにいるのだから。

 手には俺が渡したハンカチを持って。



 彼女を注意深く見た者は、気付いたかもしれない。



 彼女がハンカチを持ち、前で組んだ手。

 その左手の薬指に、輝く銀環が付けられていることを。












                        『……誕生日、おめでとう。翡翠』
                   『…はい、ありがとうございます、志貴さま』

                                   ― 完 ―




 健やか様より拝領致しました。健気でいいですねー。青春ですねー(爆)。
「何故にハンカチ!?」という理由が明らかになった時は凄く納得しました(爆)。
 琥珀さんは知ってても言わずにいるでしょうから、秋葉だけが知らずにいるのでし ょうね。
 でもまさかこの指輪のお蔭で秋葉が交通事故に巻きこまれるなんて裏設定はないで しょうな(爆)。
 個人的に凄く良かったのがアルクェイドの口調。あの言いきり方はまさしく彼女ら しくて表情まで浮かんできて大変嬉しゅうございました。
 乾家の事情とか、全体的に二次創作の作り手として色々と考えて書いてあるなと感 じました。こういうのちょっと考えたりするのって楽しいんですよね、ただその後に オフィシャルで違う説明がなされたりすると落ちこみますが(爆)。
 時期的には何ですが(爆)、ホワイトデーとヒスコハの誕生日を絡めて上手く消化で きていて読んでいて楽しかったです。
 各パートに割り振り方の題字なんかも凝っていましたし。
 健やか様、本当にありがとうございました。



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