桜花舞う春風の中で
ある友人が、私のことを気分屋で新しもの好き、つまりミーハーだと評した。 少し引っ掛かる言い方だけど、今思えば、それはあながち間違っていない表現な のかもしれない。 今の私を指して気分屋のミーハーだと言われても、それを否定したところで虚勢 を張っているようにしか受け取られないだろう。 昨日までは、あんなに面倒で気だるかったのに、いざこうしてその日の朝を迎え、 送りの車の中で揺られていると、次第に湧き上がってくる期待に胸が高鳴ってくる。 昨日までは、選択の自由も無く一方的に押し付けられた、いかにも堅苦しくて退 屈そうな場所としかそこを捉えて無くて、これから三年間、さぞ窮屈で、趣味と学 業を両立させるのにもひどく骨を折ることになるんだろうと思うたび、憂鬱になっ ていたのに。 それが、いざ向かうとなると気分が高揚してくるのだから、我ながら現金な話で、 思わず苦笑してしまう。 あるいは、車窓から見える街並みが、私の気分を変えてしまったのかもしれない。 青空を埋め尽くそうと一斉に咲き乱れた桜並木の下を、さも楽しそうに談笑しな がら歩いていく、私と同じ服を来た女の子たち。 先輩なのか、それとも同級生になるのかはわからないけれど、彼女たちがあんま り楽しそうにしているものだから、釣られて私まで楽しい気分になってしまった。 一度そうなってしまえば、私は立ち直りが早い。 強要されて通うことになったのが嫌で仕方なかった行き先が、途端に手付かずの 新天地に思えてしまう。 一体どんな場所なのか、どんな出会いが待っているのか、どんなことが起きるの だろうか。 そんな、ひどく単純なことに思いをめぐらすだけで、私の心は、今までの薄暗い 気持ちが薄れ、この青空のように澄み渡っていく。 無性に、車を降りて木漏れ日の差す桜並木の下を歩きたくなった。 残念ながら、助手席に控えた年齢に反して筋骨隆々とした体格のご老人が、それ を許してはくれないだろうけれど。 今は仕方ないけれど、その分下校の時に楽しめばいい。 その時は、助手席の老人にはお返しとして待ちぼうけしてもらおう。 でも、勝手な言い草だけど、彼にとっても桜が舞い散る春風の中で陽射を浴びる ことは、とても健康的で健やかなひと時を得ることになるんじゃないだろうか。 いつも仕事に打ち込んでいる間に過ぎ去ってしまうだろうこの春を、いっそ満喫 するいい機会じゃない。 本当に自分勝手な考えだけれど、こんな穏やかで清々しい季節を味わえば、彼の 頭も少しは柔らかくなるに違いない。 私の姿を待ち続けて、彼の肩や頭に桜の花びらが積もっている光景を想像してい るうちに、車が校門の前で停まった。 手早く助手席を降りた彼が、私の隣のドアを開く。 「お待たせ致しました、綾香御嬢様」 「ん。ありがと、長瀬さん」 車から降り立った途端、穏やかな陽射と涼しげな春風が私を出迎えてくれた。 車内で考えていた以上の心地良さに、私は目を細める。 校門の奥に見える校舎までの道筋にも、びっしりと桜の木が植えられていた。 「ふぅん……いいところじゃない。姉さんの通ってるところも桜が綺麗だって言っ てたけど、ここも負けてないんじゃないかしら」 「どちらかといえば、こちらの方が念入りに植えられておりますね。その分、初夏 には毛虫も多いでしょうから、木の下を歩かれる際には充分お気をつけ下さい」 いかにも長瀬さんらしい、堅苦しい答えが返ってくる。 「もう、風情が無いわねぇ。普通、お年よりの方がそういうのには敏感なんじゃな い?」 「仕事柄、風情よりも御嬢様の安全を守ることが優先されるのです」 「私が毛虫にびっくりして転ぶような歳に見える?」 「そうは思いませんが、万が一、毛虫の毛で御嬢様の肌がかぶれたりすれば、私は 旦那様に合わす顔が御座いません」 そんなことを気にしていたら、階段から転げ落ちたり廊下で転びやしないかとい うレベルまで心配されないといけなくなるんじゃないだろうか。 「それと、綾香御嬢様」 半ば呆れて黙っている私に、長瀬さんが姿勢を改めて告げる。 「私は長瀬では御座いません。セバスチャン、とお呼びくださいませ」 「……ああ。この前姉さんが付けたっていう渾名ね」 純和風の顔に、セバスチャン。 姉さんの趣味もなかなかエキセントリックだった。 「立ち話も何だし、私そろそろ行くわね」 「お帰りのときも、こちらでお待ちしております」 「ご苦労様。あ、クラスメイトと親睦を深めてるかもしれないから、多分少し遅れ て来ると思うわ」 「畏まりました。茶道の稽古はニ時半からの予定となっておりますので、二時まで にはお戻りくださいませ」 「了解。それじゃまたね」 「行ってらっしゃいませ、御嬢様」 深々とお辞儀をする長瀬さんを背に、校舎までの道を歩き出す。 あたりを歩く生徒たちは、車窓から見た生徒たちと同じように笑っていた。 柔らかい風に流されて、私の目の前を横切った桜の花びらを右手でつまむ。 指の腹でその感触を楽しんでるうちに、帰りは甘味処によって桜餅でも食べたい 気分になった。 さっきは長瀬さんに風情云々と説いたばかりのくせに、私は私で色気より食い気 という現金振りである。 