あなたとりきし


 







 ――久々野彰様の作品とは一切合財関わりがありません、見逃してください。
 やっぱ駄目?



      『あなたとりきし』



                                   作者 九九乃彰





 地響きがする――と思って戴きたい。
 地響きといっても地殻変動の類のそれではない。
 どすん、ぷにょん、どすん、ぷにょん。
 最初の「どすん」はいわゆる足音、次いで聞こえる「ぷにょん」はお腹が揺れる音――である。
 つまりいわゆる皮下脂肪と呼ばれるものが、一見音だけ聴いていればぷに萌え系美少女が出しそうな擬音を出しているのである。
 従ってこれを出すほどの皮下脂肪を持つ人間は非常に限定される。
 つまり、その、いわゆる――力士とか相撲取りとかアンコ型な、ああいう人達である。
 音を出している彼――多分だけど――はどうやら待ちぼうけを食らわされているらしい。こんな噴水場でいつまでもうろうろしている事から間違い無いだろう。


 その事に来栖川綾香が気付いたのは「彼」に待ちぼうけを――恋人ではなかったらしい、少なくとも向こうは――食らわされてから数時間が経とうというところだった。
 何故数時間経ってから気付いたのか――多分、自分の美意識に猛烈にそぐわない存在だったからだろう。
 黒い髪は鬢付け油でテカテカに光って太陽を綺麗に反射させていた、頬はまるでふかしたての饅頭のようにほかほかしている。
 そして頬の肉が顔全体を圧迫して黒い小さい瞳をさらに小さく見せていた。その黒い小さい瞳が――こちらを見た。


 ザッ!!


 速攻で眼を逸らす。だが、逸らす瞬間確かに来栖川綾香は見た。
 ――笑いやがった。
 ……ムカ。
 そう思った時、

 どすん。

 足音がこちらに少しだけ音量アップして聞こえた。

 ぷにょん。

 一拍置いて腹が揺れる音が聞こえる。
 ――まさか。

 どすん。

 さらにこちらに近付いてくる。
 ――こっちに来る気か?

 ぷにょん。

 一拍置いて腹が。

 どすん。

 また近付く。
 ――来るな来るな来るな。

 ぷにょん。

 腹。

 どすんぷにょんどすんぷにょんどすんどすぷにょ。
 ――わたしに関わらないで!
 か細い悲鳴を上げながら思わず目を瞑る。
 ……静寂。
 唐突に最後の「ぷにょ」から音が聞こえなくなった。
 恐る恐る眼を開ける。

 ――息切れしているし。
 観ると男はこちらに近付いてくるまでに多大な体力を消費したらしく、地面に倒れ伏していた。
 ……しばし観察する。
 小山が小さくなったり大きくなったり(呼吸しているのだ)するのが多少面白かった。
 やがて、小山(暫定名)は立ち上がると、またもやこちらに近付いてきた。今度は息切れしない程度にゆっくりと。
 ごくり、生唾を飲む。




「メシでも、食いに行かないでごわすか?」
「元ネタまんまかいっ!!」
 思わず裏拳で突っ込む。
 ごしゅ、と顔面に拳がめり込んだ。
 ……マシュマロのように(マシュマロに失礼かどうかはさておいて)柔らかい、と思った。
「痛いなぁ……いきなり何するっすか」
「その割には全然応えてないようだけど」
「そんなことはどうでも良いことでごわす、どうっすか? メシ食いに行かないっすか?」
「――ちょっと待って」


 頭の中でシミュレートしてみる。


 こっちがホイホイとついていったところを……。
 腹を突き出す(何の意味があるんだか)。
 腹を押し付ける(突き出すとどう違うんだ)。
 鬢付け油を嗅がせてくる(あ、これ結構来るかも)。
 仲間を連れて一斉におしくらまんじゅう。


 ――どうやら自分も相当混乱している模様。
 落ち着いて相手の顔を見る。
 眼よ、眼を見れば相手が不埒なことを考えているかどうかくらい長年の格闘技経験で……。
 
 にっこり。

 眼が無いよ、おい。
 大体なんで相撲取りがわたしに声をかけてくるのだろうか。
 そりゃわたしは道行く人間十人の内九・五人くらいなら振り向かせる自信があるけれど。
 何故よりによって相撲取り。
 ――でも、悪い人間には見えないかな。
「そうです、悪い人間ではないでごわす」
「キャラが地の文を読み取るなっ!!」
 めき。
 今度も裏拳である。
「痛いでごわす、地の文ってお嬢さんが声に出していたっすよ」
「あ、あらそう?」
 喋っていたのは自分らしい。
「それで……」
「いいわよ、ご一緒させてもらうわ」
 このままだと話が進まずにこのSSを作者が途中で断念しそうだったのに観念してくれたのか、来栖川綾香は快諾した。
 小山(暫定名から本名に格上げ)は破顔一笑――元々顔は丸まっているのであってないようなものだが――して、綾香と買い出しに意気揚揚と向かっていった――


