古い風のバトン
梅の木には、雪のように白い花が咲き、少し早い春の訪れを感じさせていた。
老人―真辺辰蔵は、自分が植え育ててきた、可愛い子供のようなその木を見つめながら、遠い昔を懐かしんでいた。そして、娘の命日が近いことも思いだし、憂鬱になる。
「−綺麗ですね・・」
老人の後ろでずっと、黙って花を見上げていた少女が、口を開いた。
「・・・・忍の木じゃからな・・・」
苔がびっしりと生えた幹を、愛おしそうにさすりながら、老人は言う。
その瞳は、懐かしさと悲しさに覆われていた。
「−そうですか・・」
忍という人が誰なのかわからないが、本当にこの花は綺麗だと少女は思った。
でも、何故、辰蔵がそんな悲しそうな目で、この木を見るのかが、メイドロボットである少女にはいくら考えても分からなかった。
そんな二人の様子を、風に舞う白い花びらだけが見ていた。
古い風のバトン
「セリオさん」
辰蔵は、夕食後、大好物のビールを飲むと決まって、少女―セリオを呼び、昔話をしだす。
最初、余り興味のなかったセリオも、老人の色々な話を聞いていくうちに、面白いと感じだし今では彼女の唯一の楽しみとなっていた。
「今日は、何の話をしようかのぅ」
辰蔵がアルコールのせいで真っ赤になった顔で考え出すと、待ちきれないのかセリオはじーっと辰蔵の顔をみつめ、無言の催促をする。
「じゃあ、ワシの生まれた村に伝わる昔話をするかのぅ」
セリオの催促に負け、辰蔵は自分の小さい頃に聞いた話を話し出した。
「一人の娘が、一人の男を殺め、山の中に逃げた。男には、一人息子がいて、その息子も仇を討つために娘を追って山へ入った。娘は逃げながら思った・・わたしはいままでに人のためになることを、しなかった。だから、息子に殺される前に、人のためになることをしようと・・・・・・」
セリオは、辰蔵の話を聞きながら考えていた。
辰蔵さんは、私に色々なことを聞かせてくれた・・そして、1年近くしか生きていない私に昔話の中で、色々なことを教えてくれた。
そして、いつの間にかセリオも老人の様に色々な思い出が欲しい・・色々な体験をしたいと思うようになっていた。でも、彼女はロボットである自分に自信を持てないでいた。
「・・・どうした?」
自分の話を聞きながら、珍しく考え事をしているようなセリオを心配して、辰蔵が声をかけた。
「−あの、私にも・・辰蔵さんのように思い出を作ることができますか?」
少し悩んだ後、セリオは思い切って自分の疑問をぶつけた。しばらくして、辰蔵は人の良さそうな笑みをつくって答える。
「思いでは作るものじゃないんじゃ・・勝手にできるものなんじゃよ。」
「−えっ?」
「ワシの家に来て1年、お前さんは色々なモノを、見たり・聞いたり・感じたりしたじゃろ?・・それがお前さんだけの思い出じゃ。そして、思い出は人も・機械も・植物も関係なく生きているすべての者がもっているはずじゃ。」
「−私は色々な思い出をもっていたのですね・・・ありがとうございます。」
セリオはそう言って、かすかに微笑んだ。そして、自分の中に、不思議な暖かいモノが生まれたのを感じた。
「ところで・・・」
「−なんですか?」
「夕飯はまだかのぅ〜」
「−30分ほど前に食べたではないですか。」
・・そして、二人は声を出して笑った。
この時がいつまでも続けばいいな・・セリオはそう願った。
翌朝、珍しく起きてこない辰蔵を起こすため、セリオは辰蔵の寝室へと向かった。
「−起きてください・・」
声をかけてもベッドで寝ている辰蔵は、起きようとしない・・しょうがない人だと思いながら、老人に近づき、手をつかむ。・・・手は氷のように冷たかった。
「−・・・・そんな・・・」
セリオの瞳から、一粒の雫が流れる。そして、信じられぬように辰蔵の体をつかみ揺さぶった。
「−・・起きて!!起きてください!!」
いくら叫んでも、いくら揺さぶっても辰蔵は目覚めない・・そして、セリオは、辰蔵の体にすがりつき、泣くことしかできなかった。
・
「今日の朝、ワシが梅の木を・・忍の木と言ったのを覚えておるか?」
「−はい。メモリー内に残っています。」
二人で笑った後、辰蔵は急に真面目な顔になって、話し出した。
「・・あの木は、娘―忍が事故で亡くなったときにあいつの好きだった梅を、うえてやったもんなんじゃ・・」
背が低いのをいつも気にしていた娘のことを思いだし、つらそうな顔をする辰蔵を見て、セリオも何故か、つらい気持ちになっていた。
「−何故・・私にそんな話を?」
「・・お前さんにワシの娘になってほしいからじゃ」
「−私は・・ロボットなんですよ?娘になることなんてできません・・」
「お前さんは何故、自分がロボットということを気にするんじゃ?ワシは、お前さんが・・ロボットということも含めて気に入ったから、娘になってほしいんじゃ・・」
自分が人でないことを気にするセリオに、辰蔵は優しく諭すように言った。
「−・・・はい。これからもよろしくお願いします」
セリオは、辰蔵の娘になることを望んだ。それは、メイドロボットとしてはいけないことだったが、自分をいつも優しく助けてくれている老人のために、何かしてあげたかった。
「じゃあ、お前さんに名前をやろう!・・・真辺春香・・それがお前さんの新しい名前じゃ」
「−・・真辺春香・・いい名前です・・」
セリオは、新しい名前をうれしそうにゆっくりと何度もつぶやいた。
その姿を、辰蔵も嬉しそうに眺めながら思った。
この可愛い娘を大切にしよう・・この娘を必ず幸せにしてやろうと・・・
・
・
辰蔵が亡くなってから、数年流れたある日、一人の女性が彼の墓へと来ていた。
「―ひさしぶりですね・・お父さん・・」
セリオー春香は、綺麗に掃除された墓に向かって、最後まで言えなかった「おとうさん」という言葉を言った。
その顔は、とても穏やかで美しいものへと変わっていた。
「−最近、何故お父さんが私に、昔話をしていてくれたか分かるようになりました。」
彼女は、あの懐かしい微笑みを浮かべた老人が、すぐ近くにいるように感じた。
「−あれは・・バトンだったのですね・・」
リレーで走り終わる者が、今から走る者にバトンを渡すように、老人も春香に、自分が人から伝えられたことや自分が伝えたいことを、昔話として渡していたのだ。いつまでも、一生懸命生きてきた人々の想いを伝えていくために・・・
ふいに、春香の目から涙が流れた。それは、父への感謝と決意の涙だった。
「―私も、伝えていきます。お父さんのことを忘れないように・・私が生きた証を残すために・・」
自分を娘と呼んでくれた人のために、精一杯生きよう。そして、いつか・・・
その時、どこからか春香を呼ぶ声が聞こえた。そして、自分を好きだと言ってくれた人の姿が見える。
「−また来ます。」
春香はそう言って立ち上がり、彼の方へと走っていった。
その様子を、墓の横で見事に咲いている2本の梅の木がみつめ、花を散らし祝福した。
――――幸せになりなさい
風に乗って、老人の嬉しそうな声が聞こえたような気がした。