ただ、気分屋というのは当てはまるかもしれないけど、ミーハーというのは否定 できるかもしれない。 流行を追う女の子なら、わざわざ甘味処に行ってこんぶ茶と桜餅で一服しようと は考えないだろう。 そういう物好きなクラスメイトがいれば、誘ってみるのも悪くないかもしれない。 そんなおぼろげな今日一日の計画を立てて、私は校舎に足を踏み入れた。 兄さんは「お前にはいらないことだ」とあっさり言ってのけた。 自分は今も可能な限り最後まで堪能している最中のくせに、だ。 兄さんに言わせると「お前と俺じゃ環境も立場も違う。比較にならないさ」とい うことなのだけど、その理屈がまた癪に障る。 言わんとしているところはわかるけど、納得いくかどうかは全くの別問題だった。 まるで、仕事と学業の両立させるには私が力不足だと言われたようなものだ。 私にだって意地があるし、それに自分の進路くらい、自分で選びたかった。 今の道を歩んだのも、兄さんに勧められたのもあるけど、結局は自分の意志で選 んだこと。 これからだって、自分の道は自分で選ぶ。 私の知らないところで勝手に決められるなんて、ご免だった。 兄さんの用意した通信教育の手続きを蹴り、粘り強く交渉して、何とか高校に進 学することを認めさせるまで、かなりの時間と労力を要した。 兄さんが譲歩して提示した進学先は二つ。 一つはアイドル御用達で有名な某高校。 ここは出席率に融通も利けば、業界のタブーや約束事も心得た便利なところでは あるものの、芸能記者が半ば公然と高校の各行事に顔を出すような無粋なところで もあり、何より兄さんの顔が利くというのが気に食わなかった。 そしてもう一つは、上流家庭の子女が生徒の大半を占める女子高。 その性質上、マスコミへの口も堅く、その手合いへの対処も、校内の綱紀粛正も 徹底しているために、兄さんの目に適った。 つまりは、マスコミに半ば解放されているところか、一切シャットアウトされて いる場のどちらか。 私の仕事に支障をきたさないようにすることだけが、私の進学に対する兄さんの 考えの焦点だった。 そこがまた気に障るものの、これ以上の譲歩は望めそうも無い。 私が選んだ学校はいうまでもない。 仕事の合間、レッスンの合い間を使って、それこそ私は必死で勉強した。 元々そういう生活をしていたものの、志望校に受かるには、当時の学力ではまだ 足りなかったから。 努力の甲斐あって、私の西音寺女子学院入学は決定した。 面接で出席率の心配や私の仕事による学校側への影響を色々と懸念されたけど、 入試で申し分無い結果を出した上、日頃遥かに食えない連中を相手にしている私に とって、彼らを説き伏せるのはそう難しいことではなかった。 中学ですらしばしば休みを取らざるを得なかった私が、果たして無事卒業するこ とができるのか。 これについては、夏季と冬季の長期休暇の際に補習を受けることで出席日数を補 うことにした。 場合によっては春休みにも補習を入れることになるかもしれないと言われたけど、 元々休みという概念の存在しない私の生活においては、さしたる問題も無かった。 問題どころか、ただでさえ学校にいける時間が限られてくる私にとっては、貴重 な時間とすらいえた。 もしかしたら、裏で兄さんが彼らに手を回してくれたのかもしれないけど、それ はそれで私への協力として、ありがたく頂いておくことにしよう。 何はともあれ、今日から私は寺女の新入生。 これから始まる学校生活への期待で、自然と胸が躍る――― ―――そんなところに、兄さんが慌ただしく部屋の扉をノックした。 「ちょっと兄さん。昨日はちゃんとオフにしてくれるって言ってたじゃない!」 「そんな怖い顔するなよ。さっき食卓でコーヒーを啜ってたら、ちょっとしたイン スピレーションが沸いたんだ」 人の予定などお構いなく、思いつくまま私や他の人を駆り立てようとする。 兄さんの、昔からの悪い癖の一つだ。 「それが消える前に形にしないと。次にいつ来るかなんてわからないしさ。なぁ、 お前にだってそういうことあるだろ?」 「ふとした思い付きで、人の一生で一度しかないイベントを棒に振らせようだなん て、私は思ったりしないわ」 「そんなに拗ねないでくれよ。俺だって、本当は来賓席から理奈がまだ着慣れない 制服姿で凛々しく立ち振る舞う様を、心底眺めたいんだぜ」 「なら、今日くらい仕事熱心を放棄すればいいじゃない。いつも私がしっかりしな さいよって言ってる時は思う存分だらけてる癖に、どうしてよりにもよって今日に 限って熱入れるのよ」 「頼むよ理奈。こうやって時間を浪費しているうちに、天啓といってもいい素晴ら しいアイデアが、どんどん薄れていってしまうんだ。早くスタジオで作業に入らな いと、取り返しがつかなくなっちまう」 「私の頼みごとは平気で反古にするのに、自分の頼みごとは無理矢理でも通したい 訳? 図々しいにも程があるわ」 「しかしなぁ、理奈」 兄さんがずれかけていた眼鏡を直して、不意に厳しい表情に戻る。 「約束―――忘れてないよな?」 遂に伝家の宝刀を抜いてきた。 