「ところで――何を食べるの?」
「男なら、ちゃんこ鍋に決まってるっす!!」
 微妙に元ネタに忠実な模様。


 食料を買い込み、着いた場所はアパート……ではなくて相撲部屋だった、どうやらここから元ネタとの剥離が激しくなってくるらしい。
「……長瀬、部屋ねぇ」
 どこかで聞いた名字だがこの際気にしない。
 看板は新しかった。


 部屋の中には勿論土俵があった、だが――力士は誰もいない。
「ねぇねぇ、あなたの他にお相撲さんは――?」
「逃げ出したっす!」
「逃げ出したぁ?」
 小山(本名)は超特大の鍋――マルチくらいなら楽に入るのではないだろうか――に先程どっさり買い込んだ具を手当たり次第にぶち込みながら語り始めた。


「わしはこの部屋が長瀬部屋になる前は新弟子だったっす! 毎日毎日稽古とちゃんこ食っていたけど、強くなれなかったっす。そんな時、ある人が尋ねてきたでごわす」
 ――その男は白髪の老人だったらしい。
 彼は――部屋頭と相撲を取らせてくれ、と入ってくるなり言った。
 空手やプロレスと同じ――道場破りというやつだろうか。
 部屋頭は「年寄りの冷や水」と馬鹿にした。
 そこでまず新弟子の自分が相手したという。

 ――勝負は一瞬で決着した。
 ただ、突き押されて負けてしまった。
 不甲斐ない、と一年先輩が挑戦した。
 また負けた。
 さらにその先輩が挑戦する。
 当然負けた。
 そして十両、関取、大関、横綱、親方、おかみさん――全員が負けてしまった。
 横綱はショックで逃亡、大関以下もそれに続いた。
 残ったのは自分と親方とおかみさん――と思っていたらおかみさんは関取の後を追いかけていってしまった(不倫相手だった模様)。
 親方もおかみさんを追いかけて、かくして自分だけが残ったという。

「わしは自分を介抱してくれたこの人に感激したっす! それに何と言っても強いっす! この人についていけば横綱も夢じゃないっす!」

 話しながら小山と綾香は猛烈な勢いでちゃんこをパクついていた。
 綾香も薄々読めてきた。
 老人でそんな化物染みた強さを誇る人間とくれば世の中に一人しかいない。
「綾香お嬢様ッッ!!! 長瀬部屋へようこそでごわす!!」
 ほーら、こいつだ。

「セバス……あんた、何やってんの?」
 極力セバスの方を見ないようにしながら綾香は尋ねた。
 ちなみに今セバスチャンはふんどし一丁である。
 一応花も恐れる乙女の来栖川綾香が恥らうのも無理はない。

 だが、綾香はチラリと見てしまっていた。
 セバスチャンがかつて誇ったマッチョな肉体は見るべきもなく、丸まっていた。
 メガネは大きくなった顔面をカバーするため、つるが極力広げてある。
 姉さんが見たら泣きそう……
 ――いや、むしろ喜ぶかも。
 かなり人間外の部類に入ってきているし。


「綾香お嬢様! このセバスチャン、この歳にしてようやくお嬢様たちの世話以外の自分の居場所を見つけ出しましたぞ! わたくしめのこの素晴らしい豊満で膨張な肉体を見てくだされぇ!」


 ぷにょん、ぷにょん。


 両腕を広げて力瘤をためるポーズをつけるが、浮き出てくるのは脂肪だけである。
 ああ、見たくない見たくない。
 だが――綾香は脳裏に広がった誘惑を常識でもって打ち消した。
(ちょっと、いいかも)
 駄目だ、駄目だ、そんな――
 きっとフラれてヤケッパチになっているだけだ。


「わたくしもこの歳になって太る快感というものをようやく味わっているところでございます! 運動して食べて太る! これは自然の摂理というものです!」
 セバスが拳を振るって力説する。
 確かに――運動した後の御飯は美味しいが――


「綾香お嬢様も是非御一緒に!!」
「そうっす! 綾香さんも一緒に相撲取るっすよ!!」
「何でじゃぁっ!!」
 ごす、めしゃ。
 一人目に回し蹴り、二人目に裏拳を当てた音である。


