幸せな猫たち


2000/10/19




その日、駅前で、綾香を見た。

男と、一緒だった。



笑っていた。


楽しそうに。





『幸せな猫たち』



綾香の笑った顔を、見たことがない。

私がこんなことを言えば、人は皆、私を嘘つきと呼ぶかもしれない。

だが、本当のことだ。

私は、綾香の本当の笑顔がどういう物なのか、知らなかった。



その日、綾香を見るまでは。



綾香は、よく、微笑む。

そう、「微笑み」だ。

綾香がいつも見せていたのは。



初めて会ったときから、何か、しっくりとこない物を、感じていた。

道場に来た綾香は、誰に対しても、如才なく振る舞っていたが、私には、それがとても、鼻につく物に感じた。

そんな風に感じたのは、私だけだったのか。

それは、わからない。

確かめるつもりも、ない。



今では、それは、どうでもいいことだ。



そんな風だから、親しく話せるようになるまでは、時間がかかった。

そして、親しく話せるようになっても、綾香は笑わなかった。

綾香は、微笑むのだ。

機械仕掛けのように、微笑むための『型』に従い。



どこか、感情を露出させることを、無理やり止めているような、そんな微笑み。
どこかで、自分自身を頭の後ろ、高みから見ているような、そんな微笑み。
どこかしら、冷たい何かが、透けて見えているような、そんな微笑み。



泣いた顔も、笑った顔も、知らない。


微笑みだけを、知っていた。



綾香の家の事情は、かなり早くから聞いていた。

人によっては、それを理由に、親しくなろうとするものもいた。

それを理由に、親しくなろうとしないものもいた。

私はといえば、どちらでもなかった。

だから、長続きしたのかも、しているのかも、しれない。

ただ、こうして意識して考えていること自体が、どこかに影響を落としているのかもしれないが。



それは、どうにもならない。



どうにもできない。



ただ、道場で最後まで組手を付き合ったのは、私だけだ。

そしてそのことは、今でも、私の自信の一部になっている。

綾香は、強かった。

最後まで。


誰にも、借りを、作らなかった。



その綾香が、笑っていた。



片腕を、隣の男に絡ませて。

笑っていた。

無防備に。



そんな、無防備な綾香を、初めて見た。



相手の男のことは、よく、覚えていない。

注意して見ていたはずなのに、なぜか、全体のはっきりとした記憶がない。


綾香の視線の先にあった、優しげな目。

少し、くすぐったげに上がる眉。

どこか茫洋とした足の運び。

口元。

手。



だが、今、記憶の底に残っている全てを集めても、全体にはならない。



ただ一つ、わかっていた。


綾香を、無防備にさせる男だった。



そして、私はただ、二人が歩いていく姿を、目で追っていた。

綾香は、最後まで、私に気付かなかった。

二人の姿が見えなくなったとき、不意に、笑いたいような、泣きたいような、そんな気持ちになったのを、覚えている。

とにかく、どこかに座りたくなったのも、覚えている。



だが、その後、家まで帰った道筋が、なぜか思い出せない。



あれから二人がどこに行ったのかは、想像してみた。

馬鹿馬鹿しくなって、止めた。

きっと、楽しく過ごしたのだ。




仲の良い二匹の猫のように。





次に綾香と話す機会があった時のことを考えた。

少し、笑った。




その日は、なかなか、寝付けなかった。







 好恵SSとか書いたけど、本当に坂下好恵でいいのか!?
 作中のかの人はやっぱりあいつなのか!?
「所詮は偽者ですから…」と言う高○健のようなNTTT様のお言葉だけが、唯一の手がかりです(嘘)。


 今回も寝た子を起こすような真似をしてNTTT様に催促をして戴きました。
 9876Hit記念SSです(爆)。
 NTTT様、本当にありがとうございました。


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