約束。 自分が用事を入れるときは、学業を理由に断ったりはしない。 自分の用事を最優先すること。 これが、兄さんと交わした、私ばかりが損をする馬鹿らしい約束だった。 馬鹿らしいけれど、その上で私は高校へ進学することを許された。 この約束を守れなくなったら、即退学届が提出されるようになっている。 まさか、早くも入学式でこの約束を目の前にちらつかせられるなんて、思っても みなかった。 「……覚えて、いるわよ」 動きたくない口を無理矢理動かしたから、ぎこちない声になってしまった。 「それじゃ、今日を俺にくれるな?」 「わかったわよ……」 「よし、いい子だ」 にっこりと笑って、私の頭を撫でる兄さん。 そんなつもりは無いのだろうけど、私にはどうしても嘲られてるようにしか思え なかった。 「それじゃ、その制服着替えてくれよ。折角新調したのを、スタジオで汚すのも勿 体無いしな」 私の頭から手を離すと、兄さんはこちらに背を向け、ドアノブに手をかけて扉を 開けた。 その背に向けて素早く掴んだ枕を投げ付けたけど、こちらの行動を読んでたらし く、向こうも迅速にドアを閉めて枕をブロックした。 「理奈、怒ると暴力を振るう癖、直したほうがいいぞ。ファンがみたら幻滅する」 「私の部屋まで来る人なんて、兄さん以外いないわよっ!」 「つまり、俺一筋ということか。うんうん、お兄さん嬉しいぞ。ははは……」 ドア越しに好き勝手な屁理屈を並べ立てて、兄さんは笑いながら去っていった。 その日、私の前の席は最後まで空いていた。 はじめ教室に揃ったときも、入学式のときも、再び教室に戻ってからも、ずっと 空席のままだった。 「緒方理奈さんは、事情があって入学式を欠席されました」 緒方理奈。 何となく聞き覚えがあるんだけど、はっきりと思い出せない。 やがて、クラスメイトたちの雑談から緒方理奈はアイドルだということを聞いた。 言われてみれば、そんな名前の歌手の歌を、中学の頃の友人が好んで聴いていた ような気がする。 私は、邦楽にはまだ疎い。 ずっと向こう―――アメリカの東海岸―――育ちで、洋楽ばかり聞いてきたもの だから、まだ日本の音楽に耳が慣れていないというのが現状だった。 帰ってきてから数年経つ今では、帰国当時よりずっと慣れてきてはいるとはいえ、 今話題のアイドルの名前を聞かされてもピンと来ないくらい、私の感覚はずれてい るのだから、まだまだ馴染めてはいないみたい。 緒方理奈の評判は、あくまでこのクラスの雑談を小耳に挟んだ程度に限ってのこ とだけど、五分五分というところだった。 勿論、好きか嫌いかという比率のことで、好きと主張する側は「天才・緒方英二 の妹で、彼自らプロデュースするんだから素晴らしいに違いない」、嫌いと主張す る側は「所詮兄の七光りで、いつまでも通用するものじゃない。引退して緒方英二 もやきが回った。幻滅した」と、お互いの主張をまとめるとこのようになる。 つまり、好きにしても嫌いにしても、緒方理奈本人のことではなく、兄である緒 方英二の方に焦点が集っていた。 これでは、好かれようと嫌われようと、緒方理奈にしてみれば不本意な見られ方 なんじゃないだろうか。 それとも、額面通りお兄さんの前では霞んでしまうようなアイドルなんだろうか。 そもそも私は緒方英二という人のこともよく知らない。 つい先年に引退した大人気の邦楽アーティスト、その程度の知識しか持ってない。 やっぱり、私はミーハーには程遠い。 現にこうして、アイドルがクラスメイトになったという事態に対しても、周りの 熱狂から一歩距離を置くような形に自然となっている。 今度友人に会ったら、自信を持って否定できるだろう それよりも、昨日まではお堅いだろうと思っていたクラスメイトたちが、こうも 流行に明るく、開放的な雰囲気をもっていたのは嬉しい誤算だった。 これなら、三年間の高校生活を存分に楽しむことができるんじゃないかと思う。 こんぶ茶と桜餅に付き合ってくれるかどうかは、誘ってみるまでわからないけど。 「うーん……」 幾度かのテストを終えた後、兄さんは低く唸って、手近の椅子に座り込んで何や ら考え込み始めた。 こういう時の兄さんは、大抵碌なことを言い出さない。 入学式への参加は、既に絶望的な時間になっている。 式場となった体育館から教室に戻って、自己紹介でも始まってる頃だ。 テストで歌っている間やその打ち合わせをしている間は仕事に集中できるけど、 こうやって待ち時間が空くとつい入学式のことを思い出して、兄さんの頭を叩いて やりたくなる衝動に駈られてしまう。 勿論、人目もあるから我慢しているけれど。 「何か違うなぁ。思いついたときには最高だと思ったんだが……まぁ、いいか」 やがて兄さんは、思い切った様子で立ち上がり、さっぱりした顔で口を開いた。 「やっぱこれ、ボツな」 「―――ボツ、ね」 「ああ。そういう訳だ、理奈。付き合せといてすまなかったな」 果たして、どういう訳なのか。 兄さんはちょっちゅう自分の頭の中だけで話にケリをつけて、私に説明してくれ ない。 「そういえば、入学式の方は……もう昼前か。