「ふっ……お嬢様っ! そんなへなちょこ蹴りでこの肉の壁に通じるとお思いか!?」
 壁というより玉だろう、肉の玉。
 しかし、確かに蹴りは通じてない。
 先程から本気モードでヒットさせている裏拳も小山には全く効いてないようだ。
 ――強い。
 それは、認めなければ。


「でもっ……いくら何でもこんな……」
 こんなになってまで……強くなんかなりたく……
「情けなやお嬢様! 今の強さに満足して下を向いてしまっては永遠に強くなどなれませんぞ!」
「そうですよ綾香さん!!」
 聞き慣れた声が――聞こえた。
「あ、あ、あ、あ、あ」
「先輩っ! ランニングお疲れ様っす!」
「綾香さん! 見てください! わたし……わたし、こんなに強くなりました!!」


「ああああああああああおおおおおおおいいいいいいい!!!!?」


 かつて松原葵と呼ばれた――いや、今でもそうだが――少女があの純粋な瞳でこちらを見た。
 ……かつてあのほっそりとした少年のような体つきは――今では中年のようなビヤ樽腹になっている。
「ほら、見てくださいこの張り手! どすこぉい!」
 ふるふると体操服からかすかに見える腹(嬉しくも何ともない)が震え、部屋全体に衝撃が疾った。
 ずん。
 頑丈な柱に張り手の後がくっきりと残っている。
「ふふふ、お嬢様。今ではこの松原様も立派なスモウレスラー!! エクストリームに出ても勝算十二分!!」
「……あ、葵! アンタは……それでっ……それで満足なのっ!?」


「わたし……甘かったです……外見ばかり気にして……そんなんじゃ綾香さんにいつまでたっても追い付けません!! だからっ……自分を捨て去りました!」
 とっても満足げ。
 いいのかそれで。
「その意気や良し! その勇気さえあれば必ずや綾香お嬢様と言えども敵ではないでごわす!」
 目の前にいるのに、いい度胸だな、オイ。
 綾香は目の前の大惨事に茫然としながらも、一つ聞きたいことがあったのを思い出した。
「葵、アンタ浩之はどう言って……」
 浩之、という単語に葵がピクリと反応した。
 両肩が震え出し、ポタリポタリと涙が出始める。
「先輩は……あかり先輩と……」
 要するに振られて自棄食いか。
 ――だが、しかし。
 柱に向かって張り手と突き押しをする三人の腹肉がふるふると震える様は(いいたくはないが)実にファンタスティックに美しかったのである。
 醜いが美しい。


 綾香はそれを見ながら、例えこの先どんなに辛い恋をしようとも――自棄食いだけは決してしないでおこう、そう決めた。
 そして少し寂しい顔をする。
 勝つ為に明日を捨てたジャック範馬な葵。
 ――勝てるわけがない。
 来栖川綾香はそっと部屋を抜け出した。


 その年のエクストリーム大会、来栖川綾香は松原葵に敗北した。
 かつての松原葵を知る者はその変貌ぶりに驚愕し、あるいは涙したという。
「勝つ為に全てを捨てた」
 こうして松原葵はエクストリーム大会がウェイト制になるまで、前人未到の連続チャンピオン記録を打ち立てた。
 

