玄関先でエンジン音が響く。
 名残惜しそうにブツブツ言いながら、出迎えの車に乗り込む千鶴をあたしと耕一で
見送った。
 排気ガスの白い煙を残しながら、黒い車が次第に先の見えない夜道へと溶け込むよ
うに消えていくのを二人並んで見つめていた。
「みんな元気そうだな」
「……」
 車が見えなくなった後、耕一は白い息を吐きながらそう呟いた。

 ――ううん。
 ――あたしが元気が出来たのはさ、あんたが来てくれたからだよ。

 その言葉を飲み込んで、じっと耕一を見つめた。
「ちょっと歩こうか」
「…うん」
 あたしの沈黙をどう察したのか、耕一はそう誘ってきた。
 そして門を出て、飾り気の無い電灯だけの夜道を二人で歩き出す。
 特に行き先を考えているわけではなかったようで、ブラブラと歩いていく耕一にあ
たしは黙ってついていく。
「こっちの方がやっぱり寒いな」
「…うん……っあ、そうなんだ」
「ああ。東京の冬も冷え込むんだけどやっぱり何か元が違うって言うのかさ、芯から
堪えるんだよな」
「じゃ、戻ろうか……」
「あ、待った」
 家の方に踵を返そうとするあたしを耕一が呼び止める。
「でも寒いんじゃ…」
「いや、お前に渡したいものがあってさ」
「え?」
 そう言ってからゴソゴソと上着の内ポケットに手を入れて中を探る耕一の様子に、
あたしはドキリとした。
 あたしの方は、今日耕一が帰ってくると聞かされていなかったから何も用意してい
ない。
 そう内心で慌てたあたしの前に差し出されたのは、意外にも一通の便箋だった。
「……え」
 思わず固まりながらも、それを受け取る。
 女の子同士が手渡しで出し合うような可愛らしい便箋。
 表にも裏にも何も書かれていない。
 ただ、確りと封だけはしてあった。
「なに、これ……?」
「その、何だ。クリスマスプレゼントみたいなものだ」
 怪訝な顔を浮かべるあたしに、耕一は視線を逸らしながら頬を掻く。
「?」
 何度か表と裏を見かえした後、封筒の隅を破って中身を取り出した。
 そして四つに折りたたまれた手紙を開く。
 見覚えのある文字が、目に入った。

「――っ!!」

 驚いて耕一を見る。
 耕一は今度はそのあたしの視線に照れたように頭を掻き出した。
「ど、どうして……」
「居所を県警の長瀬さんに教えてもらったんだ」
「教えてって……何で……」
 あたしが聞いた時は全く教えてもらえなかったのに。
 全然判らなかったのに。
 手が震えて、握り締めていた手紙を落としそうになる。


 かおりからの、手紙だった。


 手紙にはショックから立ち直った時、助けに来てくれたあたしに一言も無く引っ越
してしまい、気が引けて今更連絡することにずっと躊躇いがあったこと、耕一が直接
的な繋がりが無いとはいえ遠い親戚である柳川の暴行に対して謝罪しに来てくれたこ
と、もしあたしさえ良ければ年明けにもあたしに会いたいとのことが沢山書かれてい
た。電話番号と住所と共に。
 そして耕一からは、柳川の親族ということで謝罪したいと言って、長瀬警部からか
おりの引っ越し先を聞き出した事、かおりの親に先に連絡してかおりとの接触が許さ
れるまでなんべんも話し合った事、かおりと会ってお互いの今の気持ちを打ち明け合
った事を聞いた。
 あたしは震えていた。
 そして、泣いていたかもしれない。
 嬉しくて、たまらなかった。


 無くしたと、零れ落ちてしまったとばかり想っていたものを取り戻せた。
 これ以上の喜びがあろうか。
 それも掛け替えのない人の手によって。


「耕一ぃ――っ!」
「わっと!?」
 思わず飛び掛かるようにして抱き着くあたしに、耕一はバランスを崩してその場に
倒れ込んだ。
「ててっ……、何するんだよ…」
「あ、そ、その……ごめん……きゃっ!?」
 倒されながらも、耕一は笑っていた。
 耕一を押し倒すようになったあたしは慌てて起き上がろうとするが、耕一の腕があ
たしの腕を引っ張ってきて、再び覆い被さるようにして倒れてしまった。
 そして激しく、キスをした。
 何度も、何度も。
 あたしの泣き顔が収まるまで。


「耕一、背中大丈夫? 冷えてない?」
「厚着してたし、何とかな」
 路上で二人して倒れていたというのに、幸いにも誰も通りがかることはなかった。
 耕一の背中を手ではたいてやって、二人で家の方へ戻る。
 手先は冷えてしまっていたけれども、顔は火照っていて風が心地良かった。
「帰ったら何か熱いもの作ってやるよ」
 手を擦りながら言うあたしに、
「いや、それより熱燗でもつけてくれよ」
 笑いながら耕一は手で盃を作って飲む仕種をする。
「もぅ… 親父くさいな」
 そう苦笑しながらも、あたしも笑っていた。

 ――あたし、あんたのことが好き。
 ――小さい頃からずっとあんたのこと好きだったから。

 数歩先に歩いてから、ゆっくりと耕一の方を振り向いた。
 その顔を正面からじっと見つめた。


 いつだってその笑顔が大好きだったから…
 あたしに幸せを与えてくれるその笑顔が好きだったから…



 だからあたしは、


「耕一…好きよ」  夏の日に言った言葉を、もう一度。                           −Fin−