今からじゃ、ちょっと遅いか」 そんなことは、言われなくても重々承知よ。 「まぁ、入学式なんて校長さんのたるい長話を聞かされるだけさ。俺の頃なんて、 途中でふけるヤツもいれば、最初から来なかったヤツだっている。そう気に病まな くてもいいぜ」 それは兄さんの世代の話でしょう。 それも、校内暴力真っ只中の。 それにしても、どうもさっきから声が出ない。 代わりに、私の意識とは無関係に身体が震えてくる。 「……理奈?」 兄さんが怪訝な顔でこちらを覗きこんで来る。 その面に、握り拳を叩き込んでやりたい。 やりたいけど――― 「ま、待て理奈! 俺が悪かった! 確かに今日は俺も無計画で強引過ぎ―――」 「う…ううぅ……」 目頭が熱くなってきたと思ったら、途端に涙が零れてきた。 別に泣きたくなんかないのに。 こんな時に泣くなんて、見っとも無くて、嫌じゃない。 「あー……その、なんだ。すまん」 「……うう…う……」 泣きたくなんか無いのに、どうしても止まってくれない。 そんな弱くて女々しい自分が、たまらなく嫌だった。 「まいったなぁ……」 何ともばつが悪そうに頭を掻きながら、兄さんがあたりを見回すと、スタッフの 人たちは皆白い目で兄さんを見ていた。 「なんだよ、俺一人が悪者みたいじゃないか。一人くらいは俺の弁護に回ってくれ たっていいだろ?」 「いや、弁護しろったって、何処をどう弁護しろと云うんですか」 「今の緒方さん、一部の隙もなく、完膚なきまでに悪役っすよ」 「酷いなぁ。最愛の妹のために、たとえ妹から恨まれようとも夢の実現に邁進する 兄の隠れた愛情とか、そういうモンに気付いてくれる人がどうしていないかなぁ」 実に兄さんらしい、人を喰った台詞だった。 ありがとう、兄さん。 「そぉゆう……」 おかげで、躊躇も未練もなく―――やれます。 「そういう白々しいところが大っ嫌いって言ってるのよっ!!」 私の右ストレートが鼻面を撃ち抜くよりも速く、兄さんは上体を後ろにそらして 私の右を避け、器用に後ろに跳び下がって私との距離をとった。 そのまま、スタジオ内を逃げ回る兄さんと私の追いかけっこへと移行していった。 「ははは、元気になってくれて兄さん嬉しいぞ、理奈っ」 「待ちなさい、逃げるんじゃないわよ! 大人しく殴られなさいッ!」 「獅子は兎を倒すのにも全力を尽くすと言うが、兎も逃げるのに全力を尽くすとい うものさっ」 「馬鹿なこと言ってないで、普段から大人ぶってるんだから、こういうときこそあ えて殴られてやるような懐の深さを見せなさいよっ!」 「ご免だね。今の理奈なら俺がミンチになるまで殴り続けそうだ―――って、おい おい、放してくれよ。天才の生命の、絶体絶命の危機なんだぜ?」 「いやぁ、そろそろ星になってファンを見守るのもいいんじゃないすか?」 「その方が歴史に名前残りますよ。ジョン・○ノンとか尾崎○みたいに」 兄さんの両腕をがっちりブロックしたスタッフの人たちが、冷え冷えとした笑顔 を兄さんに向けていた。 その協力に感謝しつつ、静かに兄さんの前に立つ。 「いやいや、まだ俺は遣り残したことがありすぎるなぁ……理奈、何て顔してるん だよ。ファンが見たら幻滅するぞ」 「大丈夫よ兄さん。わざわざこのスタジオ内に足を踏み入れるファンは、今のとこ ろいないから」 「ふむ。しかし、万が一ということもあるかもしれない」 「うふふふ……今から逝く人が後のことを気にするなんて、おかしな話よね」 今の私の笑顔なら、きっと助演女優賞を授賞できる。勿論悪役として。 さぁ……トドメよ。 「天誅っ!」 「ぐごっ!?」 私の右が、申し分無いポイントに突き刺さった。 ―――スタッフの人の顔に。 「まだまだ詰めが甘いな、理奈。そんなことでは、キャシー・○イツを超えられな いぜ」 咄嗟に身体を右に捻ってスタッフを盾にした兄さんが、何時の間にか左腕の拘束 を外して、こちらから大分離れたスタジオの入口に立っていた。 「いっそ幽閉されてしまいなさいっ!」 「まぁ、そろそろ落ち着け」 何事も無かったかのような余裕の表情をケロッと浮かべて、こちらを宥めようと する。 そんな態度をとられて、どう宥められろというのか。 「何はともあれ、今日はもう自由だぞ、理奈。久々のオフを満喫するといい。俺も 羽根を伸ばしに行って来る」 「そんなこと言って、また真昼間からデートでもするんでしょう。いつかホントに 熱狂的なファンに引っ掛かって、幽閉されたって知らないんだからね」 「いやぁ」 ドアノブに手をかけていた兄さんは、さも困ったように表情を曇らせてから、口 を開いた。 「理奈は、本っ当に独占欲強いなぁ」 「さっさと出ていきなさいよっ!!」 私が椅子を投げ付けるのと、兄さんがドアの向こうに消えるのは同時だった。 結局のところ、時代はスターマックスであったりヤクドナルドであったりデリー ズであったりする訳で。 桜餅とこんぶ茶の出番はついぞ見つからなかった。 正直な話、ジャンクフードの総本山みたいな国にいたんだから、わざわざ日本に 戻ってきてまでマメに利用する気にはなれない。 