 これはそれだけの話なのである。
 だから――怒らないで貰いたい。
「いや、普通怒るって」






 駄目ですか。
 俺もイマイチだとは思っているのですが。





『次回予告』

 次回はtakatakaさんかvladさんが贄になる予定です、しゃらん(錫杖の音)。





 〜解説に変えて〜
                         久々野 アララ

 私は「九九野彰」という人物に実際に会ったことがない。
 世の中には有名税と言うものがあるように、老女雑誌「年刊バーバリアン」で連載を続けている私に対して偽者が出回るのもある意味、仕方が無い訳で、これも人気と諦めていた。そして同時にその手の輩は相手にしないようにしてきていた。
 それが先日あたりから私宛てのファンレターの中で書き憶えの無い作品の感想が届くようになったのだ。
 それまで地道に粘菌の研究を続けてきた私にとって、文学とはただのライフワークではなく紛れも無く生きる為に手放せないもののひとつだった。
 だからこそ、二束三文の三流雑誌の愚民扇動記事や、悪劣なカストリ女性週刊誌などにも寄稿して生き長らえてきた。
 そうして掴んだ今の地位だけあって、自慢ではないが今まで書いた全ての作品の名前を克明に憶えている。その自慢のオツムをひけらかすと私の103作品目は「僕らの七日間乱交」で、今は廃刊になった週刊ドピュに掲載されたのを憶えているし、253作品目は凶産党広報誌の赤紙で書いた「野球少年寛太君4コマ」だ。えへん。
 そんな私の元に私の知らない作品の感想が送られてきたのだ。そしてそれを受け取った時、私は苦笑を禁じ得なかった。恐らく私でない人の作品を間違えて私に送ってきたのだろうと。
 それがレターが二通になり、三通になり、今まで私が一番貰った作品の弥生図書「たのしい算数いちにのさん(一年生)」の五通を越えはじめると無視することは出来なくなった。
 そしてその手紙全てが私の作品だと信じて疑っていないようなのだ。「久々野先生がこんな名作を出せるなんて思わなかった」「ひょっとして頭でも打ちました?」「涙で滲んで前が見えません」「奇跡は起こらないから奇跡の筈なのに」「久々野ちゃん、電波届いた?」等、全てが大絶賛されているのである。
 だが、いくら私の作品集を調べてもその彼らが絶賛している私の作品とやらは存在しなかった。当然である。私が憶えていない以上、それは私の作品ではないのだから。
 そして私は編集のt氏に連絡を入れてこの謎の現象を問い合わせた所、彼は笑いながら「何だ。今頃騒いでいるんですか」と認めた。私はそこで彼と会い、初めて九九野という男の存在を彼から聞かされる事となった。
 彼が言う所、この九九野という男は遠洋マグロ漁船に乗って借金を返している勤労青年なのだそうだ。彼は13歳にして言葉を憶え、20歳にして文字を憶え、20歳二ヶ月で小説を書くようになったのだそうだ。そして長い船旅の間に暇を見つけては原稿用紙に書き殴った象形文字の集合体が件の作品だということだった。彼が持参した原稿には確かに長い船旅を感じさせるように鼠の小便の染みやら、人間の嘔吐物の染みやら、黒ずんだ船長の血の染みやらが所々こびりついていた。
 それがどのような経緯で雑誌に掲載されたのかは知らないが、私の目にはこの南方熊楠が発狂して書いたような文字で、しかもまる文字という珍妙な文体で書かれた小説という存在を愚弄嘲笑しきったような代物が賞賛され、あまつさえ私の作だと間違えられている事に我慢がならなかった。
 私がそんな鬱憤をt氏にぶつけると彼は「ああ。それ僕が指示したんですよ。久々野先生は無名だし、失敗してもリスクは小さいですし。まぁ、心配しなくて良かったですけど。でも、本当に何考えているんでしょうね。これほどのものを久々野先生が書ける訳ないってのはアオミドロだって判りそうなものですのに」等と宣うたのだ。

 そして私は今、この文章を病院で書いている。t氏に殴り掛かった所までは憶えているのだが、それ以降の記憶はなかった。因みにt氏は元力士で弓取り式を務めた事もあるちゃんこ番だったそうだ。私の肋骨は全損、頬骨は砕け、歯も殆ど抜け落ちていたそうだ。身体全部の骨折箇所は47箇所。
 そして何故か握り締めていた、九九野彰の原稿「あなたとりきし」を読んでいる。
 全く以って馬鹿馬鹿しい詰まらない作ひ……


「涙……? 私……泣いているの?」


  〜解説〜
                            久々野 彰

 beaker様は希有な才能を持ち合わせている。
 このSS『あなたとりきし』は私の作品『あなたとわたし』のパロディである。
 が、只のパロディではないのである。
 元ネタの京極作品の「どすこい(仮)」の文章を単に模倣するのではなく、部分部分に効果的に使う事によって、只の安易なパロディ作品からより昇華した彼の文学作品における一つの文化空間を作り出しているのだ。
 そしてこれは彼の前作の「笑う次郎衛門」にも現れている。彼は既に只のSS作家ではなくSSアーティストとしての能力を発揮しているのである。
 これを希有な才能と評価せずに何と評価すべきであろう。

 ……とわざとらしいほど持ち上げてみましたが、兎に角一言「面白いJAN」これに尽きます。こういう遊びが出来る人って意外と少ないですから。
 どんな楽しみかたでさえ、私のSSをきっかけに楽しんでくれる事はとても嬉しい事ですから。この作品の感想はbeaker様宛てに是非。
 それでは簡単ながら作品紹介をさせて戴きました。

「……なんで泣くんだろう、俺――」


 頂き物の転載をお願いしていたtakataka様のサイト閉鎖によりこちらに引き取りなおしました。
 beaker様、改めまして本当にありがとうございました。





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