折角戻ってきたんだから、日本にしか無い場所に行きたい。 甘味処とかラーメン屋とか丼屋とか。 後ろの二つなんか、よく後輩の子から「先輩のイメージが崩れちゃいますよぉ」 と柔らかに批難されたものだけど、行きたいんだからしょうがない。 後輩の子からの不評を鑑みて、一番女の子向きといえば女の子向きな甘味処を選 んだんだけど……どうも私の趣味は渋すぎるらしい。 そういえば、そろそろ茶道の稽古が始まる時間だ。 今頃長瀬さんは、街中で私の姿を捜し歩いているだろう。 一旦校舎から出る振りをして、こっそり中庭から校舎に戻り、長瀬さんが玄関の 事務員さんに私の出入りを確認して、慌てて車に乗って去っていく姿を、この屋上 から一部始終眺めてたんだから、間違い無い。 私は、お茶に関しては飲む方の専門なのだ。 花や日本舞踊やダンスは見る方の専門で、琴やヴァイオリンやピアノは聴く方の 専門。 諸芸能に対して私は受け手であって、担い手ではない。 たまに体験する程度で丁度いいのだから、毎日各芸能の家元さんの所にお参りす る必要はあまり無い。 そのお参り行事から逃れることが、私の日課でもある。 今日の日課は、ほぼ果たしたといってもい。 そろそろ下に戻ろうか。 そう思ったとき、正門から入ってくる一人の生徒が目に止まった。 栗色の髪の左右に赤いリボンを付けたその子は、あたりを見回しながらゆっくり と校舎に向けて歩いてくる。 その様は、人に追われているにしては悠長で、探し物や訊ね人をしているにして は、ずっと上ばかり見ていた。 多分私と同じ新入生で、校舎や道筋の桜に見とれているんだろう。 新入生でなくても桜を見たりするだろうけど、その子は途中で何度も立ち止まっ て見とれていたから、よほど印象深かったに違いない。 やがて、その子は道から外れて、校庭の奥にある一際大きな桜の木の方へ向かい、 その根元にいきなり寝転んだ。 そのまま何をすることもなく、桜吹雪に半ば覆われた校舎をのんびり眺めている。 私と彼女の共通点。 新入生であること、恐らく何の予定も無いこと。 甘味処に行くのは、別にクラスメイトとでなくてもいいかもしれない。 さて。 本日最後のチャレンジといきますか。 いきなりオフにされたところで、行きたいところなんて何処もなかった。 だからといって家で寝転がってるのも癪だから、制服に着替えて寺女まで行って、 どうせなら桜の下で寝転がることにした。 とっくに入学式の終わってる時間なのだけど、二月に受験しに来たとき、学校の 内外にびっしりと桜が植えられていたのを思い出したから。 たまにはお花見も悪くないかという、その程度の気持ちだった。 入学式への未練もあるけれど、この時間ではクラスメイトも残っている筈も無い。 ……そのことを考えてたら、兄さんを小突き回したくなるから止めよう。 どうせ上手く煙に巻かれるだけだし、折角桜を眺めに来たんだから、苛々してい ては勿体無い。 こんな風にじっくり桜を眺めるのも、実に2年前振りだった。 芝生の青臭さとかすかな桜の香りが鼻腔をくすぐり、舞い散る花びらがかすかに 頬をかすめ、何とも心地良くなってくる。 枝と花びらの間から差し込む木漏れ日に目を細めていると、つい意識が遠のきか けてしまう。 このまま眠ってしまってもいいかなと思った矢先、不意に影が差し込んできた。 「ねえ。あなた、新入生?」 影の主―――ストレートの黒髪を長く伸ばした、品のある端整な顔立ちをした女 生徒―――が、頭のすぐ脇にしゃがんで、こちらを覗き込みながら訊ねてきた。 この落ち着き振りと口調からすると、たぶん上級生なんだろう。 「あ、はい」 慌てて返事しながら身体を起こし、その人と向き合う。 「1年D組の、緒方です」 「……え……」 名乗った途端、上級生の表情が硬くなった。 「おがた、さん?」 「はい」 「……あははははははは!」 上級生は、いきなり堰を切ったように大笑いした。 笑い過ぎて、終いには体勢を崩して草叢に尻餅をつく。 「あの、どうかしました?」 どうも状況が飲み込めない。 「あははは……。ごめん。気を悪くしたなら謝るわ。あんまり偶然だったものだか ら、つい爆笑しちゃって」 上級生は姿勢を改めると、私の方に右手を差し伸べてきた。 「初めまして。クラスメイトの来栖川綾香よ」 今度は私の表情が硬くなる番だった。 「くるすがわ、さん……」 「あ、気軽に綾香って呼び捨てしてくれちゃっていいから」 「私、てっきり上級生かと」 まだ呆気にとられてて、全然見当違いな返事をしてしまう。 「……ぷっ、あはははははっ!」 彼女が堪えきれず、また尻餅をつくほど大笑いする。 初対面の相手の前でこれだけ遠慮しない人もなかなか珍しいけど、失礼さよりも 屈託の無さが先に立っていて、不愉快にはならなかった。 「な、なんでそんなに笑うのよぉ……」 不愉快どころか、つい釣り込まれて私まで笑い出しそうになる。 「ご、ごめん……私ってよく年上に見られがちなんだけど、いまいち自覚が足りな くて」 言われてみれば、直で返した私もなかなか失礼だったかもしれない。 「ううん、私もかなり不躾だったから。これでおあいこってことにしておきましょ」 「うん、わかった」 「それじゃ―――初めまして、緒方理奈です。これから宜しくね」 「ええ、こちらこそ宜しく。えーと……」 「あ、私のことも、理奈でいいよ」 「わかった。それじゃあ、理奈」 綾香が、きりっと表情を引き締める。 「こんぶ茶と桜餅は、好き?」 途端に私がふきだしたのは、言うまでもない。 「ねぇ、どうして綾香は学校に残ってたの?」 甘味処で注文を済ませてから、理奈が最初に聞いてきたのがそのことだった。 勿論どちらもこんぶ茶と桜餅を注文した。 「趣味の合う子を探してたのと、隠れてたっていうのもあるかな」 「……隠れて?」 「そう。私、追われてるの。黒づくめのおっかない人に」 「冗談でしょう?」 「それが、ノンフィクションなのよ」 「へぇ……何か訳ありの美少女って感じね」 「うん、そうなの。でも、そういう理奈だって入学式来なかったじゃない。きっと 明日クラスメイトから訳ありの美少女っていう目で見られると思うわよ」 「それもそうね。……あー、思い出したら腹が立ってきちゃう」 「ん、何かあったの?」 「ちょっと兄さんの空振りに付き合わされたのよ。インスピレーション沸いたとか 言って人を連れ出しといて、作曲したらハズレだったと言い出してポイ。本当に自 分勝手なんだから」 「うんうん。芸術家って風変わりな人が多いっていうけど、あれって実際当ってる のよねぇ」 「そうなのよ。兄さんを芸術家って言っていいのかわからないけど、世間から著し くずれてるのは確かね」 「私が習い事受けてるダンスの先生の服のセンスも、かなりのものよ」 「どんな服着てるの?」 「真っ赤な全身タイツ。背中と胸と下腹部にバラの刺繍入りで金ラメ付き」 「あははははは!」 「ヘンでしょ?」 「ヘンっていうか、変態じゃないの、それ」 「ああー、確かにそうかも。ナルシストっぽいし。華麗に舞う自分に酔い痴れてま す、って陶酔してそうな眼をしてるのよねぇ。踊ってるときとか特に」 と、甘味処に着くまでの間に、すっかり内輪ネタで笑い合えるくらいの仲にまで なっていた。 何だかこの子とは凄く気が合う。 お互いに人恋しいところではあったけど、それを差し引いても、ここまで早く他 人と打ち解けたのは初めてだった。 こういうのを姉さん風に言うなら『運命的な出会い』というのだろうか。 それにしては、互いにその出会いが異性でなかったことは、不運といえば不運な のかもしれない。 「そうだ。さっき綾香、年上に見られるって言ってたじゃない」 それは、追加オーダーであんみつを注文したところだった。 「うん。初対面の同世代の人にはだいたいそう見られるかな」 「私もたまに見間違えられるんだけど、これ付けてると年相応に見られるわよ」 そう言って、彼女は右のリボン付きのお下げを手でヒラヒラを揺らす。 「あ、なるほど。リボンで大人っぽいのを中和するのね」 「そうそう。あんまりやりすぎると見辛くなるけど、これくらいだとアクセントと しては丁度いいくらいなの」 「んー、でも、理奈だから似合うのかも。私がつけると浮いてるかもしれないわね」 「そうかな?」 理奈は私をじっと見つめて――― 「……ぷっ」 いきなり下を向いて笑いを堪えだした。 「こら。人の顔見て笑い出すなんて失礼じゃない」 「だ、大丈夫。まだギリギリのところで、堪えてるから……くくっ……!」 そういう理奈の肩は小刻みに震えている。 「もう、我慢しないで笑いなさいよ……で、想像した私はどうだった?」 「ご、ゴスロリ……」 「ぎゃはははははっ!」 ゴスロリ。 姉さんならともかく、よりによって私がゴスロリ。 「どういう想像力なのよ、それは」 「わ、私にも、よくわかんない……くっ、あははははは!」 「笑いなさい笑いなさい……理奈が私をどういう風に見てるのか、よくわかったわ」 そういう私も、再び笑い出したくなるのを堪えるのに精一杯だったりする。 「怒らないでよー。ホント、悪気は無いの。咄嗟に浮かんじゃったんだもの」 「わかったわ。それじゃ、もう一度だけ訂正の機会を与えてあげましょう」 「任せて」 再び理奈が私の顔を凝視して――― 「……リボンハウス系」 「ぎゃははははははははっ!」 真顔でそれを言うか、あんたは! と、こんな風にお互いをネタにして笑い合うくらいまで意気投合した頃に、理奈 の携帯に着信が入った。 「ごめん、ちょっと席を外すね」 「うん。いってらっしゃーい」 手を振りつつ、手洗いに向かう理奈を見送る。 少し咽喉が疲れていたから、一休みするのには丁度良かった。 休めない理奈には悪いけど、じっくりと休ませて貰おう。 湯飲みのこんぶ茶を啜って一息つくと――― 「探しましたぞ、綾香御嬢様」 振り返れば、長瀬さんが立っていた。 『よぉ、元気にしてるか。理奈ちゃん』 手洗いに入って電話をとると、受話器から兄さんの暢気な声が流れてきた。 「ちゃん付けは止めてって、いつも言ってるでしょう」 『だって似合うんだから、しょうがないじゃないか』 「……で、用事は?」 『冷たいなぁ。用事が無いと妹に電話しちゃ駄目なのか?』 「私は今クラスメイトと友好を暖めてるところなの。兄さんとは、それこそいつで も会えるでしょ」 『いやぁ。それが、下手したらもう二度と理奈に会えないかもしれないんだ』 「はぁ?」 『うわ、何て如何わしげな声を出すんだよ。肉親を信じれないなんて、兄さんはそ んな妹に育てた覚えはないぞ』 「……色々と問い詰めたい箇所はあるけど、まぁいいわ。それで、どうしたの?」 『いやな、今日デートした子が……その、アレだ。熱狂的なアレだったんだよ』 「そう。いい気味ね」 『いい気味って、そんな皮肉言ってる場合じゃないんだよ、理奈』 「そんなの、今まで散々遊び呆けてた報いよ」 『まぁ、待てよ。相手が女性だったらまだいいんだが……元男性の方だったんだよ、 これが』 「兄さん……」 一気に頭が痛くなってきた。 『しかもSっぽいんだぞ。サドと攻めの両方って意味で。見た目はともかく、脱いだ ら現役バリバリでさ。向こうさんの頭の中じゃあ、俺はマゾで受け専門ってことに なってるらしくて、幾ら否定したってちっとも聞きやしない。どうすればいいんだ』 「……兄さんの趣味も、つくづく変態的ね」 『そう言うなって。部屋に着くまでは普通の美人だったんだよ。最近の整形技術と 変態ってのは、つくづく恐ろしいなぁ。とりあえず、警察呼んでくれないか?』 話のヘビィさに比べて、兄さんは他人事のように気楽な口調で話す。 それこそ他人事だけど、もうちょっと切羽詰ってみてはどうだろうか。 「嫌。そんなことしたらスキャンダルの元になるじゃない。いい薬だから、諦めて 餌食になりなさい」 そう思ったから、切羽詰らせてやることにした。 「電話かけてくるくらいなんだから、本気で監禁されるって訳でも無いんでしょう? っていうか、さっさと逃げなさいよ」 『右手を手錠でベットに固定されてるんだよ。ああ、まだ服とかは着てるけど。ア レがシャワーから上がってきたら一大事だ』 「手首の関節とか外して脱出しなさいよ」 『頼むよ、理奈ちゃん。兄さんがホモに調教されてもいいのか? これから作る曲 もみんなデスを半端に意識したような味噌糞なビジュアル系になっちまうぞ?』 「あーもう、わかったから、さっさと何処にいるのか教えなさい」 兄さんが捕まってるらしいホテルの名前と住所を聞いて、返事も待たずに電話を 切り、手早く電話をかける。 「こんにちは、理奈です。その節はお世話に……大変言い難いんですが、兄がまた ババを引いたそうなんです……はい、その通りで……こんな兄で、本当にすいませ ん……よろしくお願いします、長瀬さん。住所は―――」 必要なことを伝えて、ひたすらに陳謝してから電話を切った。 何で私が、当局に半ば内緒のお仕事の片棒を担がないといけいのか。 それもまた兄さんのせいだった。 「はぁ……どうしてこんな兄さんが熱狂的に支持されるのかしらね」 今の電話を聞かれただけで、殆どの人が幻滅するんじゃないだろうか。 気を取り直して席に戻ると、綾香のとなりに黒づくめの老人が立っていた。 どうやらさっきの言葉は本当だったらしい。 「お初にお目にかかります。私、来栖川家にお仕えする執事のセバスチャンと申し ます。以後、宜しくお願いします」 「はぁ……。緒方理奈です。宜しくお願いします」 どう見ても日本人の顔なのに、セバスチャン。 日系人の方なんだろうか? 「綾香御嬢様とお近づきになっていただき、ありがとうございます。何卒、これか らも御嬢様と末永く仲良くお付き合いくださいませ」 「あー、私は姉さんと違うんだから、長瀬さんが念を押さなくたって大丈夫よ」 セバ……もとい、長瀬さんが仰々しく挨拶するのが気に食わないのか、綾香の眉 間には皺が寄っていた。 そういえば、さっき私が電話した捜査1課の長瀬さんに似てるような気がする…… まさか、親戚だったりしてね。 「えっと、この人が綾香を追ってた黒づくめの人?」 「そう。これから私を茶道の家元さんの所に連行する悪者役なの」 「ああ……」 それで学校に残ってたのか。 綾香には綾香で、私にとっての兄さんみたいに厄介なのがついてるんだ。 「お互い、大変ね」 「うん。なかなか放っておいてくれないのよね」 「……ダンスじゃなかったのが、唯一の救いじゃない?」 「あははは……でも、正座で足が痺れるよりはマシかもね」 「御嬢様、そろそろ参りませんと」 「わかってるわよ、長瀬さん。……あ、そういえばお勘定は」 「さきほど綾香様に声をお掛けする前に私が済ませておきましたので、ご安心下さ いませ」 長瀬さんにそう言われると、残念そうな顔をする綾香。 きっと彼が勘定を済ませているうちに、私とここを逃げるつもりだったんだろう。 長瀬さんがそれを先読みしてるあたり、綾香との追いかけっこはほぼ日常化して るんじゃないだろうか。 「そんな訳で、今日はこれでお開きになっちゃうのよ。ごめんね」 「ううん、とても楽しかったわ。また明日、今度は教室で会いましょ」 「お兄さんが邪魔をしなければ?」 「大丈夫、さっき尻尾を掴んだから。兄さんも暫くは私に無理を言えない筈よ」 「わかった。それじゃ、また明日ね」 綾香は、車に押し込まれるまで長瀬さんの隙を窺っていた。 緒方理奈に対する最初の印象を取り消さないといけない。 少なくても、私から見た彼女は、お兄さんの影に収まりきってしまうような子に は全く見えなかった。 まぁ、相変わらずお兄さんのことは何も知らないんだけど。 それは置いておくとして、クラスでの彼女に対する意見はどれも不適当であり、 明日になれば皆もそれを実感することになるだろう。 昨日までの気だるい心配は、杞憂に過ぎなかった。 あの子といれば、きっとこれからの学校生活はより楽しいものになる。 そういえば、理奈の歌を聴いたことが無い。 今度、彼女のCDを買ってみるのもいいかもしれない。 クラスメイトにアイドルがいる、そしてそのCDを買った。 内訳はともかく、外見からすれば否定しようも無いほどミーハーだった。 あの空手一筋な友人には、暫く内緒にしておこう。 そもそも後輩の子には何だかんだと堅い理屈をこねといて結局は可愛がってるく せに、私には万事辛いヤツだし。 それにしても、和服は窮屈で落ち着かない。 足の痺れも、そろそろ限界に近い。 「綾香さん、姿勢が崩れてますよ。ああ、ほら、茶筅は「の」の字を描くように、 もっと丁寧に回してください!」 やっぱり私は飲む方の専門だった。 「やぁ、妹よ。兄さんは無事帰ってきたぞ……おや、ご機嫌みたいだな。てっきり 説教されると思ってたんだが」 警察署から帰ってきてノックすらせずに私の部屋に侵入してきた兄さんは、懲り た様子の欠片も見当たらない、実にいつも通りの兄さんだった。 「あら、わかる?」 既に説教する気にすらならないので、前半分の問いかけにだけ対応した。 「ふむ。そうだなぁ」 兄さんは顎に手をやってしばし考え込み、 「友だち百人できたか?」 「国営放送の某番組に申し出てきなさいよ、プロデュースしたいって」 「前に一曲作って申し込んだら、けんもほろろの対応だったさ」 ていうか、申し込んでたのか。 「ちなみに堕胎される胎児の悲哀を健やかなメロディーに載せた警世の歌だったん だが……どうもお国ってのは、頭が堅くていけないよなぁ。言論と表現の自由に対 する弾圧だよ、これは」 既にデスを半端に意識した味噌糞なビジュアル系だった。 「自由を謳う前に一般道徳を身につけてきなさいよ。そこらへんの小学校に通って」 「何、童謡や童話なんて、どれも元をただせば暗いモンじゃないか。かごめかごめ とか白雪姫とか」 「……説教されたいの?」 「うん。元気そうで何よりだ。それでは明日の学校生活も楽しみにしてくれ。俺は また出かけてくる」 どうやら兄さんは咽喉元過ぎれば熱さを、いや、過ぎてる最中ですら熱さを感じ ないらしい。 「どうぞいってらっしゃい。今度は助けないからね」 「ははは、同じ轍は二度も踏まんさ」 既に今踏みかけてる身で、何を言うのやら。 兄さんが軽々しい足取りで部屋を去り、再び部屋に静寂が戻る。 不幸中の幸いか、精神的疲労のために眠気には事欠かない。 兄さんの身勝手も、睡眠薬程度には役に立つらしい。 明日の学校を楽しみにしながら、私は床に就いた。 願わくば、明日こそ何も起こること無く、桜の舞い散る西音寺女史学院で、綾香 や他のクラスメイトと会えますように。 そんなささやかな願いを思いついた頃には、既に意識が遠のきかけていた。 (おしまい) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 弘井であります。 かれこれ一年半前にさらっと交わした口約束を今頃になって実行する、義理硬い のかいい加減なのか自分でもようわからん有り様を晒す今日この頃であります。 その判断はくくのんにお任せするとして、本作は黒いモノばかり書いてきた反動 か、すっきり爽やかぁ〜なモノが書きてぇぞコノヤロー、思い立ったが吉日だとば かりにぶちかました代物であります。 タイトルまで爽やかぁ〜で、俺の心も爽やかぁ〜というものです。 嘘ではありません、俺の目を見ろ、ディスプレイの前から見れるものなら。 短編連載のつもりなので、まずは理奈と綾香が出会うまでをさらっと書きました。 やや冗長気味な気がしなくもないというか、今読み返すと冗長に過ぎるでおじゃ るよセニョリータという気がしてなりませんが、気にしたら負けです。 理奈が多少幼くしてあるのは、15歳理奈でハァハァさせようという浅ましい狙い であり、綾香がヘンな女なのは、元からヘンな女だからです。 英二がパーになってるのは、俺がいい意味で気障なキャラを書けないからです。 ならばいっそ勘違いしたパーにしてしまえ、と。 パー最高。 果たしてどこまで爽やかに行けるかわかったもんじゃないですが(つーか、コレ が爽やかなのかどうかさえわからねえよ)、宜しくお付き合いいただければ幸いで あります。 それでは、また次の話でお会い……できるのはいつになるか、さっぱりわからね えなぁ(苦笑)。 何せモチベーションがさっぱり安定しやしない男ゆえに。 まぁ、またいずれ。 ―――後書きが乱暴なのは爽やかぁ〜なモノを書いた反動だなんて、そんなこと は決してありませんチェキ。